第四章 石畳上のゴッドチャイルド ~3~
石畳の上に立つ男の、金色の両眼は酷く涼しげに映る。
北の棟にて起きている、大暴動とは裏腹に、平然とした動揺のない顔付きだ。
男は、見た目にして若いと言えた。
痩身で高身長。モデルのように整った容姿に、白のスリーピースを纏っている。その上に羽織うコートは、豪華以外の言葉では形容出来ないほどに、宝石類で装飾されていた。
それでも、オールバックにした真白い髪色と、彼の態度からは、玄人染みた雰囲気が醸し出されている。
その場にいた誰もが、疑問に苛まれる中、いち早く動いたのはストロングだった。
「一体何用ですか? 〝バベル・ホワイトバーン〟」
生徒たちを庇うように最前に立ち、〝バベル〟と呼ぶ青年と対峙する。
「なに。ただの〝確認〟であるよ、講師くん。我が後輩たちが、如何様に過ごしているかも含めた。――だから、そう身構えることはない」
「それは、無理な相談ですね〝ゴッドチャイルド〟」
平静とした口振りだが、ストロングの頬には冷や汗が見えた。
「何しろ、キミは〝クルセイダー〟の生みの親にして、彼らの統括者なのですからね」
生徒たちの間に、戸惑いを孕んだざわつきが波打つ。
彼らの様子を眺めながら、満足そうにバベルが口端を上げた。
「キミは分かっているだろう? 講師くん。今日と言う日は、〝愛ある魔術〟のためにある。私とて〝魔導師〟だ。ここに来たのは、戦いのためではない。仕込みの確認であるよ」
仕込み? と、ストロングが復唱する。
「まさか、この事態はキミの仕業ですか?」
怪訝そうな講師の質問に、バベルはより一層笑みを広げた。
「ふむ。私の仕業と言えば、そうである。……だが、私単独のものと言うのは、間違いであるな」
煮え切らない解答だ。ストロングもそのような感想を持ったのだろう。彼は的確な疑問形を探すように、口をつぐんだ。
彼が再度、口を開くより先に、
『臨兵闘者皆陣列在前!!』
援軍たる二年生が来る。
〝東洋式魔術〟こと〝陰陽道〟を操る、ヨウコ・シゲオカと、ララ・バッテンバーグだ。
ヨウコは魔導書を捲り、払うように手刀を切っていた。縦に四回。横に五回。現れる紋様は編み目にも似ている。
彼女の術式〝九字〟が、ルドルフの召喚した大天使の動きを封じた。
「大丈夫ですか、皆さん!? って、あれ? こちらの方は?」
突如現れた謎の男に、当然の如く困惑するヨウコ。
後方に来た二人のことを、意に介せずにバベルは言う。
「やあ。上手くやってくれたようであるな。キミの仕事はこれにてお仕舞い」
「迎えに来たよ。ララ」
☆ ☆ ☆
ティンカーには、時が止まったように感じた。
そのように錯覚してしまう、重い沈黙が場を包んでいる。
誰かが、え? とだけ呟いた。
「キミの仕事の出来は、十分確認が取れた。だから、もうここにいる理由はない。私たちと合流して貰おう〝智天使の瞳〟」
ララが呆然とした目付きでそこにいる。水色の瞳をこちらに向けて。
「いや、今は〝イノセントアイ〟と呼ばれていたかな? その欺きの偽名も、もう必要ないであろう」
その目の色が、自分には酷く悲痛そうに映った。今まで見たことがないような、どこか助けを求めるような。
「ワ、タシ……は」
「どうした? ララ? 船を引き上げよ、全てを捨てよ、汝が主は我である、我に従い我が後を追え」
ふいに、印章のような光が、大地に描かれた。ララを中心としたその光線は、円と星から成り立っている。
円の内側に四つの六芒星。外側にも同じ数、五芒星があった。
ララの手の震えが止まったのは、模様が現れた直後だ。
「はい。我が主」
水色の瞳に、もはや動揺はなかった。
☆ ☆ ☆
バベルが、大人しくなったララに指示を出す。
「よろしい。まずはこの〝ドーマン〟による結界を、〝祭儀篇〟を用いて崩すのである」
言われるままに、彼女が〝高等魔術の教理と祭儀〟を取り出す。
「ちょ……! ララ!?」
ヨウコの制止を無視して、彼女は祭儀篇を行使した。
『Rotation』
ララの指令に基づいて、ヨウコの描いた編み目の縦四本が、九〇度回転する。
〝ドーマン〟こと〝九字〟は〝密教〟由来の呪法だ。
その意味合いは、編み目を以て霊を封じること。だが、ララの〝儀式介入〟術式は、編み目の形を崩した。今や〝九字〟は、横九本の平行線となっている。
必然。石畳の奔流が再開した。
「さあ。行こうか、ララ」
バベルの言葉に対して、従順そうな面持ちでララは頷く。
大混乱と無機質の嵐。誰もが怯む中、その様子に歯軋りする者がいた。
「待てよ!! ララをどこに連れてくんスか!?」
ティンカーだ。
「どこも何も、先程言ったであろう? ララ・バッテンバーグは〝智天使の瞳〟を持つ、クルセイダーの一員。私たちの仲間なのだよ」
当たり前のことだ。と言いたげな、とても不思議そうな目付きで、バベルは嘆息とともに告げた。
それでもティンカーは、
「ふざけんなっ!!」
と叫んだ。
「ララは、オレのルームメイトなんスよ!! 勝手にさらってくんじゃねえ――っ!!」
バベルが一旦、目を瞬かせた。予想外だったのだろう。珍種な生物と遭遇したような反応である。
その後に愉しげに喉を鳴らす。
「面白い青年であるな。そこまで思うのならば、今から死に物狂いで足掻けば良い」
大地が震えた。石の破片とともに砂塵が渦巻き、視野を奪う。
「――私が次に現れるまでに」
砂埃が治まる頃。三つの姿が失せていた。
バベルと、ウリエルと、ララの姿が。
☆ ☆ ☆
そこにいる、全員の頭の中が、混沌に陥っていた。
ある者は、ルドルフに声を掛け、ある者は、ララの失踪を気に掛けている。
共通しているのは、直前に起きた出来事に対しての疑念だ。
予期せずに訪れた天使の大暴走。正体も分からない〝バベル〟と呼ばれる男。そして、ララの行動。全てが不可解なのだろう。
その中に、一人だけ拳を握る青年がいる。爪が食い込むほどの力で、唇を食みながら、怒りに震えるティンカーがいた。
「どうした? 何が起きたんだ?」
混乱の現場に、銀髪の淑女が現れる。
白衣を羽織った彼女は、アントロポソフィー学園学園長、ラビ・アクィナスだ。
「は、はい。〝ゴッドチャイルド〟が現れました」
「……被害はあるかな?」
「バッテンバーグくんが、彼とともに去りました。――どうやら、彼女も天使の体躯を持っており、同時に起きた〝大天使ウリエル〟の反逆にも、関与しているかと思われます」
「そうか。検査ではオールグリーンだったが……」
「どう言うことっスかっ!!」
ティンカーが声を張り上げた。
彼の言いたいことは、概ね理解出来る。アクィナスとストロングの問答を聞く限りでは、ララが失踪した理由や、ゴッドチャイルドなる男の正体も知っているから。
「これも、オレたちが〝チーフチルドレン〟だからっスか!? ララもその所為で連れさらわれたんスか!?」
一年生全員とヨウコは、驚きと疑問の混じった様相をしている。ティンカーの怒号と、口にした聞き慣れない名称のためだろう。
一方、アクィナスとストロングは、目を見張っていた。
「そうか。キミはララくんのルームメイトだったか」
アクィナスは顎に手を添えて、しばし思考してから告げた。
「ティンカーくん。明日、私の部屋に来なさい」
☆ ☆ ☆
当然のことながら、その日の授業はティンカーに取って、身になることはなかった。
これまでも、ふて腐れたりしたことは何度かあったが、今日ほど異質な遣り辛さを感じたことはない。
語彙が少ない自分が、この遣り辛さを言葉で表すと、多分〝怒り〟になると思う。
授業中の教員たちの余所余所しさとか、学園内の生徒たちの戸惑いだとかが、今日の自分にはただただ鬱陶しく感じた。
いや、それは責任転嫁だから、正直に言う。自分が不甲斐なくて仕方がない。
ララにあんな目で見られながら、助けを求められながら、何も出来なかった。引き留めることが叶わなかった。
――情けねえっ――!!
何が〝英国紳士〟だろう。たった一人の少女も助けられないで。自分で自分にぶちギレそうだ。
そんな〝怒り〟を携えて、ティンカーはドアの前に立っていた。
〝アントロポソフィー学園学園長室〟。四階に位置する、最も空に近い部屋だ。
今日半日、ここに来ること以外、ほとんど何も望んでいなかった。半日で授業が終わる土曜日でなければ、サボって乗り込んでいただろう。
何しろ、アクィナス学園長から直々に話をされるから。
学園長は全ての答えを持っている。彼女の地位と、昨日の様子などを総合した結論だ。
その答えは、自分が求め続けたものだろうし、ララを取り戻す手掛かりにきっとなる。
ティンカーはドアをノックした。
「どうぞ」
ドアの向こうから声がする。
無言のままに入室すると、学園長は窓を背に座っていた。傍目から見ても豪華そうな、両袖デスクに。
床には赤いカーペットが敷かれ、こちらから見て左に本棚。右にはドアがあり、黒い二つのソファが、中央に位置している。
「良く来た。ティンカーくん。そこに掛けていてくれ」
学園長がソファの片方。本棚に近い方を示して言う。
腰掛けると、アクィナス学園長は、こちらから見て前方のドアへと向かった。
「今、お茶を煎れよう。丁度、良い茶葉が入ったところでな」
どうやら、ドアの先にはティータイム用の備品でも置かれているんだろう。来賓をもてなす用意もバッチリと言うことか。
「いりません。お話をしてくれないスか?」
だが、自分には、悠長にティータイムを楽しめる余裕はなかった。
「こんな時に、お茶を飲んでいる余裕はありません。こうしている間にも、ララが傷付けられているかも……」
「その心配はない」
学園長が断言する。持って来た、ティーポットにお湯を注ぎながら。
「ララくんは、〝智天使の瞳〟を持ったクルセイダーの一員。だとすれば、バベルに彼女を折檻する理由はない」
「何言ってんスかっ!!」
その言葉に、目の前が赤く染まった。激昂のままに、身分の差すらも気にせずに、目前のテーブルに拳を振り下ろす。
学園長の断言は、絶対に受け入れられなかった。
「ララは、オレたちの仲間なんスよ!! 裏切る訳がないんスよ!! 勝手なこと言ってんじゃねぇ――っ!!」
鼻息荒く、食って掛かるこちらに、それでもアクィナス学園長は、平然とした顔付きで、
「そうか。私もそう思っている」
と告げる。
「――え?」
彼女の表情は、どこか安堵したようにも見えた。
「とにもかくにも、まずは落ち着いてくれ、ティンカーくん。キミが吠えたところで、ララくんが戻って来ることはない」
ティーカップに注いだ紅茶を、目の前のテーブルに置く。
「何より、冷静にならなければ、真実は受け入れられないからな」