白狼と少女━5
森と村のちょうど中間と言える草地。既に日の代わりに星々が照らす大地に、牛歩の速度で歩む影が存在した。数にして五つ。首を垂れ、足を踏みだす度に上体が大きく揺らぐ。
ゾンビだ。腐敗した肉体に、襤褸切れのようになった衣類を纏っている。頭部が陥没し眼球が飛び出した者、腹部から臓器をのぞかせている者など、その容姿はそれぞれで異なる。
最下級アンデッドと称される彼らに共通する、唯一のもの。それは生者への憎しみだった。もはや機能しない脳や心から生まれるものではない。では何がそれを生み出すのか。彼らにも分からない。
「アァ……」
口から洩れるは呪詛。
何故、自分だけが死してなお生かされる責め苦を受けなければならない。
何故、他の者はこの苦しみを知らずに生に甘んじていられる。
何故、何故、何故――。
延々と繰り返される呪詛は、そこで終わりを告げた。
熟れた果実が潰れた時のような、湿った音が当たりに響く。振り返ると、最後尾にいたゾンビが、仮初の命を失って頽れたところだった。
「これはまた、随分と群れたものだな」
声と同時、その主が残った死者へと一歩を踏み出す。雪白の毛に覆われた巨体が、それが人間でないことを如実に示している。
だが、ゾンビはそれを敵と認識した。彼らが憎悪を抱く生者に、人間も獣人もない。
だから襲った。呻きは叫びに。一斉に獣人へと踊りかかる。
最初の一体は丸太のような右腕の一振りで粉砕される。続く二体目は腕を振るう動きに連動した蹴りを叩き込まれ、後ろの者と共に吹き飛ばされた。
しかし、まだ最後の一体が残っている。
「ガアァァァ!」
跳びかかり、左の二の腕の辺りに歯を突き立てる。そのまま肉を食いちぎり、肉塊へと変えようとする ――が。
硬質な響きと共に、死者の歯が砕ける。獣人の皮膚には歯型すら残すことができていない。
「残念だったな」
軽々と引きはがされ、それは抵抗する間もなく頭部を砕かれた。
■
「さて……」
バスクは体にこびり付いた肉片を払い落としながら周囲を見渡す。天高く昇る月が齎す光のおかげで、ある程度視界は広い。
足の低い草で地表が覆われた大地。周囲には先ほど倒したアンデッドの骸、そして少しばかり離れたところに小さな岩が点在する。小さい、といってもそれはバスクから見たうえでの話であり、普通の人間ならばしゃがめば身を隠せそうな大きさだ。
そして実際、バスクはそのうちの一つから死者とは違う気配を感じ取っていた。
「……ウィル。そんなところで何をしている」
「……やはり気づかれていましたか」
声をかけたのはバスクの背後、数メートル離れた場所に位置する岩だ。その陰から苦笑を浮かべた男がゆっくりと顔を覗かせる。
「俺が村を出てから後をつけていたな。俺が何をするつもりなのか知るためか」
「はい……申し訳ありません」
「謝る必要はないだろう」
事実、バスクはウィルのとった行動に感心していた。村に害をなす行為をしないかどうかを確かめるために、彼はバスクの後をつけたのだ。バスクを招き、さらには村長としての立場から彼は行うべきことをした。
だが人のいい彼のことだ、おそらくバスクを疑うことと同意であるその行為に後ろめたさを感じたのだろう。別にバスク自身は特に不快感も抱いていないのだが。
「夜な夜な、このように村の周辺のアンデッドを退治されていたので?」
「……ただ厄介になる、というのも気が引けてな。まぁ、受けた恩義を返しているだけだ、礼は必要ない」
村に戻る意を示すため、顎でもと来た方向をしゃくる。彼も理解したらしく、バスクが歩き出すとその隣に並んだ。
「それにしても、このあたりはアンデッドの数が多くないか? 俺が言うことではないかもしれんが、村で金を出し合い傭兵を雇った方がいい。終戦したのだから、暇な傭兵なら街に有り余っているだろう」
「……そうできればいいのですが」
ウィルが僅かに俯き、その表情に影が落ちる。
その理由を考えると、今朝のイルミナとの会話が頭に浮かんだ。
「……村自体に、もう余裕がないのか」
例の髪飾りを手渡した時、徴税使が税に代わりとして持って行ったのだと少女は言った。つまり、王国に税を払うことが危ういほどにこの村は衰退しているのだ。
案の定、村長である男は小さく頷いた。
「戦時の重税、そして作物の不作の結果です。村民もぎりぎりの生活をし、徴税を少し待ってもらうことで今は何とかなっていますが、それもいつまで持つか……」
「不作に関しては、アンデッドの影響だろうな」
アンデッドなるものの誕生は、死の概念の暴走である。彼らは何ものかの悪意が魔力となり、死の概念に影響を与えたことで生み出された者だ。通説ではその何者かというのが〈真紅の王〉と言われている。
そうして生み出されたアンデッドとは負のエネルギーの塊であり、それが集まる場所では必ずと言っていいほど何かの災厄が起こる。運命をマイナスの方向に捻じ曲げるのだ。それは自然災害であったり疫病であったりするが、この場合は飢饉に近い。
周辺のアンデッドを減らせれば状況は好転するのだろうが、そのための傭兵を雇う金がない。だからさらに状況は悪化する。負の循環だ。
「そして村人がしがみ付いた最後の希望がイルミナだ、と」
その言葉に、ウィルの顔が勢いよく上げられた。
「一体……誰がそんなことを?」
「イルミナ自身だ。周囲の者の態度で、かなり前から気が付いていたらしいが」
「……そうですか。あの子は、もう知っていたんですね」
ウィルがその視線を前へと向ける。
彼のその動きで、バスクも自分たちが村の近くまで歩いてきたことに気が付く。遠方に村を囲う柵が見える距離だ。
「お前はどう思う。あの子に、傭兵になって村の復興をして欲しいと考えているのか?」
「まさか。自分の願望の為に子に道を強制するなんて、とんでもない」
「ならば、村はどうなってもいいと?」
ウィルがその問いに答えるまでに、僅かな間があった。別に逡巡しているわけでも、躊躇っているわけでもない。
そしてその答えは、彼がいつも浮かべる微笑みと共に返ってきた。
「私はこの村の長である前に、あの子の父親ですから」




