第3話 朝の騒乱
順番変えての再掲載です。
「わー! かみさま! お願いっ!!」
新たな願い事ってわけじゃない。
もちろん叶えてもらうに越したことはないけど、少しでも平静を保ちたいのと、思い過ごしであって欲しい願望が口を突いて出ただけだ。
大急ぎで石段を駆け下りた。
3段5段と飛ばしながら、不均等な石段にリズムを合わせていると、途中から均整の取れたコンクリートに変わった途端バランスを崩しやすい。
何度かすっ転んで怪我したこともあるが、今日は上手く行った。
しかしそんなことで喜んでいる余裕などない。
家に駆け込んだ途端、全てを悟った。
毎朝当たり前のように見ていた光景。
朝食と、私とパパのお弁当を準備してくれているママの姿。
テーブルについて、新聞を読んでいるパパの姿。
それが無い!!
さっき玄関を出るときに感じた違和感の正体……
キッチンに居るはずの二人。
つまりパパとママが居ない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!! 認めたくない信じられない!!
「二人とも、まだ起きてないの!?」
それは二人が未だ寝室に居て、つまり眠っている。
つまり思いっきり寝坊しているということだ。
目の前の事実をあらゆる角度から検証し、その確定事項を認識するまで1分近くかかった。私はテンパッたのだ。
「うをー!!」
――ダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダン!!!――
すぐさまキッチンに隣接した両親の寝室のドアに、百○拳を叩き込む!
「んー……うるさあい……いまなんじだとおも……あ、あああああああ!!!!」
反応したのはママの声だ。
だいたい80発くらいで目覚め、それと同時に状況を理解したらしい。
「あなた! 時jふぃひうおさjどjふぉぺ!!」
「わぁ! ママ!! kjhgはdそほpqmp!!??」
寝室でドタバタと大騒ぎしながら、二人は未知の言語で会話している。
宇宙人だったのか? それか言語を持たない頃の原始人ってこんな感じだろうか?
なんだかおもしろいので聞いていたかったが、こちらも落ち着いている場合じゃない。
真っ先に慌てていた私は、両親の慌てる様を見て、逆に少し冷静になった。
「人の振り見て我が振り直せ」ってこういうことかもしれない。
しかし時間は無情に過ぎて行き、今8時15分。
なんと1時間の寝坊だ、のんびり構えているわけにもいかない!
二階の自分の部屋へ急行する。
制服をきちんと揃えておいてよかった。
教科書やノートも寝る前に準備しておいてよかった。
因みにうちの学校は伝統的なセーラー服だ、エンジ色は珍しいかも?
ママが「おっさんが喜ぶから気をつけなさい」とパパを見ながら言っていた。
他校に行った友達なんか、お洒落なガールズブレザーで羨ましかったけど、バスと埼京線乗り継いで1時間通うなんて私はごめんだ。
男子はブレザーだけど、エンジ色はダサい。
個人的にはたまに応援団が着ている学ランの方がかっこいいと思う。
中学までの私なら、制服は畳まずそのへんにポイ!
時間割なんか出かける直前が当たり前だった。
年々厳しくなるママの躾に嫌々ながら従ってきたことの正しさとありがたさをしみじみと感じる。
おかげで身支度は5分で完了した。
さて、5分といえば300秒。
5分と思えば短いが、300秒と考えると結構長く感じる。
それは置いといて、両親はこの僅かな時間でどこまで進化したのだろうか。
「部長ぉ! 申し訳ありません! 夕飯を熱が出して娘が実家に帰って私は内職の袋張りとトイレ掃除が風呂掃除で女房のすき焼きのおかずが行方不明になり―」
パパは鏡に向かってネクタイを履き、靴下を首に巻きながら遅刻の言い訳を練習しているようだ。
ママは右手に味噌の入ったタッパーを抱え、左手に生卵を6つ入れたフライパンを持って、テーブルの周りをぐるぐる回っている。
何をしているのかわからないが、何がしたいのかは理解できた。
テンパった二人には、300秒は短すぎたらしい。
「ママ! もう朝ごはんもお弁当もいいから、食パンだけ用意しといて!」
そう言うとママは味噌とフライパンをテーブルに置き、パパにコブラツイストをかけ始めた。
いや、あれは卍固めだろうか? しかもがっちり決まっている。
てか、そんなことよりパン探しといてよ。
その間に洗面所で洗顔と歯磨きを大急ぎで済ませ、キッチンに戻り冷蔵庫から牛乳を一本取り出しカバンに入れた。
そしてママの方はというと……げぇ!?
食パンを皿に乗せて、なぜか必死に生味噌を塗っている?
いや、正確にはたっぷり盛っている。
「何やってんの! もーっ!!」
そんな気持ち悪いもの食べられるわけがない。
「あ、ああああ!ごごごごめんなさい!!」
更に狼狽したママは、最後に1枚残った食パンを自分で食べ始めた。
こりゃダメだ……朝ごはん抜きは確定した。
もはやこのオバハンに何を言っても通じないと諦めるしかない。
「パパ、お昼代千円頂戴!」
さっきから転げまわっているパパに頼んではみたものの、これまたどうしようもないことになっている。
鼻を押さえてもがいていた。
どうやら首に巻きつけていた靴下が、昨日脱いだ使用済みだったうえに、臭いの原因が鼻のすぐ近くに在ることに気付かないらしい。
実際、お昼代程度のお金は持っている。
混乱に乗じてちょろまかそうと思ったが、もう時間がないので二人を放置して先に出かけることにした。
パパの遅刻は確定だ。
――――――――
瑠奈は家を出た後、普段の通学路とは反対の方へと走った。
現在の時刻は8時25分。
学校の閉門時間は8時30分で、残り時間は約5分。
通常、学校までは徒歩で40分。
バスを利用すれば15分ほどだが、バス停まで10分かかるうえ、渋滞などの道路事情により変動する。
なので、あまり確実な手段ではない。
普段から遅刻ギリギリの彼女なのだが、遅刻そのものは未だかつて一度も無い。
彼女の学校は厳格な校風で、それは勉学や部活動はおろか、服装や生活態度に置いても非常に厳しい。
中でも遅刻については殊更に厳しく処罰される。
特に正当な理由無く遅刻した者は、400字詰め原稿用紙8枚に及ぶ反省文と、放課後に校庭を20週走る罰が与えられる。
更に、前述の反省文を、月に一度全校生徒の前で朗読させられる恥辱を与えられる。
これは数年前の生徒会が決めた罰則で、学校側の強制ではない。
当時の全校集会で、生徒会長がこんな提案をした。
「些細な違反と許していれば、いずれ大きな過ちをも犯してしまう。
一人の甘えた考えが、やがて全校生徒の災いと成りかねない。
先輩たちが築いてきた我が校の品格を落としては、我々や後輩たちの将来を脅かす事になるだろう。
よって我々生徒会は、この議題に対し諸君の決議を求む!」
具体的な意味合いは、学校の評判が落ちると自分たちの進学や就職に少なからず影響を及ぼすという事だった。
無論、それに異議を唱えるものなど居ない。
正直に反対意見など言おうものなら、内申に響くことは火を見るより明らかだった。
皆、この高校に入学した以上、進学も就職も約束された将来が待っている。
自分たちは勝ち組であり、そうで無くては困るのだ。
当然この提案は、教職員や理事長、各有名企業や官公庁のOB達も大絶賛したことは云うまでもない。
そのまま生徒会は、厳しい罰則を課した。
そうして当時の生徒会は内外から高評価を得、ほとんどが有名国立大学を経て、各々エリートとしての道を歩んでいるらしい。
後に続く生徒たちは、自分たちが彼らに利用されたという事に気付いたものの、既に手遅れだった。
それどころか、新たな偉業を残さないかぎり、先輩を超えられない無能者というレッテルを貼られてしまう。
皆、必死で評価を上げようと焦る余り、世代を経るごとに、罰則や規則の追加や再編が行われ続ける事態に陥っている。
そんなハイレベルな学校に「家が近い!」という理由で入学したのは瑠奈以外には居ないだろう。
もっとも彼女が遅刻をしたくない理由が、罰則が怖いだけなのも云うまでもない。
彼女が通学ルートを離れて向かった先は、すぐ近所に在る封鎖された建設中のバイパス道への入り口だ。
そこのバリケードを潜り抜け、道路へ侵入した。
ここは例の神社が在る丘の裏手にあたる。
30年ほど前に開発が始まり、途中まで舗装されているのだが、計画がそのまま頓挫して半ば放置されていた。
造成途中、原因不明の事故が多発し、建設業者が逃げ出したなどと囁かれているが、真偽のほどは不明である。界隈では『呪の道路』と呼ばれている。
人が立ち入ることは滅多にないので、彼女にとっては都合が良い。
何しろここの終端地点は学校の真裏に続いていて、そこから校門までは1分も掛からない位置にある。
問題は、そこまでの到達時間であった。
ここから目的地までの距離は凡そ3km。
正規ルートよりも遠回りで、普通に歩けば30分ほど掛かる道のりだ。
しかし彼女にとってそれは問題ではなかった。