終章 ララの隣
ティンカーは、ララの肩を借りながら、戦場を去りつつあった。
自分とララの身の丈は、差にして二〇センチもの違いがある。
いくら先輩と言えど、自分よりも遙かにチマチマした女の子に、背負われるように体を支えて貰うのは、紳士として、いや、男として如何かと思うが、許して欲しい。
ほんの数分前まで、死闘していたから。
冗談じゃなく、死ぬかと思った。現在進行形で死にそうだし。
今も、体中から血液が溢れ出し、出血多量と疲労感で気が遠くなって来ている。
それでも、自分は勝った。
〝ゴッドチャイルド〟と呼ばれていた男の計画と、彼の組織したテロリスト〝クルセイダー〟は、自分たちの手で滅んだのだ。
まだ、オーディエルとか言う女の子がいるのだが、見るからに戦意を喪失していたし、彼女単体では僅かばかりの戦力もない。
かと言って、仲間を放って逃げて行くほど絆は弱くないだろう。大の男二人を抱える筋力もない。
だから、一先ずみんなの下へ帰ろうと提案し、今に至る。
「……ティンカー?」
「何スか?」
「うん。……ありがとう」
今日のララは、何時になくしおらしい。
左にある彼女の横顔を、至近距離から眺められることに、これは頑張ったご褒美なのかなあ。とか、不謹慎な感想を覚えた。
「多分、ティンカーのお陰だと思う。ワタシが戻って来られたのは、キミが必要としてくれたからだと思うんだ」
思い返してみたら、とんでもなく恥ずかしいことを叫んだものだ。
あんな台詞、今後の人生で一回言うか言わないか、定かではない。
……あ、ヤベ。クラっとする――。
鼓動が早まり血圧が上がり、結果余計に出血したようで、更に意識が飛びそうになった。
「……だから、みんなに嫌われても、一緒にいてくれるよね?」
悲しそうにララが尋ねる。拒絶を恐れて、縋り付くような顔をして。
でも。だから。ティンカーは微笑んだ。
ララの支えから自立し、もうフラフラで、立ってるだけでもやっとだけど、それでも自分の足で体を支えて、
「心配いらねぇっスよ」
彼女の背を押す。
一歩、二歩。ララが進み、その向こうからみんなが姿を見せた。
「あ、……みんな、あの……」
一瞬ビクリと肩が震える。そんなララの杞憂を、フィールド外まで蹴り飛ばすような勢いで、全員が漏れなく走り来て、
「ララ――っ!!」
彼女を取り囲んだ。
「大丈夫でしたか!? 変なことされませんでした!?」
「幼女とマッチョとご主人様なんて、明らかにソッチ系行きそうだからな!! マジで何もなかっただろうなっ!?」
「え? いや、うん。いかがわしいことはなかったけど……」
「けど?」
「許して、……くれるの?」
みんなで一拍の間を入れて、全員が全員声を揃える。
「咎めてすら、いないよ」
そう言うことだ。
学生全員一丸となって、テロリストと対決。その意志決定の段階で、ララを取り戻すことがモチベーションとなっていた、と言うだけの話。
「それより、マジ助かったわあ。最後の最後で天使が止まったのって、ララのお陰だろ?」
「ララがいてくれて、心底助かり、……ラ、ララ? 何故、泣い……? やっぱり何かされたんですね!?」
――あ、もう、無理。もう、限界……。
気力の一滴すらも絞り尽くしたのか、それとも安心したからか、目の前がぼやけて行く。
緩やかに襲い来る脱力感。
――な? ララ。心配いらねぇって、言ったろ?
☆ ☆ ☆
〝アントロポソフィー学園〟の最上階。
学園長室では、アクィナスが客人をもてなしている。
来客用に設えられた、部屋中央部の木製テーブルの上には、ティータイムセットが用意されていた。
先日、ティンカーが訪れた時とは、時間帯が異なっているためか、スコーンではなくビスケットが添え菓子となっている。――所謂、〝イレブンシス〟。モーニングティーだ。
「まずは、バベル・ホワイトバーンとクルセイダーの討伐を、感謝しよう」
客人たる黒スーツの男は、用意されたミルクティーを一口含み、堅苦しい形式張った口調で言った。
初老ながら白髪は少ない、金髪の男だ。若々しいとはとても言えないが、エネルギッシュではある。
彼は〝貴族院〟の議員だった。
ユナイテッドキングダムの議会には、上院こと〝貴族院〟と、下院こと〝庶民院〟が存在し、任命によるのだが、高位の聖職者、世襲議員には、非公選で〝貴族院〟への参加が許される。
彼は聖職者でも世襲議員でもなかった。しかし、とある計画の関係者だ。
計画の名は〝再生魔術プロジェクト〟。そう、彼は〝チーフチルドレン〟に密接に関与している。
冷静に考えたら、〝脳移植〟や〝学園建設〟。生徒の招集エトセトラが、非公人レベルで出来る訳がない。
政治面から計画をバックアップすることが、彼の役目なのだ。
「しかし、バベル・ホワイトバーンの処遇について疑問があるのだが……」
アクィナスは、議員の男が言い終わるより先に、答えを放つ。
「バベルは生かしておくべきですよ。〝法の書〟は最高位の魔導書。そして、彼はその使い手。まだまだ価値があると思いませんか?」
推測であるのだが、アクィナスは初めからそう言おうと決めていたのだ。非情とも取れるリアリズムな提案は、だからこそ有無を言わせない説得力がある。
アクィナスなりの擁護なのだろう。
「そうか。では、そう思うことにしよう」
客人は、彼女の意図を読んでか、一息分の苦笑を漏らして、二口目の紅茶を喉に注いだ。
「ともすれば、もう一つ問題が浮かぶな」
「ララ・バッテンバーグのことですか?」
男が頷く。
「ああ。バベル・ホワイトバーンが生きているならば、彼女がまたしても火種になるではないだろうか?」
「それこそ、問題はないでしょう」
アクィナスは、反撃にも似た男の言葉に、それでもなお、動じようとしない。
「彼女には、ヘタレだけど勇敢な騎士様が、付いていますからね」
☆ ☆ ☆
目覚めると、そこには見慣れた茶色があった。植物由来の色味だ。
まだ完全に頭が覚醒していないようで、理解まで数秒掛かったけれど、やがて、戻って来たんだと自覚が訪れる。
ティンカーは、〝西の棟〟二〇三号室の、二段ベッドの下段に横たわっていた。
「おはよう。ティンカー」
左の方から声がする。見ると、ララが座っていた。
何時ものように勉強用デスクに。……ではなく、自分の真横にだ。
彼女の方へ顔を向けると、額から生暖かくなったタオルがずり落ちる。どうやら、ララは眠っていた自分の、面倒を見てくれていたようだ。
「あれ? オレ何時の間にベッドに?」
「うん。あの後、失血死ギリギリで昏倒。切り傷刺し傷打撲のオンパレード。〝治癒術式〟で何とか一命を取り留めて、一日半爆睡していたんだよ」
「さ、さいですか」
気付けば、既に西日が差し込んでいた。
状況的に考えたら、ララは自分の容態をずっと見守っていたのだろう。一日半もの間、随分と心配を掛けてしまった。
だが、それだけの時間が、彼女には許されたと言うこと。つまり、
「そのお陰で、ワタシはここにいられるんだけどね?」
自分の頑張りが、実を結んだのだ。
どうやら、アクィナス学園長も約束を守ってくれたらしい。
「そっか。良かった」
「全然良くないよ?」
微笑みながら漏らした感想が、一蹴される。
――あれ? オレの設計図なら、ここで大団円の筈なのに……?
見ると、ララが頬を膨らませていた。オーバーリアクションだ。
「ララ……さん? もしかして、あの……、凄く怒ってる?」
「当たり前でしょ? ティンカーはヘタレなんだから、あそこまで体を張る必要はないんだからね? 傷付かれると、こっちが困るの」
「い、いや、最近になって良く聞くじゃないスか? 傷は男の勲章だって」
「自分の所為で死に掛けられるなんて、逆に迷惑」
「オレの努力が一太刀の下に――っ!?」
流石に不憫過ぎて絶叫した自分に、だから。とララが続ける。
「これからは、ワタシが隣で支えてあげるの。ずっとずっと。ティンカー一人じゃ危ういからね」
……ん? それって、ニュアンスがプロポー……、いや、ないか。顔とか全然赤くない……あれ? そう言えば、ララには羞恥心が……?
「宜しくね? ティンカー」
混乱するこちらを気に掛ける様子もなく、ただ笑顔で告げる。満面の笑みで。
悩んだり照れたりする自分が、何だかバカバカしくなって、彼女の笑顔が美し過ぎて、観念するように苦笑を漏らした。
「宜しくは、こっちの台詞っスよ」