第一章 アントロポソフィー学園の教科書 ~2~
「意味が分からん。……意図も分からん」
愚痴っぽいことを呟きながら、〝西の棟〟に戻って来たティンカーは、階段を上っていた。
思えば、ここ数日、意味分からんことが多過ぎる。
謎の推薦人が、家を尋ねて来たことから始まり、彼らの勧めた学園の真意も明白でないし、渡された教科書に至っては、内容含めて訳分からない。
もっと巻き戻したら、幼少期の件やら〝契約〟やらもそうだ。
言葉で表現したら〝陰謀が渦巻く〟的なアレか? とんでもないことに巻き込まれているのか?
などなどと、あり得ないことを邪推してしまい、脳みそが過労気味だ。
タメ口双子メイドが運んでくれた荷物は後回しにして、ベッドにダイブして仮眠でも摂るとしよう。
コキコキと首を鳴らして、二〇三号室の扉を開ける。
そこにいたのは〝天使〟だった。比喩表現だ。天使のような美少女がいた。
小柄で華奢な少女だ。白雪にも似た無垢な肌。緩くウェーブが掛かった黄色い髪が、陽光のように肩へと流れている。
神秘性を感じさせる、薄ら青い両の眼で、少女はこちらを眺めていた。
彼女の後ろにある窓からは、西に沈み行く巨星から流れる、橙の光が入り込み、彼女の美しさを際立たせる。
それは、〝ヴィーナスの誕生〟を彷彿とさせる情景だ。
彼女はショーツだけを纏っていた。
半裸の天使が口を開くより先に、扉を閉める。
しばし硬直し、右足を軸にして一八〇度ターン。更に、左足に体重を乗せ替えて同じく反転。
高速ターンアラウンドの後、壁に両手を突いて、しどろもどろを始めた。
――こっ、これが俗に言うラッキースケベかあ――っ!?
扉を開けると、その向こうには、半裸の美女がいました。嬉しいよ? 嬉しいっスよ! 嬉しいに決まってるじゃん!! 男の夢だもん!
もちろん、室内に誰かがいるとか、お着替えタイムだとかは聞かされていない。
だから、完全なる不可抗力なのだ。……ただ、現状彼女は被害者で、こちら側は加害者にあたる。
……マズイっ! これってセクハラの亜種じゃないスかあ――っ!?
下は穿いていた訳だけど、控えめな胸は全開で、その尖た、……ああ――っ!! 思考停止しろオレっ!!
「部屋入らないの?」
「うにょりゃああぁぁぁ――っ!?」
我ながら意味不明な奇声が飛び出た。
「〝ペンタクル作成〟で、服が汚れたから着替えていたの。……気にしてるの? 大丈夫。ワタシ、羞恥心あまりないから」
耳だけの情報から判断するに、先程の美少女が扉を内側から開けて、こちらを部屋へ招いている。
「そ、そそそそうなんスか!? 示談とかもなし!?」
「何言ってるの?」
「何言ってるんだろうねっ!?」
一先ず良かった。民事的なトラブルにはならないらしい。
「とにかく、中に入ったら?」
「あ、うん。では、お邪魔しま……、下ぁぁ――っ!?」
再びの奇声。今回は、ちゃんと意味がある。下だ。
「ス、スカート穿いてなぁぁ――いっ!!」
そう言うことだ。
上にはちゃんと白いシャツを羽織っているのだが、縞柄ショーツが丸見えな訳で、狼狽するには十分過ぎるエロティシズムがそこにあって。と言うか、寧ろこっちの方がエロいって言うか、……オレの獣ぉぉ――っ!!
「だから、大丈夫だって。ワタシ、羞恥心ないから気にしないよ?」
「オレが気になるんスよ!! 周りが気にするんスよ!! 変な誤解が生まれるんスよ!!」
「とにかく、中に入ったら?」
「うん、もっともだねっ!!」
☆ ☆ ☆
「ワタシは〝ララ・バッテンバーグ〟。二年生だよ。今日から、キミのルームメイト。宜しくね? ティンカー」
二〇三号室。
室内には、今度こそちゃんと服を纏った、黄色い癖毛の少女と、少女のラッキースケベで疲労困憊となった、灰色頭の青年がいる。
少女〝ララ〟は、窓に沿うように設けられた、本日からティンカーと兼用になるらしいデスクのイスに、座っていた。
チェックをメインの柄とした深緑のスカートは、ティンカーが穿いているズボンと、お揃いのようにも見える。
それもその通りで、彼女は〝アントロポソフィー学園〟の生徒。ティンカーの一個上だ。
「……ララ、さん?」
ティンカーが、おずおずとした様子で手を挙げる。
「ララで良いよ?」
「じゃあ、ララ? ……本当に良いんスか?」
彼が座っているのは、南の方向。入室に際して左にある、二段ベッドの一段目。
「うん。この学園で習うことは結構特殊だから、先輩のワタシがルームメイトとしてサポートするの」
「そこじゃなくて……」
ティンカーが伝えたいことは、大体分かる。
彼女がルームメイトで、デスクが二人分設けられ、ベッドが二段だとしたら……。
「オレは男子」
右人差し指を己に向けて、ティンカーが言う。
次に、それでララを示して、
「ララは女子」
要するに、
「〝ボーイ・ミーツ・ガール〟の摂理に従ったら、この状況は倫理的に、凄く危険だと思うんスけど……」
至極もっともな意見だ。
年頃男子と同年代女子が、同じ部屋で夜をともにするとしたら、それは擬似的な同棲生活に相当し、いくらヘタレに見えて、事実ヘタレなティンカーでも、狼になるかも知れない。
それでも、ララは不思議そうに小首を傾げて言う。
「三度目になるけど、ワタシには羞恥心が……」
「全くないのは、骨身に染みて分かってる」
続いて彼女は逆方向に頭を傾ける。
「じゃあ、ワタシが何をしようと、ティンカーが我慢すれば良いんだよ」
「人はそれを〝生殺し〟と呼ぶんだけどっ!?」
ティンカーが叫んだが、ララはそれに不服そうに唇を尖らせた。
「ティンカーは〝英国紳士〟。レディーファースト(女子の意見優先)」
「くっ!! 返す言葉がねえっ!!」
バッサリと切り捨てて、ララは綻ぶ花のように微笑んだ。
「それじゃあ、宜しく。ティンカー」
男子にしては、夢に見るような展開なのだが、それが現実味を帯びた今。
「頑張れよぉ……。オレの理性」
ティンカーは、弱々しく呟いた。
☆ ☆ ☆
翌日。〝基礎教育〟の教室。
ウェイト先生が、暢気であり、それでいて不思議そうな表情で、こちらを見ている。
「眠れなかったのぉ? コードウェルくん」
原因は自分にあった。朝っぱらから目の下に隈を作っているのだし。
でも、分かって欲しい。眠れる筈がないことを。
自分が横たわっているベッドの、一段上に。つまり、手が届くほど近くに女子がいて、あどけない顔(予想)で寝息を立てていたのだ。
加えて、時たま「……ん」とか、くぐもった声が聞こえて、理性をシェイクしやがるのだから、これで動じない奴は男じゃない。
要するに、アレだ。アレってのはつまり、……アレだ。アレがアレで……。いや、皆までは言わない。
そんな状況が、夜の入りから夜更けを通って、夜が明けるまで続いたのだから、我慢し切った自分の業績は、報奨されるレベルじゃないだろうか?
ただ自分から、オレ狼になりそうで、との告白は、思春期には言い辛いものだ。
「そうっスねえ。晒された環境が環境なだけに……」
「分かるよぉ。慣れない環境は眠れないよねぇ」
文体では正解だけど、ニュアンスでは不正解な気がする。
どうか、目の前の教え子が不純異性交遊の危機に瀕していると、気付いて貰えないかなあ……。
「まあ、それは置いといてぇ」
――置いといた――っ!!
なんて地味なショックだろう。
ウェイト先生は、こちらが眠れなかったのは、枕の違い程度だと評したようで、アッケラカンとした様子で、一冊の書物を取り出した。
「はい。新しい教科書」
「……〝ソロモン王の遺言〟?」
タイトルだと判断する。表紙に綴られているから、そうなんだろう。
またしても、ボロボロの書物だ。寧ろ、年代的な痛み具合は先日の書物以上。
手渡された書物をパラパラと捲って、寄っていた眉根を、更に寄せた。
「――〝三六デカンの悪魔〟。 ……〝ソロモン王の指輪〟?」
訝しげな表情になっているのは、内容が余りにも不可解だからだ。
〝悪魔〟との単語が出ると言うことは、オカルト方面の一品なのだと思うのだけど、これから何を学べるのだろう?
「ん。良かった良かった。これも読めなかったらどうしよう、って思ってたよぉ」
「いや、読めるんスけど……」
…………待て、おかしくないか?
自分は手にした書物を読んでいる。ボロボロな本だ。昨日の本よりもオンボロな一冊。
パピルス紙に認められていることから、近年のヨーロッパで書かれたものではない。何語で書かれているかも分からない。
……何故、読める――?
何語か分からないことが、分かる。文字は読めない。……だと言うのに〝読める〟のだ。矛盾も甚だしい。
どうして自分が読めるのか。それすらも分からないのに、読んでいる。理解している。
「さて。じゃあ、今日から本格的に授業を始めようかぁ。まずは、キミが〝魔術〟を使うための必須アイテム。〝ソロモン王の指輪〟の作成からねぇ?」
「ま……、〝魔術〟?」
「そうだよぉ?」
「これから、キミには〝魔導書〟の翻訳をして貰うのよぉ?」




