第五章 ティンカーの先輩 ~6~
にわかには、自分が何をしたか分からなかった。
足の先にクレーターがある。恐らく、グレイテルの力が作ったものだろう。
そして、腕の中にはティンカーがいた。
ララは、客観的に見れば当然分かる筈の、自分の行動が理解出来ない。
「何故、その男を庇う? ララ・バッテンバーグ〝智天使の瞳〟」
グレイテルの台詞が気付かせてくれた。自分は、ティンカーの体を吹っ飛ばして、重力の叩き潰しから彼を庇った。
まるで、見えない何かに突き動かされているように、無意識なままに体が動いている。今、この瞬間も、自分はティンカーの盾のように身構えていた。
――何で? 分からない。ワタシは何をしているの――?
納得したのではなかったのか? もう、居場所がないことを。
決めたのではなかったのか? かつての仲間と対立することを。
「裏切るつもりか?」
今の仲間の台詞が、体を硬直させた。
「……アホか。決まってるじゃないスか」
後ろから、彼の声がする。何てことねぇっスよ。とか、副音声が聞こえるくらい、
「帰って来ただけっスよ」
緩んだ、温かい声が。
「――うん。そうだね」
グレイテルが忌々しげに舌を鳴らす。
「残念だ。躾をせねばなるまい」
サイドスロー気味に右腕が構えられる。間もなく、風の薙ぎ払いが来るのだろう。それでも、臆することはなかった。
「ワタシは、ティンカーの先輩だから、助けるのは当たり前だね」
真空の刃が放たれる。
対抗として、愛書〝高等魔術の教理と祭儀〟を構え、〝教理篇〟の詠唱を開始した。
『星の光よ我に答えよ』
光の羅列が宙に浮かぶ。羅列が教えてくれるのは、〝大天使の右腕〟が放った鎌鼬の正体。
更に、自分の双眸〝智天使の瞳〟に〝真名〟が映っていた。
「〝大天使ラファエル〟。大気成分の調整により、真空を生成。――ティンカー!」
皆まで言わずとも、ティンカーには自分が何をすべきか、分かっている筈だ。後ろから、仄かな笑みの音がするから。
『ラファエルと呼ばれしものよ! 汝の仕事は大気の調整だ! 偉大なる神の名において、第七天に帰ると良い!!』
風切る、空気の音色が、こちらへ届くより先に途絶える。
「っ!! ちぃっ!!」
苛立たしそうな舌打ちとともに、グレイテルの右手の先に、光の捻れが生じた。
視認。即、教理篇にて文字に起こす。
「〝大天使ウリエル〟! 地球が有する重力の制御!」
『ウリエルと呼ばれしものよ! 汝の仕事は重力制御だ! 偉大なる神の名において、第七天に帰ると良い!!』
ティンカーの〝ソロモン王の遺言〟は、儀式の難易度が群を抜いている。
条件として、〝名前〟と〝能力〟を当てはめた、正式な呪文を詠唱しなければならないからだ。
……それなら、ワタシが手伝うっ――!!
今のティンカーは、〝大天使〟専用の呪文を把握している。足りない要素を自分が補えば、このようにグレイテルの能力に封を出来る。
重力の波動を掻き消されたグレイテルが、続いて氷の投げ槍を放った。
「〝大天使ガブリエル〟! 水分の三態操作!!」
『ガブリエルと呼ばれしものよ! 汝の仕事は水分の三態操作だ! 偉大なる神の名において、第七天に帰ると良い!!』
自分の胸元を貫く、ほんの数瞬前。氷槍が、水蒸気へと昇華した。
☆ ☆ ☆
唖然としか、言えない。
目の前で起きている光景を、グレイテルは受け止め切れなかった。
――大天使の、……右腕が……。
真空が霧散し、重力波を制され、氷の刺突は掻き消された。その光景が何を意味しているのか?
疑問が脳内を巡り巡る。体中から気持ちの悪い汗が湧き出る。
見開く自分の眼は、次なる動きを見た。ティンカー・コードウェルの足が、踏み出された動きだ。
反射的に。何時ものように。右腕を突き出した。
何も起きなかった。
火の粉は散らず、風は揺らがず、水は従わず、地の力も感じない。
そして、ようやく気付いたのだ。〝大天使の右腕〟が宿す、〝四大天使〟のことごとくが、看破され封印されたと。
ティンカー・コードウェルが、来る。
焦りの中にいながらも、恐れることはないとそう思った。
――何を恐れることがある? 相手はもはやズタボロではないか! ただ、拳を振るえばそれで……!!
右半身が前に出た姿勢から、体を捻る。左の拳を握りしめ、ストレートの一撃を叩き込む。 拳から感じたのは、空を掠める気配だった。
そこで、先の自分の心構えが失敗であったと悟る。あの言い聞かせは、単なる侮りだったと。
「……オレたちの勝ちだ。聖職者」
下から声がした。自分の懐辺りから。
顎に何かが当たったと感じた瞬間。意識が飛んだ。
☆ ☆ ☆
ララが見たのは勝利だった。
ティンカーがグレイテルの拳をかい潜り、本角の一撃をアッパースイングで、顎に叩き込んだ一部始終だ。
「や、……やった……」
との歓声の言葉尻は、爆音により邪魔される。
爆竹のような連続性と、砲撃のような破壊度を両立した、破砕音。それは、背後の本校舎からの音で、甚大な被害しか連想させない響きだった。
何を言いたいか? つまり、
――早く解除しないと……、限界が近い――!!
もう、仲間たちの身が、持たないと言うこと。
天使対学生の勝負なんて、結果は火を見るよりも明らかなのだから。
ララは左手に持った、〝高等魔術の教理と祭儀〟の〝祭儀篇〟のページを目指した。祭儀篇は、儀式の改竄を行う術式。
――五芒星の光芒が表すのは、救世主。向きを変更すれば……。
現在、この学園は天使使役の魔法円に取り囲まれた状況だ。その対象が、魔導書から召喚された天使になっている。
ならば、魔法円を崩し、意味するものを変更すれば、天使たちは解放される筈。
「……やってくれたな。ララ」
憤りが込められた、唸るような声がした。バベルが怒りに震えている。
「ここまで、キミの意志を尊重していたと言うのに……。良いであろう! 再び私の支配に屈するが良い!!」
初めて見る剣幕だった。まるで、熱量を持っているような。それに怯んだ隙を突いて、彼が唱える。
『船を引き上げよ、全てを捨てよ、汝が主は我である、我に従い我が後を追え!!』
自分を中心点とした、光の紋様が浮かんだ。〝智天使の瞳〟に組み込まれた、使役術式の魔法円。
――しまっ……!!
『ソロモンの名において、汝、ひざを屈するが良い!!』
ティンカーもまた、唱えていた。
飽くまでも、一時的に無効化するだけの〝簡易儀式〟だ。魔法円が仕込まれているため、再び詠唱されたらまた発動する。
「っ!! コードウェルくん……!!」
しかし、十分過ぎる時間稼ぎだ。バベルが唱えるよりも、こちらの方が早い。
『Rotation!!』
四つの棟に刻まれた五芒星が、ユックリと回転を始める。
☆ ☆ ☆
教室内は、端から見たら荒れてはいなかった。
儀式用の備品を取り揃えた棚にも、床や壁にも被害らしい被害はない。窓ガラスにヒビすら入っておらず、逆に不自然と言えるほどである。
だが、それは建造物と、二人の青年に限定した話だ。
一階の実践系教室。ゲーテルとルドルフを除いた、三人の女子は、虫の息寸前だった。
黒い制服の所々が焼け焦げ、肌はススで黒ずみ、軽度ながらも火傷を負っている。
中央に陣取るのは、〝大天使ミカエル〟だ。ルドルフの〝オカルト哲学〟から呼び出された、グレイテルと同等の能力を誇る、上位霊体。
本来、味方である大天使は、ルドルフの支配下にはなかった。故に、女子生徒たちは傷付いているのだ。
皮肉な話だが、ルドルフとゲーテルが無傷なのは、彼らがバベルに取って、有益だからである。
〝主天使の声〟ことオーディエルの能力は〝詠唱代行〟だが、そもそも使用者が不在では、呼び出そうにも呼び出せない。
今はまだ、オーナーたる魔導師の存在が、不可欠なのだ。
だから、ルドルフはゲーテルの〝結界〟によって、教室ごと護られている。天使供給源として。
それでも、絞り出せるだけ絞り出したら、葬られることになるだろう。壁際まで追い込まれた、彼女たちのように。
赤の輝きを放ちながら、ミカエルが炎を生む。
抗いに抗い続けた、一人の女子生徒はついに、
「ここまでか……!!」
と諦めの音を上げた。
炎が。いや、プラズマの奔流が、太陽にも親しい光を放つ。
――恒星並の大火力は、しかしながら、撃ち出されることはなかった。ミカエルが、突如として動きを止めたのだ。
パチクリと瞼を瞬かせて、女子生徒が呆然と呟いた。
「助か……った?」
☆ ☆ ☆
「……何故だ? 何故分かってくれないのだ?」
静けさを取り戻した校舎の様相に、愕然とした表情で、バベルが呟きを漏らす。
彼の眼前にはティンカーの姿があった。
「キミも知っているのであろう!? 私たちが、あの狂った思想の下に生み出された、模造品であることを!! 何故、キミたちは奴らの味方であるのだ!?」
「確かに、オレだって思ってるよ。〝ゴッドチャイルド〟も〝チーフチルドレン〟も間違った計画だって。……でも、だからって、オレたちの存在が間違ってるとか、そんなエゴを押し付けんなよ」
フィジカルな見た目からしたら、ティンカーよりもバベルの方が、優位に立っている。しかし、メンタル的に追い詰められているのは、バベルだった。
「あんた言ってたスね? 人類は、平和を掲げながら殺し合う、愚かな民衆だって。……じゃあ、あんたがやってることは何なんだよ」
バベルは何も言わない。答えが見付からないように映る。
もしかしたら、彼が自分の目的と、面と向き合うことは、初めてなのかも知れない。だから、矛盾を仕留めることが出来ないのではないだろうか?
「あんたが一番縋っていたんじゃないスか? 創られた〝神〟の地位に。ただ、逃げてたんじゃないんスか? 現実って奴からよ……!!」
バベルが、堪りかねたように奥歯を軋らせる。
「そんな訳があるか!! 私は神である!! 私が間違うことなどあるものかっ!!」
「その考えが〝甘え〟だっつってんだよっ!! 〝神様〟!!」
端麗な彼の左頬を、ティンカーの魔導書が叩く。
僅かにバベルは宙に舞い、やがて大地に体を預けた。幾ばくかの後に、ティンカーもフラリと地に倒れる。
彼は、約束を果たした。彼が倒すと誓った〝神の子〟は、脳震盪を起こし気絶している。――その姿はどこまでも〝人〟だった。
主の顛末に、紫髪した〝クルセイダー〟の幼女も、力なく座り込み、ただ一言。幼く澄んだ声色で、バベル様……。とだけ口にする。
「――お疲れ様。ティンカー」
仰向けになったティンカーを、労うようにララが言った。
「はあ。……しんど……」
心底疲れ果てたティンカーが、それでも微笑んで応えた。
「……お帰り。ララ」
西暦二〇三九年九月二七日。――〝クルセイダー〟が終わりを迎えた。