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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第三章『出会い』
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「退屈」

 道行く男子は丈の短い上着と膝下の褲子(ズボン)に布鞋、女子は同じく短い上着に踝丈の裙子。生地は全て麻のようで、帯や襟に多少色の入った者がいるものの、ほとんどが麻そのものの素材を着ている。

 髪は男女ともに結い上げている。時々、恐らく官吏なんだろう、道行く大勢と違う鮮やかな衣を着る者も見かけたが、作りとしては大勢とそんなに変わらない。


 ここに来た時に見かけたときは、南門から北の王宮を結ぶ大通りを行く住民を見かけただけで、随分と「古風だ」と思ったものだけれど、城市の最先端が集まるはずの「市」であっても、変わり映えがない。どの建物も簡単なもので、屋台に軒がついた程度。何ていうか、古き良き時代の風景を見ている気がする。

 昔とは違うと中相は言ってたけれど、争いがないと、こうも緩やかに時が流れるのか。


「この市は誰が入っても構いません。ここでは農民も商人も官吏も全て同じです。何しろこの地には、身分の別はございませんから」

 「え?」思わず瑛明は振り返った。

「いや、王とかいる時点で身分の別ありだと思うけど。それに、だったら依軒は何で中相や母さんを立てるわけ?」

「身分の別はありませんが、敬意を払いたくなるお方や、恩義を感じるお方はおります。それがあなた様のお母上様であり、お父上様です。大爺は、それは見事な手腕でこの地を変えておられます。凡人では到底真似できないことです。そして太太はこの地を守った一族の末であり、かつ私を養って下さった方なのです。これは身分とは関係ございません」

「じゃあ、お…いや私に対して頭を下げるいわれはないよね」

「あなた様は大爺と太太のお子様ですから」


 なるほど。親の威光ってヤツね。


 扇の隙間から横目で見れば、丸っこい横顔は口角が下がっていた。

 いかにも優しげ顔をしていながら、俺が女としてふるまうしかない責任を感じているようではありながら、だからといって俺の全てを許しているわけではないことは、分かる。

 まあ、この環境に戸惑っているのは、俺だけではないってことだ。


 瑛明は、視線をそっと窓外に戻した。

 ふわっと米の蒸しあがった匂いが流れ込んでくる。目を向けた先では開けられた蒸器から、大量の湯気の中から三角のが姿を現した。たちまち数人が店先に集まる。

「うわ、うまそっ」

「瑛明さま、何ですそのハシタナイ言葉は」

 お小言に眉をしかめつつ、外を見ていた瑛明の目が、一点に釘付けになる。粽を受け取った男が店主に差し出したもの、あれは……。


「あれって、銅銭じゃん」


 確かここは秦の戦乱を免れた農村の人々が集ったはず。

 その時代の銭は蟻鼻銭とか刀貨なんかで、持ち運びも不便だったから余り流布しなかったって聞いたけど。外界だって農村では今でも物々交換が主流だ。なのに時が戻ったかのような古風で素朴な風景に、銅銭だけが異質な光を放っていた。


「以前は物々交換が主流でしたが、北に銅脈が発見されたのを機に銅銭が作られ始めました。あの銅銭は小さく、中央に開けた穴に糸を通して持ち運びが簡単にできるように工夫されております。ちなみに銅銭の形状を考えられたのも、それを見事に制度化して瞬く間に広めたのも大爺です。凡人には、到底思いつかない発想力と行動力でございますわ。奥さまと瑛明さまが突如居なくなった悲しみを打ち消すように、お仕事に邁進されてこられた成果でございます」

 依軒はいささか胸を張り、我が事のように自慢げである。


 「へえ」瑛明のなおざりな相槌にも気づかぬように、依軒は続けた。


「またこの城内を碁盤のように整然と区画されたのは中相さまです。それまでは田畑や居住区が点々と無節操に立てられておりましたが、それでは危急の折の防御にならないと。かつて猟師が侵入した折に作られ始めたものの、再び訪れた平穏な日々の中で放置されていた城壁作りを再開させ、その中を整備されました。ほら、よく耳をお澄まし下さい。槌音が聞こえますでしょう? 今も城内の整備は続いているのですよ。おかげでこの地は美しくなり、交通も便利になりました。生活も向上し、次第に新しいものも生まれ始めています。ですから日々の退屈もうんと減り、皆生き生きと生活しています。誰もが中相さまに感謝されています」


 「退屈ね」苦い笑みが口元に上がった。

 隠すように外に目を投げると、依軒の言う通り道行く者は老若男女問わず皆楽しげである。


 確かに整然と並ぶ建物はみな新しい。まるで武陵の城内、いや、かつて書籍で読んだ、唐都・長安のようだ。南には作りかけていた城壁があり、東西は切り立った山を城壁としているとはいえ、簡素な建物が多いとはいえ、これだけの短時間で、よくもここまで。


 一昔前の風景――だけどよく整備されていて、銅銭が行き交っている――今と昔が混然としてるのが、なんだか不思議でたまらない。


 そして改めて思い知る。中相の邸宅がいかに洗練されていたのかということを。

 衣装も日用品さえお洒落だし。まるで別世界だった。


 市の東西を走る大通りをある程度進んだところで車は引き返し、再び坊門を出、城内を南北に二分する大通りに出た。今度こそ、北上している。

 中相家の前を通り過ぎ、しばらく、車が右折した。ほどなく左折。


 さあ「いよいよ王宮だ」

 扇の下で、瑛明は口元を引き締めた。

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