白狼と少女━8
広大な草原地帯。背の低い草が時折吹く風に身を委ね、踊るようにしてそよぐ。
そこに、小さな村があった。いや、「村だったもの」というべきか。
アンデッドや獣を警戒した、木を切り出し造られた柵はほとんどが無残に破壊され、中の家屋もほぼ全てが荒らされた後だ。壁に着いた毒々しい赤色が十分すぎるほどに惨劇を物語っていた。
村の中心部には、奇妙なオブジェクトが乱立する。先端が鋭く尖った巨大な氷柱が、大地から飛び出しているのだ。獲物を捉え損ねたその表面に映るは、一つの影。
バスクは本能に従い、その場から転がるようにして離れる。瞬間、大地を割って出現した氷柱がその空間を裂いた。
足を止めることなく、バスクは倒壊した家屋の間を縫うようにして走る。その後をなぞるようにして氷柱が追うが、次第に軌道を逸れていき、少しすると現れなくなった。
一息つくために、手近な建物に身を隠す。
先ほどから走りっぱなしだ。上がった息を整えながら周囲を見渡す。
「イルミナ達も無事だといいが……」
イルミナとウィル、そして生きていた二人の村民。彼らもどこかに身を潜めているはずだ。
赤いローブの男が出現した時、バスクは彼らに対してどこかに隠れるように指示した。
理由は二つ。一つは単にバスク達が村に侵入に使った出入り口が既にアンデッドで埋められていたこと。再び突破するには追ってくる赤いローブの男をどうにかする必要がある。
二つ目は、村を囲うアンデッドの様子がおかしかったからだ。彼らはバスク達を襲おうともせず、遠巻きに村の外周部を囲んでいる。男も、村全体を破壊するような素振りは今のところ見せていない。何か目的があると考えるのが妥当だろう。アンデッドが目的を持って行動するなど聞いたことがないが、とりあえずは対処するのはあの男のみでいいということだ。
だが、状況は決していいとは言えない。
バスクは自らの体毛を撫でるようにして触る。ぱきぱきと軽快な音をたてるのは、薄い霜が覆っているせいだ。思わず眉を顰める。
厄介だ。口の形だけでそう呟く。
バスクは最初、イルミナ達が隠れる時間を稼ぐために男と近距離で対峙した。そして男との距離があと一歩というところまで縮まった時だ。不意に、そこが極寒の地に変わってしまったかのような寒気に襲われたのだ。
冷気の鎧。村人が話していた男の能力だ。それはバスクが予想をしていた以上に厄介な代物だった。近くにいるだけで体温は下がり、手の先から感覚が失われていく。接近戦以外に戦う術を持たないバスクからすれば、最悪ともいえる相性だ。
未だに指先は強張っているが、動かせないことはない。感覚は戻りつつある。しかし戦い方が思いつかない。
不意に、向かい側にある小さな家屋で何かが動く気配があった。まさか見つかったのかと慌てて視線を上げる。しかし、そこにあったのは赤いローブではない。
僅かに開かれた戸から、小さな手が此方を手招きしているのが見える。手の他に、金色の髪が見え隠れしていた。
「何なんだよあいつらは! 何でこんな小さな村なんかを襲うんだ!?」
その家屋の中にはバスク以外の全員が隠れていた。今、ウィルと共にいた村人の一人がその苛立ちを吐き散らしている。若く、大柄な体躯を持つ男だ。禿げ上がった頭に、今にも青筋が浮かびあがりそうな勢いだ。
何故、何故、何故――。
何度叫ぼうにも、彼にその答えを与えられるものはこの中にはいない。
「……イズンさん、あまり騒がないでください。あの男に見つかってしまう」
ウィルの言葉にも、イズンと呼ばれた男は従う様子はない。周囲の冷たい視線にも気が付いていない様子だ。
「大体、俺達の村なんか襲って奴らに何のメリットがある!? 村なんて他にも腐るほどあるぞ!」
「アンデッドが村を襲う理由なんて決まっています。生者への憎しみ、これ以外にありません……あの男は知りませんが」
力なくそう零すのは首から十字架を下げた壮年の男性だ。年と共に刻まれてきたのであろう深い皺のわりに、その体に老いを全く感じさせない。まるでその十字架が自分を守ってくれると言わんばかりに、強く握りしめているのが分かる。
「……あんた、司祭か何かか?」
バスクの問いに、男は疲れ切った、しかし柔らかさを感じさせる笑みを浮かべる。この状況下でもそんな笑みを浮かべられる男に、バスクは畏敬に近い念を抱いた。
「はい。といっても村の端にある小さな教会ですが……司祭の真似ごとのようなものですよ」
「ラウさんはね、その教会で小さな子に勉強を教えてるんだよ」
イルミナが横から補足の情報を囁く。そういえば、そんなことをしている男の存在を聞いたことがあるような気もする。どうやらその教会とやらはバスクがあまり足を運ばない場所に位置していたようだ。
未だ落ち着きのないイズンに一瞥をくれ、司祭ラウはイルミナ達に力強く頷く。
「諦めてはいけません。神は、諦めない者にだけその御手を差し伸べられるのです」
バスクも頷き返し、状況を好転させる術を考え始める。知りたいのは何故彼らがこの村を襲ったのかだ。相手の目的が分かれば、それを逆手に取ることも可能になる。
襲撃の理由。先ほどもバスクが考えていたことだが、分からなかった。確かに、アンデッドの習性と考えるのが最も考えられそうな線だ。しかし今、まるでその時を待っていたかのように唐突に仮説が浮かび上がった。
「――もしかしたら、それ以外に目的があるのかもしれない」
「目的? アンデッドが、ですか?」
バスクは頷く。ここにいる全員を殺そうと思えば、敵にはいくらだって手段があるのだ。あの男の実力なら高位の魔術で村一帯を凍りつかせることも可能だと思える。さらに、外で待機させているアンデッドを村になだれ込ませることでもそれは叶うだろう。いくらバスクと言えども、あの数は対処しきれない。
それをしない理由。それは――。
『――凍結の息吹』
戸口の近くに立つイズンが悲鳴を上げる。見れば、彼の体の半分が氷塊へと変わっていくところだった。一瞬の内に氷でできた人形が出来上がる。さらに床も放射状に凍り付き、残りの者へと迫ってくる。
「こっちだ! 全員逃げろ!」
硬質化させた拳を壁に叩きつけ、バスクは戸口とは反対側に巨大な穴をあける。イルミナ、ラウに続き、ウィルがバスクと共に脱出する。同時、今までバスク達がいた建物は分厚い氷に覆われた。
バスクはその屋根の上に、赤くたなびく影を見つけた。深くかぶられたフードの中の表情をうかがい知ることはできない。バスク達の必死の抵抗を嘲笑っているのかもしれないし、何の感情も称えない、まさに氷のような視線が隠されているのかもしれない。
――どれだけ足掻こうが、お前たちの迎える結末は変わらない。
そう言われているように感じた。
全て無駄だ。諦めろ、と。
バスクは隣に立つイルミナへと目をやる。不安そうな面持ちだが、そこに諦めのような暗さはない。彼女を守るように前に立つウィルもそうだ。彼は自らの身を盾にしてでもイルミナを守ろうとするだろう。
「――そうだ。諦めてたまるか」
バスクは歯を食いしばる。それが、運命へと抗う力を生み出すのだといわんばかりに。




