第五章 ティンカーの先輩 ~4~
「なるほど。どうやら、揃って同じ造りの教室に籠もっていたのは、カモフラージュのつもりだったようであるな」
バベルが、正面の本校舎を見上げながら、言葉とは裏腹な余裕の表情で、愉しげに言った。
「確かに、初めから〝儀式〟専用の室内にいれば、いくら魔術の下準備をしようとも、不思議ではない」
彼の左手前にいるグレイテルが、賛同するように口の形を弓とする。
「奴らにしては、考えたようですね」
「全くである。キミの同学生たちも、そこそこ頭が回るようだ。驚いたよ」
話を振られたララは、悲痛そうな面持ちだ。彼女の気持ちは理解出来る。
何しろ、
「ここまで上手く、はまってくれようとは」
ララの仕組んだ細工こそが、〝アントロポソフィー学園〟に最悪をもたらすことになるのだから。
バベルが、時は満ちた。と言わんばかりに、一冊の書物をコートの内側から取り出した。
書物のタイトルは〝法の書〟。〝アレイスター・クロウリー〟が認めた魔導書だ。
『船を引き上げよ、全てを捨てよ、汝が主は我である、我に従い我が後を追え』
彼の詠唱と同時に、四本の光柱が曇り空へと昇る。
光柱は、東西南北にある四つの建物から出でるものだ。天上から眺めると、その柱は星の形を模していた。
続いて、光線が地を駆けた。残像を保ちながら駆ける光は、二つの円陣とスペルを描き、更に走る。
やがて完成したのは、間に〝神聖なる名前〟が綴られた、二重の円。外側四方に五芒星。内側四方に六芒星を刻んだ〝魔法円〟だった。
☆ ☆ ☆
教室内にて、異変が起こる。三階の教室だった。
「カマエルっ!?」
それは、何時ぞやに起きた、あの事件をなぞっているような、起こってはならない異変。
一人の三年生が召喚した天使が、紅蓮の炎を両手に携えた格好で、突如として動きを止めたのである。
飽くまでも推測だが、全三年生は漏れなく勘繰っただろう。――まさか、と。
そして、恐らく全三年生は天に願っただろう。――止してくれ、と。
残念ながら、その勘繰りは正解で、天が願いを聞き届けてくれることはなかった。
火曜日の主任天使〝カマエル〟が、赤く赤い双腕の炎を、つむじを作るように振り回したのだ。
ぎ、から始まって、あ、で終わる絶叫が、実践系教室に木霊する。
「嘘だろっ!! 細工されてたのは、ドルトンの魔導書だけじゃねぇのっ!?」
「待て!! ――あれは一体何だ!?」
生徒の一人が、窓の外を示した。
重い雲の遮りによって、陽光の支配が弱まった、陰鬱な暗がりのパノラマ。そこにあるのは、〝北の棟〟を発生源とした光だ。
光はそれだけではない。
窓の下に目を向ければ、重なるような大小の円と、読もうにも読めないスペルが綴られている。
「まさか、まさかまさかまさか……!!」
果たして、光は何を意味しているのだろうか? 最上級生の〝魔導師〟一同には、信じたくもないが、分かってしまうだろう。
「この学園全体が、〝魔法円〟に呑み込まれている!?」
『皆さんに警告します!!』
一縷の望みすら抱けぬ、緊迫を極めた声色で、ヨウコの警告が一斉送信された。
『迎撃対象の増加を確認しました!! 各自、召喚された天使を倒して下さい!! ただし、これ以上の天使召喚を禁じます!!』
『召喚された天使は、クルセイダー側の使役下に置かれています!!』
☆ ☆ ☆
「初めから、魔導書に細工など施していない。ララに仕組んで貰ったのは、〝法の書〟を使用するための魔法円なのだよ」
希代の大魔導師〝アレイスター・クロウリー〟は、〝守護天使エイワス〟より受け取った信託を、ある一冊の書に認めたとされている。
書物は〝法の書〟と名付けられ、神と一体化するための魔導書と称されるものだ。
術式の一つは〝天使生成〟。そして、もう一つは〝天使使役〟。
天使を生み出し従える、まさに〝神〟に相応しき能力だ。
「だが、たとえ天使と言えど、キミたち一五名もの魔導師の手に掛かれば、討ち取れぬことはないであろう」
バベルが口にするのは、敗北の予測だった。
酷く冷えた判断と言える。それでも真実に変わりはない。魔導書は総じて〝白魔術〟――天使を媒介する魔術――の書物ではないのだ。
それはそのまま、天使の絶対数に比例する。現時点において、召喚された天使は、片手の指で数えられるほどだった。
「しかし、都合の良いことに、キミたちは自分の手で、儀式の用意を整えてくれたのである」
そこまで口にして、彼は未だに一言も発していない、同朋の少女の肩に右手を置く。
限りなく幼女に近い、小柄な少女だ。
徹夜でもしたかのように気怠げな、半開きの眼は深緑色。魔の雰囲気を匂わせる、艶やかな紫の髪は腰にまで届くベリーロング。
黒白モノトーンの、ゴスロリ風スカートが良く似合い、対照的にクルセイダーを象徴する白いコートから、とても違和を覚える。
「さあ、〝主天使の声〟オーディエル。〝真のクルセイダー〟を今ここに!」
コクリと、オーディエルが頷き、声を生んだ。
『出現せよ。炎の被造物たちよ。さもなくば、お前たちは永遠に呪われ、ののしられ、責めさいなまれる』
大人びた女性の声だ。とてもじゃないが、ロリータ染みた彼女のものとは思えない。
『天軍の指揮者よ、神に似たものよ、汝の名はミカエルなり、其の剣以て裁きをもたらせ』
彼女の声色は、赤から青に変わったようにすら思える。
高低で言えばテノール。その発声は、紛うことなき男性のものだ。
しかも、その声は馴染みの深い声だった。
☆ ☆ ☆
いち早く、ルドルフは気付いただろう。
「魔導書が……っ!?」
当然と言えば当然だ。彼は、〝オカルト哲学〟の所有者であるため、勝手にその表紙が開きだしたら、気付かない方がおかしい。
続いて、一年生全員から抗議が来た。
「あんた何してんの!? 天使の召喚は禁じられたでしょ!?」
「ちが……!! ボクは喚んでない!!」
生徒たちが非難するのは仕方ない。ルドルフの詠唱する声が鼓膜を振るわせ、事実として、天使が召喚されているのだから。
しかし、ルドルフの言い分も正解なのである。彼は、詠唱なんてしていない。
その矛盾の解答は、地上にあった。今もまだ聞こえている、詠唱たちの主が、そこにいたのだ。
玉虫色の声を以て、オーディエルが唱えていた。
彼女の二つ名は〝主天使の声〟。天使の声帯を移植された彼女の能力は、〝詠唱代行〟なのだ。
ルドルフたちに代わって。と言うか、ルドルフたちを真似て、オーディエルが次々と唱えて行く。その度に天使が数を増やして行った。
「全員退避――っ!!」
とある生徒は判断したようだ。これ以上、儀式を使える室内にいてはいけないと。さもなければ、際限なく天使が召喚されると。
――その判断がもう少し早ければと、生徒たちは後悔することになる。
「……扉がっ……!?」
開かなかった。
「〝結界術式〟だ!! 畜生……」
「閉じ込められたっ!!」