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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第二章『内界』
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「告白」

 中相が去ると、母は涙をすぐに収め、瑛明から離れた。それはあっさりと。

 気忙しく見守る瑛明の目の前で、依軒が用意したお茶を一口飲み、湯で顔を洗い、着替えたのち、「気分が優れないので休みます」とだけ言い、牀台に身を横たえ、衾を被った。

「私が隣室で控えておりますので、小姐(おじょうさま)はどうぞ部屋でお休みに。大丈夫です。太太(おくさま)の癇癪には慣れておりますから。大分久しぶりではありますけどね」

 しみじみと頷きながら言う依軒の言葉に従い、瑛明は母の部屋を出た。


 部屋を出た瑛明はほうっとため息をついた。「俺ってホント、知らないことばっかりだ」


 翌日、瑛明は居間で母が来るのを待ったが、昼を過ぎても母は自室から出て来なかった。依軒が何度か様子を見に行ったが、牀台から出たくないとのことだった。

 それは数日経っても変わらなかった。

「しばらくしたら落ち着きますわ」

 依軒はそう言って、平然と刺繍をしている。その姿に、妙に安堵している自分に気づいた。本当に肝がすわってる。頼もしいのは見た目だけではないようだ。


 あれ以来、本当に中相はこちらに来なくなった。これまで通り食事や衣装はもちろん、母の体調を慮っての薬が運ばれてくるので、存在を忘れられているわけではないらしいが。

 やっと本来の場所に帰ってきたはずなのに。この不安、外界に居たときと変わらないのは何故なんだ。


 どこにも身の置き所がない。  


 いや、あっちに居たときには「いつか帰る場所がある」という希望があった。

 だけど今、俺たちにそんなところは、もうどこにも……。


 瑛明は勢いよく立ち上がった。

「だいぶ日も落ちてきたね。ちょっと母上の様子を見てくるよ」

 小さく叩扉した。「母上、入ります」

 横になっているとばかり思っていたのに、薄い紅の帳を上げて、牀台で体を起こし窓外を見ていた母は、瑛明を見てにこりと笑う。


 どきりとした。


 夜着のままで髪も結い上げず、化粧もしていないというのに、まるで内側から発光する玉のような美しさ。それが、人知を超えたもののように思えて――ゾッとした。

「母上、あちらに茶の支度ができておりますが起きられますか? それともこちらに……」

「瑛明、それを」

 息子の言葉を遮り母が指し示したのは、先日、中相が煌びやかな装飾品を詰めて携えた、黒漆に螺鈿細工が施された美しい箱である。

 母に言われるまま、瑛明が牀台脇の高卓に置かれたそれを手に取った。両手に載るくらいの大きさながら、ずしりとした重みがある。

「開けてごらんなさい」

 瑛明は蓋に手をかける。鍵はかかっていなかった。

 蓋を持ち上げると、中には耳輪や指輪、簪といった多彩な装飾品が整然と並べられている。


 でも、見た目より、底が浅い気がする。


 目の高さに持ち上げてみて、箱をよくよく見てみる。上げ底? 思いながら軽く底を叩き――いやこれは、二重底だ。

 装飾品の入っている内箱と、同色の外箱との僅かな隙間に爪をかけ、持ち上げてみると、中から白い布に包まれた「何か」が出てきた。布は少し黄ばんでいて、ここの生活には不釣合いな粗末な布だった。

 何も持たずに出てきたと思っていたのに、母もあの家から持ち出したものがあったなんて。軽い驚きを覚えながらその包みを解いた瑛明は、たちまち顔色を失った。


 声が震える。「母さんこれ……。一体何だよ」


「趙殿が下さったのです。いざという時のために、と」

 息子の尖る声を、母はさらりと受け流した。そしてまっすぐに、彼を見つめる。その視線の強さに射すくめられたように、瑛明は言うべき次の言葉を口にできなくなった。

「私がどうしてここを出たのか、あなたにはまだ話していませんでしたね」

 今までどれだけ訊いても、何も教えてくれなかったのに――少し奇妙に思いながらも、瑛明は促されるままに牀台に座った。


「志按さまは――」


 母がその名を呼んだことに、心奥がひやりとする。そっと母の様子を伺うが、なぜか優しく笑っていた。胸が痛い。


「兄のご学友で、私は以前からずっと想いを寄せていました。志按さまには――将来を誓い合った方がいらしたのですが、故あって私が志按さまの元に参りました。『替わり』だと分かっていても、皇女たる私を踏み台にしてのし上がるつもりだと聞かされても、志按さまと添える喜びの前には、全て些末なことでしかなかった。のぼせ上がっていた私は、少々浅はかだったのです。一緒になりさえすれば、志按さまも心を変えてくださると。でもあの方は――周りの誰もが羨む優しい夫を演じながら、私を受け入れることはなかった。そんな時でした、私が身篭ったのは」


 呼吸することすら忘れて言葉を繋ぐ母の表情が、少しずつ険しくなっていく。あまつさえ顔色も青ざめてきたようだ。

 止めた方がいい、そんな考えが脳裏をかすめる。だけど結局、瑛明にはそれができなかった。もう少しだけ、と。


 もう少しなら、と。


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