第4話 超速疾走
さあ、ここからが大変だ。
寝起きでぼさぼさのままだった髪をポニーテールに束ね、カバンからゴーグルとマスクを取り出し着用する。
マフラーを、顔を隠すようにぐるぐる巻きにした。
「よし、念のため、うん、29歩。29で行こう! ギリギリだし」
精神統一のため、一度大きく深呼吸をし、私は走り出す!
最初の一歩を踏み出した直後、私の体は100メートル先へ移動していた。
これは「超能力」といえばいいのだろうか。
明らかに生物の身体能力ではない。
私は足が結構速く、100メートルを「全力」で走ると10秒を切る。
これ自体異常なことだとは十分承知しているので、普段はかなり手を抜いて走る。
陸上部の勧誘と嫉妬が鬱陶しいからだ、私は純然たる帰宅部なのだ。
しかし「本気」を出してしまうと、話が違う。
どういう理屈か仕組みかわからないけど、一歩で最大100メートル進める。
そんな移動ができる人間なんて、過去の歴史でも聞いた事がない。
物理やら色んな法則を無視している自覚はあるが、当の私だって説明なんか出来ない。
むしろ知ってる人がいたら教えて欲しいもんだ。
始まりは些細なことだった。
小学3年生のとき、運動会で1等をとりたくて、ここで一人自主トレをしていた。
パパから貰ったストップウォッチを使い、何度も何度も走った。
しかし、当然ながらそう上手くいくわけがない。
そんなある日、ここで「妖精さん」に出会ったのだ……いや、マジで。
私は神様なんて信じちゃいない。
転んで怪我したときも、虐められたときも、ママに怒られたときも、1年生のとき教室でおしっこ漏らしたときも……困ったときに、助けてくれたことなんか無いからだ。
高校に合格したことだって、私の努力と運がよかっただけだと思っている。
お参りし続けているのはママが怖いだけだ。
しかし妖精さんは居た。
実のところ、姿が見えたわけじゃないのだけれど、悪魔や妖怪だと怖いので、私は妖精さんということにしている。
小学3年生のあの日、私はここで泣いていた。
ちっとも速くなれないからだ。
当時の私は同級生に比べて体格・体力が劣っていて、これは簡単に埋まる差ではなかった。
だから一人で練習していたのだが、全く向上せず行き詰って泣いていた。
するといつの間にか、すぐそばに誰かが居るのを感じた。
姿も見えず、気配がするだけの透明人間のような何か。
それが、私に寄り添い包み込むような感じがした。
恐怖はなく、むしろ母に抱かれるような不思議な安堵感があり、私はいつの間にかそれに語りかけていた。
何かを話すたび、それの感情が変動しているのがわかる。
会話できているようで嬉しくなった。
「はやく走れるようになりたい」
調子に乗って、それにお願いをしてみた。
今にして思えば、そんな妖しい何者かにいきなりお願い事なんて、正気の沙汰じゃないと思う。
するとそれは、困惑しているような感じがした。
そして、なぜか私は「代価」が必要なんだと感じ、いろいろと条件を提示した。
当時ハマっていた漫画だかアニメで、そんなシチュエーションが有ったからだ。
しかしそこは子供だし、考え得るのはせいぜいおやつをあげるとかお小遣いを差し出すとかだ、すると更に困惑する様子が伺えた。
そこで閃いて、自分が将来得るであろう「あるもの」を提示した。
にそれは、ふっと消えてしまった。
きっと困らせてしまったのだと思い、すぐその後を追おうと一歩踏み出した途端、自分の願いが聞き入れられたことを知った。
神様でさえ見放す私の願いを叶えてくれたそれを、以来「妖精さん」だと信じている。
そして、それ以来会っていない。
叶うなら、もう一度会いたい。
会って「これキャンセルで……」とお願いしたい!!
妖精さんを追いかけようと踏み出した一歩は、私の体を30メートル先まで移動させた。
すぐに、これは足が速いとかの次元じゃないことは理解できた。
決して人に自慢できない。
いや、他人に知られるわけにはいかないと思った。
未だに両親にも打ち明けてなし、話せるわけがない。
それにしても、最初はたいへんだった。
最初に感じたのは強烈な風圧だ。
富士○ハイランドのFU○IYAMA最前列の比ではない。
もちろん恐怖感もそれ以上だった。
そのあと、何度か試してコツをつかんだ。
そして気がついた。
(これ……誰かにばれたらどうなるんだろう?)
NASAとかに連れて行かれて検査や実験されたり、悪の秘密結社に誘拐されて改造人間にされたり……などなど。
しかしそんな考えは、晩ごはんのあとすぐに忘れ、この事は家族にも黙っていようと誓った。
何よりママに叱られるのが怖かった。
そしてこの時の私は全く気付いていなかった。
この能力と引き換えに、失ったものの大切さを
一歩踏み出した途端、視界は「点」になり、猛烈な風圧に襲われる。
「うおおおぉ! さむいぃぃー!」
1月の寒風が、容赦なく全身に吹き付ける。
季節を通してゴーグルとマスクは欠かせない。
万が一顔を見られないためよりも、これが無いと目も開けられないし呼吸も儘ならない。今日はマフラーも巻いてるが、額と両脚は無防備だ。
だから寒い! むっちゃ寒い!!
しかし困った能力だ。
今のところ、遅刻回避以外に使い道が無い、というより使ったことがないし、使いドコロもわからない。
何しろ直線しか走れないので、この道以外走ったことがないのだ。
夜の16号バイパスを疾走してみようと考えたこともあったけど、事故ったら洒落にならないのでやめておいた。
忘れてはならないのがカウントだ。
あれから時々練習して、今では一歩が最短5メートル、最大100メートルと調整できるまでになった。
今日は遅刻ギリギリだから29歩、つまり2.9kmを「本気」で走り、残り100メートルを減速につかう計画だ。
何せゴール地点には、私の身長を超える大岩が鎮座している。
こんなバカげた能力でも、慣性の法則は働くのだ。
もちろん未経験だけど、このままぶつかったらきっと私はえらい事になる。
きっとペチャンコに、もしくはコナゴナに砕け散ってグロいスプラッターな……って考えたくもない。
なので歩数を数えるのは最優先事項――とか考えているうちに、中間の未舗装ゾーンに突入した。
そのとき……視界を何かが掠めた。
いま何か居た。
クマ? いや、人間だ。
しかも二人?
大きなバイクも見えた気がする。
黒ずくめの格好で、道の脇に並んで座っていた。
ほんの一瞬しか見えなかったが間違いない。
熊かと思ったのは髭もじゃの大男。
それのとなりに髪の長い女の姿があった。
二人は私の出現に驚いた顔をしたが、過ぎ去る瞬間は指をさして笑っていた。
(何? なんなのあの二人! なんであんなところに? いや、なんで笑ってたの?)
一瞬思考が混乱し、同時にとんでもないことに気付いた。
(あ、あれ? 今何歩目? 何歩走った??)
既にヤバイ状況だった! 足を止めて急制動をかけたが、目の前に迫り来る大岩!! 死ぬかも。
ズザザザザザザザザザザー!!
猛烈な勢いで砂利だらけの地面を滑走し、小石が飛び散り砂埃が巻き起こる。
「とまって、とまってー!!」
滑走しながら必死でバランスを整え、あと数メートルに迫ったところで飛び上がり、岩に向かって右足を蹴りだした。
ダンッ!!
右足と大岩の間に鳴り響いた乾いた音。
その一瞬、全ての音が止まった気がした。
間一髪で、私は停止に成功した。
生きている……死んでない。
右足にじ~んと痺れがきた……痛いけど怪我もない、大岩には足跡がくっきりと残っている。
「はあ、あぶ……あぶなかった……」
心臓の音が脳に響いてくる。
冷や汗が頬を伝うのがわかる。
一瞬でも判断が遅れたら、間違いなく命は無かっただろう。
自分が通った跡を振り返ると、地面がえぐられ、足の幅分の溝が30メートルほど掘られていた。
転んだだけでも大怪我じゃ済まなかったかもしれない。
「あっぶね~……。ったく、あの二人のせいで――!?」
思わず口走ってはっとした。
さっきの二人。
あの二人に、間違いなく見られていた。
またまた背筋に寒気が走る。
この能力を得たときから心配し、最近はすっかり忘れていた。
油断しまくっていた。
もし世間に知られたらどうなる? でも別に悪いことはしていない。
むしろ、こんな凄い能力なのに、遅刻しそうな時ぐらいしか使ってないから誰にも迷惑かけてない。
でも、そう思ってるのは私だけで、NASAで実験動物にされたらどうしよう???
ブーン! ブーン!
「おようをわ!? びっくりした!!」
思わず変な声で叫んだ。
また心臓が止まりそうだったが、閉門1分前を知らせる携帯のアラームだった。
サイレントモードにしたままスカートのポケットにしまっていたのだ。
パパも言ってたけど、携帯のバイブ機能は心臓に良くない。
もう、考えてる時間もない、答えの出ない問題は先送りだ!
私はゴーグルとマスクをカバンにしまい、草むらの獣道を抜けて学校に向かった。
今は何より遅刻しないことが大事なのだ。