白狼と少女━3
闇の中、最初に得た感覚は体中を触られるむず痒さだった。小さなものが、腕や肩、胸のあたりを撫でる様に、時には軽く叩くようにして触れてくる。眠りを妨げるものに苛立ちを感じると同時、自分が眠っているという事実を不思議に思う。
背から感じる包むような柔らかさからするに、いつも起床していた洞窟ではないらしい。ふと、リーパー達が起きるたびに顔を顰めて「背中が痛いと」文句を垂れていたのを思い出した。バスクは生まれた時から似たような環境で寝起きしていたので特に文句は無かったが。
「おーい、おーきーてー」
しばらくすると、撫で回される動きに声もついてきた。仲間の盗賊たちが発するような、低い声ではない。未だ幼さを残した、遠慮のないものだ。誰の声かは分からないが、聞いたことがあるような気もする。しかし、自分に幼子の知り合いなどいないはずだ。
とりあえず、状況を確認する必要がある。
「ッ!?」
目を開こうとし、いきなり網膜を射た眩しい光に妨害された。原因は左横の窓から差し込んでくる陽光だ。
バスクは右手で目を覆うことで光を遮ろうとしたが、そこで新しい事実に気が付いた。何故か腕そのものが鉛にでもなったかのように重く、動かすことができないのだ。
仕方なく、光に目を慣れさせながら、ゆっくりと瞼を持ち上げていく。このところ盗賊団の一員として行動していたため日中に活動することがなかったが、すぐに適応自体は出来たようだ。
先ず分かったのは、自分が狭い一室のベッドに寝かされているらしいということ。木でできた天井と壁が目に入る。次いで顔を横に向けると、ドアの近くに動くものがあった。
簡素な部屋の中に、艶やかに光る金色があった。
陽光を受け、上質な絹のように輝く黄金の色。一瞬遅れて、それが髪の毛であることに気が付く。
ショートカットの前髪の間からは見開かれた青い瞳が覗く。そこにはこちらが目覚めた驚きと、幼心特有の好奇心が入り混じって湛えられていた。
彼女は部屋の中央、ちょうどここからではギリギリ手が届かない程度の位置にいた。どうやらこちらの動きに合わせて跳びずさったらしく、動きの余韻か、白いワンピースの裾がそよぐように揺れる。彼女が先ほどの声の主で間違いないだろう。
しかし少女とは言え、油断は禁物だ。ナイフが一本あれば、幼子でも人は殺せる。
――警戒するに越したことはないな。
考えと同時、バスクは勢いよく上体を起こそうとした。相手が何らかの行動に出る前に動きを封じるためだ。
だが――。
「あ! 動いちゃダメ!」
少女が発した声と同時、ほんの僅か動こうとしただけで全身が引きちぎれんばかりの激痛に襲われた。あまりの痛みに息が詰まり、一瞬だけ意識が揺らぐ。
が、痛みならば今までに何度も味わってきた。ある程度の耐性はある。途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止め、何とか上体だけ起こした。
「駄目だよ! 動いたら本当に死んじゃう!」
「……お前が気にすることではあるまい」
しかし、それが限界だった。これ以上は少女の言葉通り、本当に危なそうだ。口内に広がる苦いものを飲み下し、少女と向き合う。
あまりにも無防備だ。肉体の硬化を行おうにも、これでは魔力を使えるかどうかさえも怪しい。もし少女にその気があるならば、容易く此方を殺れるだろう。
にもかかわらず、彼女はこちらを警戒してか、相変わらず彼女は安全な距離を保ったままだ。動こうとする気配はない。
「あなた……酷い怪我だったんだよ。本当に、死んじゃうんじゃないかって思った」
視線だけを下げると、どうやら獣皮でできたベストの下、体中に包帯が巻いてあるらしいことが分かった。お世辞にも上手と言えるものではなかったが。
「……お前がやったのか」
「うん、そうだよ!」
不意に少女の顔が明るいものになった。バスクは改めて全身を覆う包帯を眺め、思った通りの感想を述べる。
「どうりで、下手くそなわけだ」
「ひっどー!」
ぶんぶんと両手を振りながらの抗議が聞こえてきたが、とりあえず無視することにした。器用に耳を畳んだ上で、状況を整理する。
どうやら少女に敵対の意志はないらしい。問題は何故この場所にいるのかということだが、時間が経つにつれ、だんだんと意識を失う前の記憶が鮮明になってきた。
リーパー達と一緒に、その日二台目となる馬車を襲撃したこと。
しかしそれは罠で、逆に乗っていた王国騎士団の返り討ちにあって仲間が捕まったこと。
そして、戦闘で重傷を負った自分が森の外れまで逃げたあたりで力尽き、朦朧とした意識の中で何者かの声を聞いたこと。
「あの声は……まさか」
はっとしたように、バスクは再び少女に視線を戻す。どうやら、いつの間にか抗議は終わっていたらしい。頬を膨らませ、僅かに蒸気した顔が此方を睨んでいた。
畳んでいた耳を戻し、彼女に確認を取ろうとした時だ。
唐突に、少女の背後にあったドアが僅かな軋みと共に開いたのだ。
「ッ!?」
「おや、お目覚めになられたのですね」
入ってきたのは白地のシャツにズボンと言った格好をした中年の男で、髪の色は少女のような金というよりも、どちらかというと茶に近い。やや筋肉質な体は戦う者のそれではなく、おそらくは農耕に従事する者のものだろう。シャツから覗く腕には、農作業のために必要とされる以上の筋肉はついていない。
見たところ、その男の視線からは敵意などといった感情は感じられなかった。武器などを隠している気配もない。
此方が警戒していることを知ってか、男はその顔に人当たりのよさそうな笑みを浮かべた。
「よかった。何日も眠ったままでしたので心配してたんです……あ、私、村長を務めておりまして、ウィルと申します」
「……俺を助けたのはお前か」
「まぁ、治療自体は村で薬草に詳しい者が。私は大したことはしておりませんよ」
そして、ウィルの視線が少女の方へと移る。彼の笑みが深くなったのは気のせいではあるまい。
「倒れていたあなたを見つけてきたのも、娘のイルミナですからね」
その言葉に、バスクも少女の方を見る。こちらと視線が合うと、イルミナという少女はすぐにそっぽを向いてしまった。赤く染められた頬は、先ほどの感情とは違うものだろう。
「……何故見ず知らずの、しかも獣人の俺を助けるなどという真似をした。ついこの間まで人間と敵対して、殺し合っていた種族だぞ」
バスクは僅かに身構えるも、目の前の男は別段気にした素振りもない。ただ、微笑が苦笑に変わっただけだ。
「困っている人がいたら助けるのが私のモットーでして。それに、このような辺境の村の住民にとっては、戦争なんて遠い国の話のようなものです」
「……俺は人ではないが」
「では、困っている獣人の方も助ける、ということで。イルミナも懐いているようですし、せめて怪我が治るまではここにいてください」
そうまで言われてしまうと、バスクにはどうしようもない。父が来て安心したのか、いつの間にか此方の近くまで来ていた少女を見る。今や好奇心のみが残された目が、こちらの体を眺めている。そしてしばらくすると、おずおずと手を伸ばし――。
「……触っても、いい?」
「……好きにしろ」
溜め息交じりの許可に、再び少女の顔が明るくなる。毛を梳いたり、引っ張られたりしながらバスクは独り言ちる。
「……おかしな人間もいたものだな」
生まれた時から、バスクの周囲で人間というと貴族ばかりだった。己の地位と権力のみを気にし、奴隷である無抵抗の獣人を戯れに痛めつける者ばかり。先日まで共に行動していた盗賊たちは助け合うことはあるが、それは自分の身に火の粉がかからない範囲内での話だ。
しかしここにいるウィルやイルミナはそのどれとも違う。少女の方はともかく、村長であるその父は何となく察しているはずだ。気を失っていた数日の内に、おそらく王国騎士団から手配書が回っていることだろう。こちらの素性を知りながらも自分を匿っているのだ。
騎士達にそれが知れれば、どうなるかも理解した上で。
「……極度のお人好しか、単なる馬鹿か」
二人には聞き取れない呟きを漏らし、再び微笑を浮かべたままのウィルの方へと向く。傷さえ完治すれば迷惑になる前に出ていく、そう決心をしている。
「名はバスク。しばらくの間だが、厄介になる」




