第五章 ティンカーの先輩 ~3~
学園長室には、静けさだけが漂っている。
真実を聞いた今、ティンカーはただ思う。
「……何だよ。あんたたちは、そんなことのために、〝紛い物〟を造ったって言うのかよ……」
許せないと、純粋に感じた。
国民を天使にしたい。そう思って〝神〟たる男の頭脳を造った。後に、自分たちの手を離れた、〝神〟に対抗するために、〝魔導師〟たちの頭脳を造った。
運命の悪戯とかならば、ある程度受け入れやすかった。そんな暴論すら放ちたくなる。
余りに無責任で、呆れるほど子供染みた暴挙だ。人災と言って過言でない。
彼女たちは、命を弄んだ。
現在把握する限り、総勢一七名の命を。
「オレたちは、そんなことのためだけに生み出されたのかよっ!! あんまりじゃねぇかっ!!」
言葉で人を殺せるならば、目の前の女は死んでいるだろう。自虐的なフレーズに、業火のような憤りを纏わせて、穿つように叫ぶ。
だが、学園長は物怖じせずに言った。
「ティンカーくん。自分を否定しないでくれ。それは、私たちの責任なんだ」
「キミが生きて行く理由は、私たちが見付ける。キミはキミを誇って欲しい」
にわかに理解することは出来なかった。それでも、不可解な彼女の言動により、先程までの熱が幾ばくか冷める。
「私は、〝ゴッドチャイルド計画〟と〝チーフチルドレン計画〟に荷担したことを、後悔している。謝っても謝り切れない。……しかし、バベルとキミたちを否定したいとは、微塵も思っていないんだ」
彼女は、思い起こしてくれ。と前置きして。
「キミのご両親は、キミを心底愛していたと思う。キミを育み、キミの夢を応援していただろう。――その思いに、嘘はない」
どうだろうか?
「キミと一緒に歩む者たちと、キミとの間にある絆や思い出は、〝紛い物〟なのだろうか?」
☆ ☆ ☆
思い出したのは、何時しかララが送ってくれた、約束だった。
……ティンカーは、ティンカーだよ? それは、ワタシが保証する――。
彼女の言いたかった真意を、この場にて理解する。
……そうか。ララ。自分の意味を形作るのは、主観じゃないんスね――。
自分は何者か? あの日からずっと答えを求めて来た。考えても考えても、らせん階段のように続く堂々巡り。
それでも、存在意義を示してくれるのは、自分自身ではなかった。
――あんたが、オレのことを認めてくれたんだ――。
〝オレ〟は、〝ティンカー・コードウェル〟なのか? 〝ソロモン王〟なのか? あるいは何者でもないのか? 辞書のように、答えは返って来ないけど。
――たとえ、オレが何者か分からなくても……、
ここにいる意味は、みんなが作ってくれるんスね?
「……ったく。屁理屈述べやがって。それに納得しちまうオレも、相当なバカっスね」
思わず、笑みが漏れた。
苦笑でも自嘲でもなく、かと言って微笑みとも取れない、照れ隠しのような、強がりのような。
「アクィナス先生。あんたたちのお望み通り、オレはバベルをぶっ倒す。だけど、約束してくれ。ララが戻って来たら、全力で擁護するって」
人差し指を学園長に向け、誓いを求めた。
「親になったつもりで接して行く。そう言ったっスよね?」
「慣れない挑発をしなくても、最初からそのつもりだよ」
動じないまま、それでも安堵の苦笑を浮かべて、アクィナス先生は首肯する。
「じゃあ、教えてくれ先生。ララを助けに行く。〝クルセイダー〟の本拠地はどこにあるんスか?」
「さあ? どこだろうな?」
平然と、彼女は言った。
「…………はい?」
「いや、本拠地が分かっていれば、こっちから攻められるのだが、残念なことにサッパリ分からない」
――待て――っ!!
心の中。絶叫の体でツッコむ。
「何スか!? あれだけの話の後に、分からないって言う? 普通? 折角格好付けてみたのに、台無しじゃないスか!!」
「安心しろ。ティンカーくん。かねがねキミのヘタレ列伝は耳にしている。だから、キミがいくら赤っ恥掻いても、それは必然で、私は何もキミを責めないつもりだ」
「二重に屈辱だぁ――――っ!!」
真顔で言われて、流石に傷付く。フォローもしてくれやがったために、プライドが悲鳴を上げていた。
「まあ、本当に案ずるな。バベルは近々再来する。ララくんを介して行っていた、〝何か〟が完了したから、彼はララくんを連れて行ったんだ。ならば、近日中に来ると思って間違いない」
言われてみれば、確かにそうだ。しかし、
「でも、その何時かが定まらなければ、対処のしようがないんじゃ……」
「勉強不足だぞ? ティンカーくん。〝魔導師〟たるもの、惑星と儀式の関連性くらいは、知っていて欲しいものだ」
惑星? そう言えば、儀式と惑星の関係は密接だと、どこかで誰かから聞いたような気がする。詳細は忘れたが、儀式には相応しい時間帯があると。
「戦いに関連する魔術に相応しいのは、火星が支配する時間帯だ。間違いなく、バベルはその日を狙うだろう。――決戦は、三日後。〝火曜日〟だ」
アクィナス先生が、強気の笑みで言う。
「それさえ分かれば、こちらにも出来ることがあるだろう?」
☆ ☆ ☆
三日後。九月二七日。
ロンドンは、雨の街だと良く言われる。
メキシコ湾流の影響を受けるこの街では、確かに雨の情景は珍しいものではなく、この日は雨が降っていた。
シトシトと、空が泣いている。
静かに涙する空の下。〝アントロポソフィー学園〟では、何時ものように授業が進められていた。
一年生は一階。二年生は二階。三年生は三階の〝実践系〟教室にて。
内容は一様に〝儀式実践〟で統一されている。
まぐれではない。必然だ。
その証に、学生たちの表情は、張り詰められた弦にも似て、彼ら彼女らの雰囲気は、痺れのような緊張を孕んでいる。
実践系の教室は、もちろん〝儀式〟の使用に適した造りをしていた。
他の教室と同じく四角形の部屋だが、〝魔法円〟を描くことを考慮し、中央部分が空いている。
〝ペンタクル〟などの儀式用の備品も、多数取り揃えられた、儀式を行うためにあるような教室だ。
『――皆さん? 準備は出来ていますね?』
声がした。三つの教室内全てで。
声は、室内の備品に混じった〝護符〟から響くもので、声の主はヨウコだった。〝護符〟は〝形代〟と言う呪術道具の一種で、彼女は〝通信術式〟に応用しているらしい。
「……結界に反応あり。来たよ……!!」
一階の教室にいるゲーテルが、小さく、それでも、ハッキリと呟く。
未だに雨止まぬ曇天。
石畳の上。学園の敷地内に、三人の部外者と、一人の女学生がいた。
バベルとグレイテル。彼らと同じく、白いコートを纏った小柄な少女。――そして、
「ララっ……!!」
フードが付いた、黒の学生服を羽織る、ララがいる。
重苦しい表情の彼女を目の当たりにして、溜まりかねたように、ティンカーが教室から飛び出した。
「ああ――っ!? ちょっ! 何してんだよティンカーっ!?」
「ほっとけ! それより、覚悟は良いな?」
階を隔てて、全員が頷く。
『詠唱を開始して下さい!!』
――戦闘開始の合図だった。
『霊たちよ、私はお前たちに強力に命じ、絶え間なく強制する! アドナイ、ツァバオト、エロイムの名によって!』
三階にいる一人の魔導師が唱える。
彼女の呼び掛けに応じるように、翼を持った巨影が姿を現した。
『我、魔とならん! 悲しみ、嘆き、憂い多き魔に! 我が軍門に下らん!』
二階にいる一人の魔導師も唱える。
彼女が羽織る黒の学生服が、より一層、魔導師染みた不気味さを湛えた。
どうやら、学生たちも油を売っていた訳ではないらしい。来るべき決戦に備えて、儀式の準備を整えていたのだ。
「ルドルフは、ギリギリまで魔術は使わないでね。何か、魔導書に細工が施されているだろうし」
その中に一人だけ、詠唱しない魔導師がいた。
彼、ルドルフは〝オカルト哲学〟の使い手。申し分ない戦力を持っているが、先日の天使暴走を考慮して、控えに回っているようだ。
「……うん」
渋面を浮かべながら、彼が頷く。肝心な時に力になれない無力感が、顔付きに表れていた。