第二章 リージェント・ストリートの大天使 ~2~
〝作業系〟の教室は、一般的な学校における工作を行うような、内装だ。
室内は〝基礎教育〟と同じく長方形の造りで、机とイスは一対二。机が大きめなのは、作業しやいように、との配慮だろう。
金属を扱うこともあるらしく、工具や彫刻刀も揃っている。
……ここまでならば、現実離れしていなくて良いのだけれど、この真面でない学園では、その程度で許す筈がなかった。
部屋の中をモウモウと満たす煙。どことなく、体に良さそうな香りも漂っている。
その出所は、部屋の後部に存在する〝火桶〟だ。
火桶には炭がくべられ、薫香として乳香やらアロエやらが焚かれている。これだけでも十分怪しげなのに、火桶は謎の紋様の上に置かれていた。
調べなくても見た目で分かる。あれは〝魔法円〟だ。
――ここまで凝ってたら、逆に感心するよなあ……。
聞いた話。この設備は、〝ペンタクル〟とか呼ばれる〝魔術道具〟の製作に、不可欠らしいが……。
「集中しないとケガするよぉ? コードウェルくん。その〝ソロモン王の指輪〟は、キミの必需品なんだから、真剣に作りなさい?」
グッタリするほどオカルト要素満載な部屋の中で、ティンカーは、彫刻刀片手に作業していた。
ウェイト先生とのマンツーマンな、本日の授業内容は、指輪に印章を掘ることだ。
「本当にこれって必要なんスか? 真鍮と鉄で出来た輪っかに、星マーク掘ってるだけじゃないスか」
「何言ってるのぉ? ただの輪っかじゃないのよぉ? それは、〝大天使ミカエル〟からの贈呈を再現するため、正式に教会で〝聖別〟されたものなんだからぁ」
「いや、良く分かんないスけど……。そもそも〝魔術〟の使役ってのが、未だに信じられないし……」
☆ ☆ ☆
……一度、詳しく話す方が良さそうねぇ……。
ウェイトは、ティンカーのやる気の漲らなさを感じ、そう決めた。
彼は、ソロモン王の遺言を〝読めた〟時点で、〝魔導師〟として成り立つのだが、どうも自覚がないようだ。
「コードウェルくん、おさらいをしましょうかぁ? キミは〝魔導書〟とは何をするものか、分かっているかなぁ?」
「え? そりゃあ、〝魔術〟を操るためのものじゃないスか?」
「残念。それは半分正解、半分不正解でぇす」
〝魔術基礎〟の授業で習った内容だが、ティンカーの様子から、授業に身が入っていなかったことが分かる。
「魔導書を用いた魔術は、〝コンジュレーション魔術〟に分類されるの。この魔術の特徴は、〝霊体〟を〝召喚〟することなのよぉ」
つまり、
「〝コンジュレーション魔術〟とは、魔術を使うのではなく、〝霊体〟に命令をして、魔術を使って貰うものなの。故に、魔導書をちゃんと読破出来たなら、誰でも彼でも〝魔導師〟の仲間入りなのよぉ」
方法の違いだ。魔導書に綴られた方法は〝霊体〟を媒体とする。
即ち、〝詠唱〟や〝魔法円〟や〝ペンタクル〟などは、霊体を召喚・使役する〝儀式〟に用いるものだ。
「コードウェルくんは、霊体に命令する最低条件を、まだ満たしていないってことねぇ。加えて、キミの魔導書は、既に存在する霊体に介入する〝受動タイプ〟だから、能動的に使うことは出来ないの」
☆ ☆ ☆
ティンカーは、二つの疑問を得た。
「そこまで分かってるなら、ウェイト先生自身で〝ソロモン王の遺言(この魔導書)〟使えば良いじゃないスか」
と言うか、
「翻訳にしたって、辞書さえあればいくらでも出来るんじゃ……」
二つの疑問は根本的なものだ。
ウェイト先生の話し振りを聞く限り、少なくとも自分より魔導書の知識は豊富。内容まで把握している。
更に、一文字一文字が何語で書かれているのか、未だに分からないが、専用の辞書を探し出せば、翻訳も複写もお手軽だ。
一言に集約したら、
「〝オレ〟って必要?」
になる。
〝印章〟とか言う、星マークを彫刻する手を止めて、右の人差し指で自分を示しつつ尋ねた。
「当然でしょう? 何と言っても、キミにはソロモン王の遺言を、〝読む〟才能があるんだからぁ」
「〝読む〟才能?」
「そうよぉ? 魔導書の真意は本来、その著者にしか読み解けないの。抽象表現の〝寓意〟とかで、書いてある内容自体が暗号と化しているものねぇ」
加えて、と先生が続ける。
「魔導書には、コンジュレーション魔術用の〝魔力〟が秘められていてねぇ? ただ適当に複写したところで、〝魔力〟の移植は出来ないの。……だから、〝再生魔術プロジェクト〟において、キミは不可欠な存在なのよぉ」
「〝再生魔術プロジェクト〟?」
初耳な名詞だ。
〝再生可能エネルギー〟や〝再生医療〟とかは、ユナイテッドキングダムで盛んだから知っている。だが、初耳だ。
「魔導書翻訳の正式名称。それも、単なるコピーではなく、大衆でも操れる魔導書への翻訳のこと。失われた魔術の再生。そのために、キミたちには魔導書の何たるかを学んで欲しい、と言うことよ。魔力も含めてキッチリ〝転写〟出来るように、ねぇ」
そこまで語って、ウェイト先生が息を挿む。
「本当は、〝ソロモン王の鍵〟が読めたら最高だったのだけどぉ……」
「それって、もしかして、一冊目の教科書っスか?」
「うん。アレは最上の魔導書だからねぇ。〝ソロモン王の小さな鍵〟はもちろん、〝小アルベール〟、〝大奥義書〟、〝ホノリウス教皇の魔導書〟など、後世にて綴られたほとんどの魔導書は、〝ソロモン王の鍵〟を基本としているからぁ」
彼女の舌の調べが、滑らかさを増して来た。
「魔術の原理を始め、儀式の規則、魔法円の描き方、霊体への呪文。ペンタクルなどの魔術道具の作成方法も、完備しているからねぇ」
良くそこまで話せるなあ。と、感銘を覚える語りっぷりだ。どうにも、彼女がオタクに見えて来る。
「アレが翻訳されれば、〝彼〟にも……」
「〝彼〟?」
復唱すると、ウェイト先生は口を閉ざした。何か失言でもあったのだろうか?
「……ううん。何でもないよぉ?」
「……? そうスか?」
まあ、こちらとしては酷く分かり辛い話だったから、途切れたのは嬉しい。そう思って、指輪に最後の一掘りを加える。
「お? 出来たねぇ? これでキミも〝魔導師〟の最低基準を満たした。さあ、これから本格的に魔術の旅が始まるよぉ」
☆ ☆ ☆
本校舎から出て来たティンカーは、左人差し指に指輪をはめていた。黄金色に近い色味で、五芒星が刻まれている。
指輪は〝ソロモン王の指輪〟との名を持つ。聖別された真鍮と鉄を原材料にした、特殊な指輪だ。制作者はティンカー本人に他ならない。
〝ソロモン王の指輪〟は、ティンカーを魔導師にする魔術道具である。
この指輪を所持することで、ティンカーには、霊体を封じる権利が与えられると言う。ウェイト談だ。
指輪の完成に準じ、ティンカーはウェイトから暫くのご高説を受けた。
コンジュレーション魔術についてのもので、教科書として使われたのは、彼が着けている専用のベルトにホールドされた、ソロモン王の遺言だ。
必然的に、空想感迸る内容で、現実感が徹底的に削ぎ落とされた時間であった。
そんな時間が一時間以上続いたのだが、〝西の棟〟へと向かうティンカーの足取りは軽やかだ。鼻歌さえ奏でている。
「テレサさん! 今日、オレ昼飯抜きでぇ!!」
ダイエットの類いではない。ティンカーには約束があったのだ。
約束とは、学友ルドルフとのランチである。言わずもがな、それこそがティンカーの心の支えなんだろう。
一階の食堂をストレートに横切り、ティンカーは軽快に階段を駆け、二〇三号室の前まで来た。
ノブを手にしたところで、彼は一旦動きを止めて、扉をノックする。
「入って良いよ?」
返答した声は、女子のものだった。落ち着きと透明さが見える声だ。
「着衣してるっスかあ?」
「大丈夫。上も下も」
男女間で、このような遣り取りは奇妙極まりない。が、ティンカーが律儀に。いや、念には念を入れているのは、何度か不測の事態に遭遇したからだろう。
扉を開けた彼は、ルームメイトのララが全身をコーディネートしているのを見て、胸をなで下ろした。もう一度言う。何度か不測の事態に遭遇したからだろう。
「お帰り。ティンカー」
ララは、デスクに座ってノートブックを開いていた。その傍らには、ティンカーのものと比べると、幾分か新しい書物がある。
書物のタイトルは〝高等魔術の教理と祭儀〟。
ララもまた魔導師なのだ。
☆ ☆ ☆
「指輪出来たんだ」
こちらを一瞥したララが言う。
「そうっス! これでオレにも魔術ってのが使えるらしいっスよ。理屈は分かんねえんスけどね」
「……ご機嫌だね? ティンカー」
意外そうに彼女は小首を傾げ、クエスチョンマークを浮かべる。正直な反応だ。何しろ、自分はここ最近、不満たらたらな雰囲気しか、漂わせていなかったし。
そんな自分がハイなのは、魔導師なる存在に認定された嬉しさから。……では、断じてない。
「今から、友達と飯に行くんスよ! 一時でも日常生活に戻れるんだから、そりゃあ嬉しいっス! 良かったら、ララも一緒にどう?」
口角を上げながら、ララを誘うと、
「危ないよ?」
予想外な返答が来た。
「キミも魔導師になったことだし、狙われるよ?」
「ね、狙われる?」
「うん。最近は物騒な世の中だから」
不吉な言葉だ。しかし、魔導師=狙われると言う等式は、どうしてだろう?
……もしかして、ララの言う〝物騒〟とは、
「〝ジ・ハード〟のこと言ってるんスか?」
〝ジ・ハード〟とは、二〇三〇年と二〇三四年に起きた、大々的なテロ行為のことだ。
どちらもテロリスト側と、国軍こと〝アームド・フォーシーズ・オブ・ザ・クラウン〟がぶつかり、多大な損害を被ったらしい。
ちなみに名前の由来は、テロリスト側が〝クルセイダー〟と自称していたからだ。
ジ・ハードには、とある都市伝説が付随する。
何でも、〝クルセイダー〟の勢力が空を飛んでいた。とか、触れた戦車を木っ端微塵に大破させたとか。
中でも、完全に眉唾の噂がある。曰く、クルセイダーは二人だったと。つまり、二人の人間に〝アームド・フォーシーズ・オブ・ザ・クラウン〟が苦戦したと。
「あんなの、あからさまに都市伝説じゃないスか! 〝アームド・フォーシーズ・オブ・ザ・クラウン〟は、名目・実質ともに世界最大の軍隊っスよ? 二人掛かりで挑むバカがどこにいるんスか?」
そう。〝アームド・フォーシーズ・オブ・ザ・クラウン〟は、ユナイテッドキングダムが世界に誇るアドバンテージだ。
陸軍・海軍・空軍で構成され、軍事費は世界第二位。平和維持活動を主として、活躍は多岐に亘る。
「国軍とぶつかり合う組織が、そんな少数精鋭な訳ないっスよ! だから、何の音沙汰もなく、いきなり〝リージェント・ストリート〟にご登場。とかあり得ないんス」
「でも……」
ララが何やら続けようとしていたが、時間が押していた。
だから、じゃ、入って来るっス! とだけ告げて、部屋を飛び出す。
待っているであろう、友人と〝平凡さ〟に期待して。




