第5話 学校での日常
なんとか、本当にギリギリだったけど、遅刻しないで済んだ。
どうやら夢による不幸は寝坊したことと、あの二人組に見られたことくらいだ……今のところ……
そうだよ。
よく考えてみれば、顔はマフラーで隠していた。
あの二人が見たのはただの「時速300キロ以上で走る謎の女子高生」だ。
私という証拠は無いので問題ないだろう……たぶん。
気になるのは、なぜあの二人が笑っていたのかだ。
確認したいけど、そういうわけにはいかないか。
校内に入ってしまえば、ホームルームまで15分ほど時間がある。
そう思うと気持ちにも余裕が出てきた。
「あら、妹尾さん。おはようございます。今日も遅刻ギリギリなんて恥ずかしくはございませんの?」
昇降口で靴を履き替えていたら、嫌みったらしい挨拶が聞こえてきた。
同じクラスの花山院静香だ。
地元名家のお嬢様で、美人で品行方正、成績優秀でクラス委員長で、全く非の打ち所のない嫌味のかたまり……いやいや……別に僻んじゃいないけど。
「そういえば妹尾さん。あなたまた赤……失礼、成績が芳しくなかったようですわね。
先生もお困りでしたわ。
私達としても、クラスの平均点が下がるのは願い下げですし……」
ニヤニヤしながら静香は言う。
彼女はいつもそう、態々こうやって公衆の面前で私を貶める。
彼女が目の敵にするのは私だけ、だいたい私が彼女に恨まれる筋合いは無い……はずだ。たぶん。
どうして事あるごとに突っかかってくるのか知らないが、ケンカなら買ってやろう!!
「あらぁ、これは花山院さん。おはようございます~。
いえいえ、てっきり授業参観に来た父兄の方かと……しかも朝っぱらからコスプレなんかして、頭沸いた変態かと思ってしまって失礼しましたわ~……」
「……ギリ!……」
すげ! 奥歯噛みしめる音が聞こえた!
そして静香の顔が、目を堺にして上下で色が変わっていく。
上が青で下が赤だ、こんなの初めて見た。
笑顔で怒りを踏み潰すように、彼女は表情を崩さない。
それにしても本当に美人だ……同じ女から見ても惚れ惚れする。
宝塚歌劇団の一員と言われても納得する美貌……そう、あまりに大人びた顔立ちで、どう見ても私より5歳以上老け……いや、年上にしか見えない。
OLなら通用するが、JKとしては無理がある。
それは彼女にとって、何よりコンプレックスなのだろう。
ちなみに彼女には同姓のファンが多い。特に1年生の女子に……
「静香様、そのような野蛮な方は放っておきましょう。走ること以外芸の無い脳筋女ですのよ。」
「そうよそうよ! 全くこの寒いのにナマ脚なんて。はしたない!」
「男子に媚びてるのよ! まったく下品なかた!」
なんかいきなり静香の取り巻きが沸いて出てきた。
件の1年女子達だ。
あんたら普段からそんな喋り方なの? マリア様にでも見られてるの? おまけに静香を庇って口々に私をディスってくれてるし。
上等じゃない!
「あらぁ? 皆さんで仲良く「お大根」運んでらっしゃるのかしら?
今から調理実習でおでんでも?……っと、いっけな~い。
よ~~~~っく見たら皆さんの脚でしたわぁ!
あんまり太いから見間違えましたの、ごめんなさい、お~ホッホッホ!!」
彼女たちはわかりやすい、一瞬で血液が沸騰したようだ。
みんな揃って真っ赤な顔になった~こわいこわい。
「ああ!? ざっけんなこのブスぅ!!」
「てめ! くそがぁ! マジぶっ殺すぞ!!」
「マジむかつく! さっさと死ねよ!」
うわっ! こわ。
これまた一瞬で本性表した。
さっきのお嬢言葉はどうした? 下品なのはどっちだ?
周囲の野次馬からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
静香の取り巻き連中はそれに気付いてか、きょろきょろとそこら中を睨んで威嚇しながら押し黙る。
口喧嘩はマジギレした方の負けなのだよ。
「それじゃあ、花山院さん。また後ほど~!」
挨拶ではない、勝利宣言だ! 彼女らの間をすり抜けて、私は教室へと向かった。
―――――
「おはよう、ルナ。今日もギリギリだね」
教室に入ると、いつもの様に優しい笑顔と優しい声。
となりの席の親友、草間千鶴だ。
肩まで伸びたサラサラのストレートヘアに、トレードマークのカチューシャが似合うメガネ美少女だ。
「おはよう、千鶴。いや~、今日は朝からいろいろありましてね~……」
「ところで、そのポニテは何? イメチェン?」
おっと、忘れてた、そういえば髪を結んだままだった。
慌てて髪留めを外し、笑ってごまかす。
私達の席は、教室の最前列。
更に私は窓際で、真夏は最悪だけど今の季節はありがたい。
南からの日差しがぽかぽかと暖かいうえに、教壇からも死角になりやすいので、先生に見つかりにくい。
まさにベストポジション……後ろの奴さえ居なければ。
「むふふ。おはよう、妹尾。今日もご機嫌麗しゅう」
うわ~……出たよ、このゾッとする声。
後ろの席の山崎君だ。
私は振り向くことなく返事をした。
「ああ、おはよう山崎くん。
昨晩せっかくアナタがダンプに轢かれる夢を見たのに、今朝も元気そうで残念だわ。
それに朝からその気持ち悪い口から変な音出さないでちょうだい、耳が腐りそうだわ」
「むふ。ああそうだね、僕らの間に言葉なんて不要だよね。ぬふふ……」
毎朝これだ、一々神経逆なでするような挨拶に、私は毒舌で返す。
傍から見ると険悪そうだが、これが私達の日常会話だったりする。
私は彼の顔を見ることができない。
見たくないわけではなく、むしろすごく見たい。
彼は、たいへん「おもしろい」顔面の持ち主だ。
非常識極まりない愉快な造形なのだ。
「山崎くん。お願いだから、私を振り向かそうとしないで……
あなたの顔を見るのが辛いのよ……主に腹筋が。私を筋肉痛にしないでちょうだい」
彼は顔を見せたがるので、非常に困る。
彼と初対面の人は、ほぼ笑い転げる。
常識的にはとても失礼なことだが仕方ない。
なにより彼もそれを望んでいるのだ。
普通の人は、まず「大爆笑」する。
私の知る限り、笑わなかったのは静香ぐらいだ。
個人差はあるが、その後1・2週間は見る度に笑い、激しい思い出し笑いに襲われ、面と向かって会話できるまでには3週間近くかかるという。
そうして2ヶ月くらいでようやく飽きてくる。
私はダメだ。
2年近く経つのに、未だに彼の顔を見るだけで、呼吸困難になるほど笑ってしまう。
そして彼はそれが嬉しいらしく、毎日ちょっかいをかけてくる。
なぜ笑いたくないかというと、2年生になって最初の頃だった。
それまでは、たまに見かけては笑っていたのだが、同じクラスになったおかげで毎日笑うはめになった。
しかし千鶴との会話で、驚愕の事実を知ることになる。
「ねえ。ルナって山崎君と仲良いよね。」
「え? 山崎って? 誰?」
「……え?」
「え?」
千鶴は呆れていた。
そう、私は山崎君を「おもしろい顔」として認識していただけで、固有名を知らなかった。
てか、気にしたこともなかった。
私にとっては、たまに目にするタイトルも知らない「おもしろいマンガ」程度の認識だった。
このとき千鶴に教わって、初めて彼の名前を知った。
「ねえ、ルナ。その……あんまり大きく口開けて笑ってたら……将来小皺が増えるらしいよ?」
「……うそ」
「ほんとう」
「……マジで?」
「まじで」
「……ガチで?」
「? がち? ああ、うんガチで」
千鶴がガチに慣れてなかったのはどうでもいい。
それよりなに? このままだと私は静香以上の老け顔確定? それは困る非常に困る!!
それ以来、極力山崎君を視界に入れないようにした。
しかし彼は、執拗に纏わりついてくる。
そして運命の悪戯か、いや、たぶん先生の嫌がらせだろうと思うけど、去年の暮れから彼は後ろの席になった。
そして日夜、私に小皺を齎そうと企んでいるに違いない。