第二章 リージェント・ストリートの大天使 ~3~
リージェント・ストリートは、今日も賑わいを見せていた。
入学式当日よりも活気が溢れている、とすら言えるだろう。
多分、土曜日だからだ。ユナイテッドキングダムの余暇時間。〝土曜半日休日制〟によるところだと思う。
ティンカーは九日前と正反対に、リージェント・ストリートを西向きに歩いていた。
――普通って良いなあ――!
心の底から安堵する。
あの日。逆向きに進んでいた時には、ここまで普通から遠ざかるとは、微塵も思っていなかった。まさか、魔術の授業を受けるなどとは、想像だに出来なかったのだ。当然ではあるけれども。
だから、こうして友人と昼食を食べに行くと言う、極々普通な青春が、ありがたくて仕方ない。
そんな感情が、アントロポソフィー学園 から離れれば離れるほど、強くなって行く。日常に帰着して行く気がする。
「ティンカー、どの店入る?」
「〝Sushi〟の店ってないかな? ルドルフ」
「〝Sushi〟か。それも良いね。近年、日本からの移民が増えて、本格派になって来たって聞いているし」
ユナイテッドキングダムは、多民族国家だと良く言われる。
スコットランド人・ウェールズ人・アイルランド人こと〝ケルト人〟の地域に、イングランド人と呼ばれる〝アングロ・サクソン人〟が移住。
更に、植民地からの人種も多く、〝人種のサラダボウル〟に近付いていると聞く。
「ただ、移住が増えて人種差別問題が根強いらしいね?」
「その内解決するんじゃないスか? 最近はグローバルな世の中だし」
やがて時が経てば、自然と正されて行くのだろう。平和ボケと揶揄されたらそこまでだが、現にこの瞬間も、安寧が流れている。
開放感からの伸びをした。
「いやあ。平穏っスねぇ……」
☆ ☆ ☆
男は、酷く苛立っていた。
たまの機会に愚民の中を歩んでみたら、奴らと遭遇したからだ。
腰元のベルトに収まっているだろう魔導書を確かめなくとも、上に纏った黒の制服と、〝紋章〟さえ見れば、彼らが魔導師であることは筒抜けだ。
己の敵対すべき存在が、こんなところで暢気な顔をして、堂々と暇を潰している。度し難いことだと感じる。
「いやあ。平穏っスねぇ……」
灰色頭の青年が、腑抜けた口調で伸びをしながら呟いた。
青年の台詞は、ただひたすらに神経を逆撫ですることしか出来ない。
――紛い物の分際でっ……!!
彼らは、バカどもが形成したこの不条理な世の中を、更に冒すガンだ。狂った思想に従った、咎人どもを導く腫瘍だ。
許す訳には行かない。粛清せねばならないのだ。
機は熟していない。〝あの方〟が目的を達するには、まだ、準備段階だ。
だがそれでも、逆鱗に触れられたその怒りは、猛り狂っている。模造品の一匹二匹を駆逐したところで、問題はないだろう。
だから、男は……、
☆ ☆ ☆
背後から、圧力が来た。それは風圧のようであり、熱圧のようにも感じる。
そんな違和感から、ティンカーは振り返った。――体躯のすぐ隣を、圧力が駆け抜けたのは、直後のことだ。
更に、それが何かを確かめる間も許さず、後ろで衝撃音が轟いた。どう考えても、自分の脇を掠めたものによって。
暴走した車がトップスピードで突っ込み、それが自爆したような、速度と破壊圧を両立した衝撃。
頭を戻して確認すると、直撃を受けたのは、東洋由来の大手ファッションブランド。そのユナイテッドキングダム支店のようだ。
理不尽極まりない流れ弾の仕業で、店舗のショーウィンドウは、無残な姿に変わり果てている。店先のガラス窓は爆散し、展示されていた服装類は、原型が分からないほどに焼失していた。
残っているのは、黒ずみや燃えカスだけだ。それらは、シュウシュウと蒸気に似た音を立てて、燃焼している。融解した硝石が、流体の姿でドロリと地に落ちた。
店内に誰かがいたとしたら、最悪死に至っているだろう。体中に奇妙な悪寒が走る。何しろ、その脅威は自分に向けられたものだからだ。
自然と笑みの形を取っていた。面白いからではない。理解出来ない恐怖を前にしたら、人体は緊張感から、口角が引きつるようだ。
「…………は?」
視線をもう一度、背後へと向ける。そこにいたのは、白を基調とした男だった。
二メートルに近い体躯は、服の上からでも筋骨隆々だと判別出来る。薄緑の髪は長めで、後頭部をポニーテールにしていた。
上着に施された金の刺繍と、十字をモチーフにした、シルバーのネックレスとピアス。それと、茶色の編み上げブーツを除くと、白のみが残る服装だ。
謎の男の上着がはためいた。己が引き起こした爆発を発生源とした、空気の乱流によって。
「良い身分だな〝チーフチルドレン〟。このような愚民の群れの中で暇潰しとは。流石は、愚民を導くために生み出されただけはある。その高慢さには、ただただ呆れるものだ」
〝チーフチルドレン〟? 導くために生み出された? 何のことだ?
「もはや、その仕業には我慢ならん。我の逆鱗に触れたことを悔いながら。……消し飛ぶが良いっ!!」
見間違いかと、自分の目を疑った。しかし、事実だ。――男の掌が炎を帯びている。
振りかぶられた右腕に、大気を歪めるような高温と、白く清い光の煌めきが、纏わり付いているのだ。
オーバースローから放たれた炎波は、硬直したこちら側二人の頭上を越えて、再び店舗に叩き込まれた。今度は二階部分が焼け落ちる。
刹那。リージェント・ストリートに絶叫が旋回した。
ある女性は「ジ・ハード!?」と叫び、ある家族は「三度目の襲撃か!?」と戦慄し、ある学生が「〝クルセイダー〟って本当にいたのかよ!?」と叫喚の音を漏らす。
人々が右往左往し、逃げ惑う中、それでも、足が動かない。代わりと言うように、脳内を思考が駆け巡った。
一体何者だ? アイツも〝魔導師〟だとでも言うのか? いや、それにしては書物を携えている様子は見えないし……。だとしたら、アイツは何の力も介さずに、火炎放射器の真似事が出来るって、そう言うのか?
「……マジ、っスか?」
今や、目抜き通りに佇んでいるのは、三人だ。自分と学友とテロリストだ。それ以外、人っ子一人いない。
「どうした!? 呆けている余裕があるのか!? せめて少しは、抵抗を見せてみよっ!!」
今度こそ、直通ルートを炎が駆けて来る。直撃すれば死に至るだろう大火力。
「う……あ……!?」
右隣から、ガチガチと音がした。恐怖の余り、ルドルフが歯を鳴らしている。
その様子を見て我に返った。歯を軋らせて、すくんで上手く動かない足で、無理矢理地を蹴った。
「――――逃げるぞっ!! ルドルフっ!!」
ルドルフの右手を鷲掴みにして、引っ張る。コンマ数秒の後、彼が踏んでいた石畳が、爆ぜた。
振り返りもせず、ただ駆ける。僅かでも足を止めれば、炎に呑み込まれるからだ。
背中側から何度となく、爆発音が鳴り響く。
感覚としては、戦車と相対している気分だった。いや、戦車よりも高火力で、連射が可能なのだから、もっと質が悪い。悪い冗談の域に達している。
「うあっ!?」
驚きと焦燥の混じった声がする。ルドルフが石の段差に蹴躓いたのだ。
「ルド……!!」
振り返った時には、既に、謎の男が次弾を射出していた。着弾地点にはルドルフがいる。
間もなく、彼の人生は焼死と言う形で、終わるのだ。
――気が付いたら、ティンカーは横っ飛びしていた。ルドルフと炎の間に、体をねじ込むために。
だからと言って、何が出来るのか? 犠牲者が一人増えるだけ。ただ、あの男の炎が、自分諸共二人の人間を焼き尽くすだけなのに。
それでも、ティンカーは左手を伸ばした。その人差し指には指輪がはめられている。真鍮と鉄で作られた、五芒星を刻まれし指輪。
……待てよ……?
そして、思い出す。自分の〝魔導書〟の能力を。
認めたくない。こんな非日常を。……だが、このまま死んでしまうと言うのなら、どうかどうか、アレが〝魔術〟であってくれ。そう思う。自分の〝魔導書〟が本物であってくれ。そう願う。
右腰に携えた〝ソロモン王の遺言〟を、ホルダーから引き抜いて唱える。
『ソロモンの名において、汝、ひざを屈するが良い!!』
炎が霧散した。霧が晴れるように。跡形もなく打ち消された。
この日。初めてティンカーは〝魔術〟を使った。
☆ ☆ ☆
ルドルフは、その動きを見た。
自分を庇うように、炎の前に立った友人が、〝魔導書〟を引き抜くのを。
そしてルドルフは、一つの結果を見た。
彼の〝詠唱〟により、炎が消え去ったのを。
二つの事実が意味しているのは……、
「……魔術って、本当にあるんスね」
と言う、彼の言葉そのもの。
ティンカーは魔導書を以て、クルセイダーの男が使用した魔術を、制したのだ。
順接的に考えたら、自分の魔導書も本物で、それを用いたら、魔術と言うものが扱えるのだろう。
半信半疑だったが、現状においてその真実は、救いにしか見えなかった。
――火に対するなら、当然水が効果的――!!
自分もティンカーを真似るように、ベルトのブックホルダーから魔導書を抜き、ページを捲った。
ルネサンス期に認められたとされる書物は、名を〝オカルト哲学〟と言い、〝自然魔術〟の使役法が綴られている。
〝自然魔術〟とは、即ち、世界を構成する四つの要素。〝地水火風〟の〝四大元素〟を操る術式のことだ。
〝オカルト哲学〟では、詠唱・ペンタクル・方角・日時などを組み合わせた〝儀式〟を行うことで、霊体を召喚し〝自然魔術〟を発現出来るらしい。
まだ知識が浅く、厳密な儀式の方法は全く分からないが、火を消すなら水と言う、シンプルかつ、テンプレートな自然の摂理くらいは分かる。
だから、ルドルフは唱えた。
『来い! ウンディーネ!』
呼応するように現れたのは、美しい女性の姿を持った、青い影。自然魔術の基礎となる〝四大精霊〟の一角。水の精霊〝ウンディーネ〟だ。
本当に召喚出来た! と、仄かな驚きを得ながら、彼女に攻撃指令を出す。
どこからともなく、無数の水滴が現れた。それらの飛沫が一点に集う、形成されたのは、巨大な水球。
水球は砲弾の如く撃ち放たれた。標的は白服の大男だ。
「……〝焼け石に水〟と言う言葉を知っているか?」
しかし、男は平然としていた。
余裕綽々と言いたげな、彼の右腕の薙ぎ払いが、こちらの希望など一笑に付すかの如く、水色の砲弾を瞬時に蒸発させた。
「…………え?」
宛ら、夢破れる感覚に似ている。詠唱以外の条件を把握出来ていない自分が、呼び出せるのは、〝精霊クラス〟が精一杯。
それが敵わないならば、希望はない。
「東洋の一国の言葉らしい。何の役にも立たない、との意味でな。我の〝大天使の右腕〟の前では、〝精霊〟など正にそれだ」
言いながら、男が腕を振るった。未だに正体が分からないながらも、恐らくは精霊より上位で、儀式を要しない魔術の火炎。
『ソロモンの名において、汝、ひざを屈するが良い!!』
対して、ティンカーが再び唱えた。直撃寸前で、火炎の奔流が掻き消える。
どうやら、〝能動タイプ〟の自分の魔導書とは違い、相手の霊体に介入するもののようだ。
「ナイス! ティンカー!! その魔術があったら、防御の方は無敵だね!! 攻撃の方は……」
「マズイっスよ?」
何やら、ティンカーの顔が青ざめている。
「これ……、あと一回の発動が、限度っス」
「…………マジで?」




