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糸遊~きみにつながるひかり~  作者: 天水しあ
第二章『内界』
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「浮舟」

「志按さまと二人で話がしたいの」


 ある日、母が思いつめた表情と声で言ってきたとき、瑛明と依軒は思わず、とばかり顔を合わせた。

 しかし依軒は、きらきらした目で瑛明を見ているではないか。これは完全に「仲睦まじくて何よりです」と思っているな。


 いいんだろうか二人っきりにして――思ったとたんに妙に胸がざわつく。


 ちらっと母に目を向ければ、時が戻ったかのような青白い顔をしている。必死さの滲む目は、僅かに充血していた。


 眠れていないんだろうか。

 そういや最近、食も細かった。中相がいるときは、はしゃぎすぎってくらいだったから、ちょっと疲れてるんだとばかり思ってたけれど……。思うほど不安が募る。


 でも結局、瑛明はそれを押さえ込んで、離れの傍らにある物置に依軒と二人で潜むことになった。

 物置とはいえ瑛明のかつての住まいの倍はある。入り口の扉と対面の窓以外の壁面には全て棚が設えられ、物で埋め尽くされていたが、二人が居るには十分な広さだ。ご丁寧に椅子と卓子まで運び込まれているのだからなおのこと。


「いつまでこうしてればいいんだと思う?」

「とりあえず今しばらくは……」


 瑛明と依軒は、それぞれ本と繕い物を手に、窓際に座った。

 天気のいい日の常として開け放たれた窓からは、十分な明るさが手元を照らしてくれている。なのに開いた本の文字は目を滑っていくだけで、少しも頭に入らない。対して依軒はせっせと針を動かしている。その姿に、瑛明は自分の小者ぶりにため息をつかずにはいられない。


 俺って母さんのことになると、ちょっと過保護になってしまうのかも――そう思い、身を入れて本を読もうと座り直したときだった。


 大きな音がした。


 人声、悲鳴――、いや、泣き叫ぶ声!

 声の主を悟った瑛明は、本を投げ捨て、物置を飛び出した。


「母上!」


 部屋に駆け込むと、母が牀台に突っ伏して激しく泣き、その傍らに立つ中相が、僅かばかり眉間を寄せ、その姿を見下ろしていた。

「結局、あなたはまだ忘れてないんだわ!」

 顔を歪めて泣き、金切り声で叫ぶ――母さんがこんなにも取り乱すなんて――瑛明は驚きの余りしばし呆然と立ち尽くしていたが、

「ああ瑛明」

 息子の存在に気づいた母が、涙で顔を濡らした顔を上げ、牀台から落ちそうなほどに手を伸ばしてきたので慌てて駆け寄ると、掴みかかるようにしがみついてきて、いっそう激しく泣いた。

 「ここにいるよ」、「大丈夫だよ」瑛明は優しく無力な言葉を重ねて、必死に薄い背をさすり続けた。戸惑いながら。

 やがて震える肩が静まってきて瑛明が少し安堵したとき、母がか細い声を震わせ、「もう結構です。もうお会いしたくありません。二度と姿をお見せにならないで」


「ちょっと母上、何言って――」

 瑛明は思わず腕の中で震える母を見下ろして、それから縋るように肩越し振り返る。そこには腕を組み、冷ややかな目で、この騒動を眺めている中相の姿があった。


 まるで、他人事のように。


 胸の奥が凍りつく。

 頭では分かっていたはずの自分たちの微妙な立場を、はっきりと思い知らされたようだ。 櫂のない舟で荒れ狂う大河に流されたような、途方もない不安に、全身が無様に震え出しそうになる。

 堪えろ……必死に自分に言い聞かせてどうにか踏ん張り、瑛明ははっきりと告げた。「申し訳ございませんが、今日はどうぞ、お引き取りを」

 「お引き取り」どころが、出て行けと言われる立場だと知りながら、言わないではいられなかった。

 痛いくらいに自分に縋りつく母を、どうにか慰め、護りたかった。


「分かった」

 中相はただ静かに頷き、踵を返した。瑛明は少なからずほっとした。

 だけどその表情からも挙措からも、動揺や困惑、いや、なんの感情も読み取れなかった。


 ――どうでもいい。


 そう示されている気がして、瑛明は母を抱く腕にぐっと力を込めた。


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