第1話 いつもの悪夢
1月も半ばに差し掛ると、寒さも本格化していた。
―「今年は暖冬傾向で――」―
などとニュースや天気予報では、まるで春先の陽気の如き表現で大衆を先導し、デパートや衣料品店の売上向上に寄与せんとしている。
曳いては日本経済のデフレ脱却を目指さんという目的があるのかどうかはさておき、実際には寒さはまだまだ始まったばかりだ。
彼女「妹尾瑠奈」にとって、寒さとはこの時期一番の大敵である。
尤も、春には眠気、夏には暑さ、秋には食欲といった具合で大敵は変貌し続けるのだが、これは多くの人々にとっても同じ事だろう。
高校二年生の彼女にとって、そろそろ受験という言葉が重く伸し掛る時期でもある。
本人にとってみれば、二年前にも似たような苦悩に満ちた日々があり、努力と幸運と偶然によって乗り越えた。
去年はその反動で、実に安穏とした日々を満喫していたのだが、最早それは遠い昔の話。
現実逃避の許されない時期に差し掛かっている事は、本人が一番熟知している。
そんな彼女にとって、睡眠こそが何よりの楽しみであり、現実を忘れられる娯楽の時間であった。
明日、目を覚ませばそこは「月曜日」という一週間の始まりである。
時間は有効に使わなくてはならない。
これは彼女がこの一年で辿り着いた真理である。
その為に、制服をきちんとアイロンがけし、ハンガーに吊り、明日の教科書やノート、さっき終わったばかりの宿題も、全てカバンに収納してある。
中学の頃までは、制服は脱ぎっぱなしで放り投げ、金曜の夕方から月曜の朝まで1ミリも動くことは無かった。
時間割は出発直前に揃え、宿題など学校に着いてから友人に頼み込んで丸写しする日も多かった。
彼女がここ迄変わったのは、年々厳しくなる母の躾の賜物であるが、彼女にとっては単に母が怖いだけで、基本的に性根が変わったわけではない。
それでも時間を有効に使うことを学習した彼女は、1分1秒でも多く眠る為に、その努力を惜しまなくなった。
―――――
「おやすみなさーい……」
私は冬の、このひと時がなにより好きだ。
自分としては、あまり感じていないのだが、私はよく夢を見るほうらしい。
両親も、親しい友人たちも、私ほど頻繁に夢を見ないという。
実にもったいない……
私にとって『夢』とは、日常起こりえない出来事や、
理想・願望を疑似体験できる、いわば『娯楽』である。
私事で、甚だ恐縮ではあるが、未だに家族揃って出かけたことがない。
友達からの情報によれば、普通は家族揃ってネズミーランドや絶叫マシーン。
箱根や草津の温泉で家族風呂、キャンプやバーベキュー……
なんてイベントを、一度や二度は経験してる。
私にはそんな思い出がない。
家庭の事情かもしれないが、経済的な事情ではないようだ。
パパは市役所勤めの課長さんで、ママは記憶の上では専業主婦。
余裕があるとはいえないが、無いとも思えない。
とはいえ、それぞれ片方ずつとはわりと出かけていた。
ママとショッピングに行ったり、パパと遊園地で遊んだり。
そのおかげで、友との話題には事欠かなかった。
両親なりに、気を使ってくれたのだろう。
だけど、夢の中なら家族が一緒だ。
もちろん毎回そんな夢を見るわけじゃないけども、子供の頃はそれが嬉しかった。
最近は私の願望がモロに出る。
もちろん内容は秘密だ。
それに夢の中で、辛いことや怖いことが起こっても、目覚めれば強制終了!
これはほっとするよね。
ただ、欲しい物手に入れたり大金持ちになった後の目覚めはさすがにがっかりだよ。
ともあれ、明日は月曜日。
一週間の始まり……つまり、また学校が始まるわけで……
ちょっとばかし憂鬱な気分のまま、布団にもぐりこんだ。
課題も終わったし、明日の準備もばっちりだ。
制服も洗濯し、アイロンがけもやって、ハンガーに吊ってある。
高校生になってから、ようやく身についた習慣だ。
中学までは、毎日ママに小言いわれながら……
……あ、明日って何か忘れてなかったっけ……あ、わたし誕生日…………
身体全体の力がゆっくりと抜けて行くのを感じる。
一日の最後を締めくくる、私だけの娯楽の時間。
幸せのひと時…………あ、あれ?
眠りについた途端、何かに引き寄せられたように、真っ暗な空間に私は居た。
(あぁ~……マジか。またあいつか……)
そこは深海とも宇宙ともいえないような、上下もわからない奇妙な空間。
夢のはずなのに、そうでもないような……。
いつもながら不思議な……『悪夢』だ! 間違いなく悪夢だ! 異論は認めない!
いつの頃からか忘れたが、私は時折この悪夢を見る。
しかも、内容はいつもほとんど同じ。
周期的ってわけでもなく、1年に1回ほどの時もあれば、1・2カ月に一回のことも。
この空間で待っていると、やがてそいつはやって来る。
《やあ、お待たせお待たせ。久しぶりですね~、元気でしたか?》
馴れ馴れしく戯けた態度、それは暗闇にあって、薄っすらと青い光を放つ謎の人型。
顔も身体も光で出来た奇妙なやつだ、男なのか女なのか性別すらわからない。
以前テレビで見た話しによれば、夢に出てくるのは家族や友人知人などの自分に関わりが有る人間や、その記憶をごちゃ混ぜにして新たな人物像として構成されたりするらしい。
だからマンガやアニメのキャラクターが、さも現実に現れたような楽しい錯覚を生み出したりするものらしいが……私はこいつに全く覚えがない。
《それでは今夜も頑張ってください。先ずは前回の続きからです》
その言葉と同時に、私はくるくる回り出す。
悔しいことに、この悪夢の中では私の身体は私の意志から解き放たれる……というか、こいつの言葉に従って、勝手に動き出すのだ。
それも何やら妙な踊りをさせられている。
(……もういい加減にしてもらえないかな? だいたいあんた何者なのよ?)
言葉が出せないので、心で訴えるが……いつも通り、全く無視。
そもそも口が動かないし、目も動かないので、私が何か訴えたいことも気づいて貰えないのだろうか。
そろそろいい加減飽きてきた、今夜は色々試してやろう。
(あんたが何者なのかはもういいわ、でもこんなコトして何が楽しいの?)
《はい、よく出来ました~。今度は腕を上に上げて~……》
(前からあんたの事嫌いなんだけど、いい加減帰ってくれない? 私は寝たいのよ)
《では、次。この動きを三回繰り返し~はい次は反対方向で~》
ここまで全く無視。
(バーカ、ターコ!)
(デーブ、ブース!)
(ハゲ! 童貞!)
《…………………ぐっ……》
今のどれかに反応しやがった、やっぱりこいつ聞こえてる……。
(ちょっと! 聞こえてるんでしょう!? 何か言いなさいよ)
《……聞こえてなんか……あ……》
(ほらやっぱりぃ!!)
《う、うるさい! ならばこうだ!》
(きゃー! やめてー!)
《ほれほれ! こうしてくれる、こうしてくれる!》
(ごめんなさい、私が悪うございました。だからやめて、帰ってぇ!)
ひどい、花も恥らう乙女に、JKに対してなんて恥ずかしいことを。
《それでは今夜はここまです。近いうちにまたお会いしますので》
(はやく帰れぇ鬼畜生……)
そうして奴は……私は「青い悪魔」と呼ぶが、ようやく帰ってくれた。
帰ったというか、青い悪魔が消えると同時に私が現実に引き戻されるだけなので、考えようによっては私の方が帰ったのかもしれない。
それにしても温かい……まるで朝日のような――
「…………え?」
ああ、もう朝だ……窓からの日差しがそう告げている。
今日は月曜だし、今更夢の世界にトリップすることは状況的に許されない。
時間は有限で、大切なものなのに……うかうかしていれば、すぐに過ぎ去り徒に年齢を重ね、取り返しがつかないのに……青い悪魔のおかげで貴重な私の至福の時間を消費した。凄え損した気分だ……しかしあれも私の夢のうちだ、諦めるしかない。
それよりも問題は、あいつが夢に出てくると、その日一日ツイてない。
ツイてないどころか、100%の確率で悪い事が起こる。
絶対奴は悪魔に違いない!
悪い事といっても別に、天変地異や重大事故や自爆テロとかではなく、極めて日常的で限定的な話だ。
つまり、今日私に良くないことが降りかかるということ……
しかし本人にしてみれば、これが結構深刻だったりする。
不幸の種類や被害は様々で、それだけに予想がつけ難いし、対策も打てない。
最近はある意味馴れたもので、経験則に従い直前に予想できる事も有るのだが、大抵の場合は直前過ぎて意味が無い。
例えば、進行方向に対してタンスが有り「足の小指」とイメージが閃くが、間に合わずにぶつけて悶絶したり、上手く回避しても、その直後柱やテーブルの足にぶつけて悶絶する。
足の小指をぶつける運命を悟っていながら、結局はそれに従うのが未来の結果なので、逆らうことは不可能なようだ。
道を歩いていて小石を見つけ、それを踏んで転ぶ予感がしたので、避けた途端滑って転んだこともある。
足元に滑る要素は無かったはずなのに……これはとんだ未来予知だ。
予測できるうちはまだ良い。
去年、男子に呼び出され、体育館裏に向かう途中野球部のボールが頭を直撃した。
保健室送りになるし、でっかいたんこぶ拵えるし、なんか男子生徒の約束すっぽかすはで散々だった……そういえば、彼はなんの用事だったのだろう? 名前も覚えてないからいいけど。
痛みはやがて癒えるものだから、肉体的被害のうちは、まだ良い。
小銭を落とすのはよくある事だが、半年かけて貯めたお小遣いを財布ごと無くしたのはさすがに辛かった。
スマホに機種変しようとコツコツ貯めたのに、お店での契約段階で気づいたときの恥ずかしさや気まずさ……そして失った金額の大きさに凹んだ……
週末ならともかく、月曜にこの夢は悲惨すぎる。
ただでさえ低いモチベーションがすでにマイナスだ、せめて最小限の被害で済むことを願ってやまない。
そういえば、また近いうちにとか言っていたような……そもそもなんでこんな夢見るんだろう?
「……まあいいや。さっさとお参りの方、終わらすか」
寒いけど頑張って布団から這い出し、気合と共にジャージに着替え、いつものように部屋を出た。