とある男の追憶━13
遮るもののない晴天に、激しい金属音が連なり溶けていく。
そんな青空に、赤の飛沫が散った。
「ぐっ、う……」
真紅を滲ませる左肩を押さえ、ライトはその場に膝を突いた。その眼前に、血を滴らせる剣の切っ先が向けられる。
「……そろそろ、見苦しいぞ? さっさと諦めて、潔く死を選んだらどうだい」
「ハッ、誰が……まだやれるっての」
不敵な笑みを返し、剣を杖代わりにしてようやく立ち上がるライト。だがその体には既にいくつもの切り傷が刻み込まれていた。どれも動きに支障をきたすほど深いものではないが、じわじわと熱を帯びてくる傷口がライトの集中力を乱す。出血も相まって、それは確実にライトの体力を削っていく。
そんな彼に、フレッドは舌打ちする。
「その姿こそがレバントリアに対する侮辱だと言っているんだ。属性魔術も使えない、剣術も中途半端……父上の恩恵で生かしてもらっているような奴が、僕の邪魔をするなよ!」
叫びと同時、ライトの頭上で銀線が瞬く。
もう、ライトには避けるだけの体力も残っていなかった。
「ぐ――あぁああああああッ!」
残る力を振り絞り、迫る白剣へと自らの得物を叩きつけるように振るう。
同時、まるで鉛の塊を落とされたような衝撃が、一気にその両腕を襲った。擦れ合う刃が、悲鳴のような音をたてて火花を散らしていく。
押し切ろうとするも、重ね合わされた剣は微動だにしない。それどころか、じりじりとライトの方へ剣が押し戻されていく。
「これで全力かい⁉ 弱い、弱すぎるね! そんなことじゃ僕には一生届かないッ!」
「が……ッ」
重圧に、堪らずライトは片膝を突いてしまう。
「――ライトッ!」
リズの悲痛な叫び。視界の端で、そんな彼女をウィオルが押さえつけたのが見える。
「クソッ……リズ!」
限界が近づき、肉も、骨も悲鳴を上げ始めた。塞がりかけていた傷口からも、再び赤黒い血が零れる。
食いしばった歯の間から絞り出すように、ライトは叫んだ。
「こんな……こんなものが、お前の言う強さってやつかよ⁉」
「そうだ、他人を駒として操り、支配する力こそが全て! 生まれ持った才能! 絶対的な権力! 人生における勝ち負けはね、生まれた時に決まっているのさ! お前は何故レバントリアの人間に生まれていながら、そんなことも分からない⁉」
フレッドの剣に乗せられた荷重が、ここにきてさらに増していく。みしり、とライトの剣に小さなひびが入った。
だが、そこでフレッドはあることに気が付く。
絶対的な力の差を見せつけられていながら、ライトの口元には笑みが浮かべられていたのだ。
「そうか……ようやく、理解したよ。兄貴」
「……何だと?」
叩き潰そうと柄に力を籠めるが、何故か重ねられた剣をそれ以上押すことが出来ない。それどころか、今までじわじわと沈んでいた剣が、いつの間にか止まっているのだ。
「あんたの言うそれは、強さなんかじゃない」
「なっ……」
「あんたはただ……自分よりも弱い誰かを従わせることで、自分が強いと信じたかっただけだ。弱さを認められなくて、逃げていただけだ! そんなんじゃあ――俺には勝てねぇなァ!」
叫びと同時、甲高く響いた金属音。
気が付けば、フレッドの剣が弾かれていた。
「……ッ⁉」
大きく跳ね上げられた自らの剣。しかしフレッドが息を呑んだのはそれが理由ではない。
ライトの左手に握られたもの――ライトが先ほど腰で括っていた、剣の鞘。それを逆手で抜き、フレッドの剣を弾き返したのだ。
ようやく作り出した、おそらく唯一のチャンス。
「――らぁああああああッ!」
叫びと共に、交差するように閃いた両腕。
振り下ろされた剣が、フレッドの左腕を裂いた。ほぼ同時に、薙がれた銀の鞘が、血風を抜けてフレッドの頭部を捉える。
「ぐ、お――ッ⁉」
全身全霊を持って繰り出された剣戟は、低い呻きと確かな手ごたえを残してフレッドの痩躯を吹き飛ばした。
聞こえた鈍い音は、フレッドの体が反対側の柵に激突した音。ゆっくり視線を上げると、巻き上がった粉塵の隙間、項垂れたまま動かないフレッドの姿が確認できる。
「やった……か?」
大きく肩を上下させながら、しばらくフレッドを窺うライト。どうやら意識を失っているようだ。
「――フレッド様!」
予想外の展開に慌てたのか、隣からウィオルの叫びが聞こえる。すぐに聞こえてきた足音は、フレッドの元へと駆け寄っていく彼のものだろう。
目をやれば、リズはぽかんと口を開けたまま立ちつくしていた。その信じられないというその表情に、思わずライトは苦笑してしまう。
「ほら……勝ったぜ、リズ」
声を掛けると、ようやくハッとしたように我に返る少女。
「やった……やったよライト! 本当に――」
その驚いた表情を徐々に喜びに変え、ライトの元へ駆け寄ろうとする。
だが、そこに魔術の詠唱が高らかに轟いた。
「――〈酸の雨ッ!〉」
ざぁ、と天高く巻き上げられた無数の酸弾。ある程度まで上昇したそれらは、一気に急降下。まさに雨となってライトへと降りかかる。
「チッ……往生際の悪ぃ!」
だが、この程度ならなんとか躱せる。次々と降り注ぐ酸を躱していくライト。フレッドにさらなる一撃を与えるべく駆けだそうとし――そこに潜んだ、狡猾な男の目的に気が付いた。
「――リズッ!」
その広範囲に及ぶ攻撃は、彼女がいた場所さえもその射程に含んでいたのだ。
見れば、今にも彼女に酸の雨が降り注ごうとしていた。腕を拘束された状態で、彼女にこれを避けられるはずがない。できるのは、ただ恐ろしさにぎゅっと目を閉じるくらいだ。
一瞬の後、屋上のほぼ全てに毒々しい雨が降り注いだ。
■
「ははっ――クハハッ! 素晴らしい、素晴らしい光景だ!」
よろよろと立ち上がったフレッド。彼は気化し始めた酸の切れ間から捉えた光景に、狂ったように嗤い始めた。
「ぐっ……あぁあああッ!」
喉が千切れんばかりの絶叫を上げ、地面にくずおれるライト。降りかかった酸が制服の背はぼろぼろにし、さらにその下の皮膚を少しずつ焼いていく。
その影から窺える少女の表情には、絶望以外の何物もない。
「そんな……いや、嫌だよ……ライト! ライトッ!」
自らを庇ったことで負傷した少年。咄嗟に上着を投げることで降りかかる酸を避けようとしたらしいが、完全に防ぎきれるはずもない。
特に酷いのは左脚。足首からふくらはぎにかけて、まるで蛇が這ったように皮膚がただれている。これでは、もうフレッドと剣で渡り合うのは不可能だ。
痙攣するように地面でのたうち回る少年の傍に膝を突き、リズはどうにか縄を解こうともがく。だが縄がその細い手首に食い込み、うっすらと赤い血を滲ませるも、その拘束から逃れることはできない。少女に許されたのは、ただ目の前で苦しむ少年を見ていることだけだった。
少女の目から溢れた涙が、その愛する者の額へと落ちる。
「ぐっ――リズ、逃げろ……ッ!」
リズに目をやり、この場から離れるように言うライト。だが、彼女は即座に首を振る。
「嫌だ! ライトを置いていくなんて、絶対にしない!」
だが、二人の上に細長い影が重なった。顔を上げたリズは、頭上で不気味に輝く狂気を目にする。
咄嗟に、ライトを庇うようにして身を投げ出したリズ。気が付けば、その小さな体は宙へと放られていた。
反転した天地と、一瞬の間を置いて左の側頭部を襲う灼熱に、ようやくフレッドに蹴り飛ばされたのだと気づく。
「あぐ、うっ……」
地面を数度跳ね、ようやく止まった体。口を切ったのか、鉄臭い味が口内にじんわりと広がっていく。揺れる視界には足を振り上げたままのフレッドと、リズと同じようにうつ伏せに倒れたライトが映された。
「ククッ……僕の顔に傷を付けた罰だよ、ライト。彼女がいたぶられるのを、そこで眺めているといい……僕に馬鹿げた説教なんてした愚かさと、己の無力さを噛みしめながら、ね」
「やめろ、フレッド……ぐぅ⁉」
痛みをこらえて起き上がろうとするライト。だがその腹に、ブーツのつま先が深々とめり込んだ。低い呻きと共に再び地面に沈むライトを嘲笑いながら、フレッドはその足をリズへと踏みだす。
絶体絶命の状況。そんな中、フレッドの足を止めたのはライトでも、リズでもなかった。
フレッドの肩を、後ろから伸びた手が掴む。振り返ったフレッドは、狂ったような笑みを顔に張り付けたまま固まってしまった。
「もう……やめましょう。フレッド様」
苦虫を噛み潰したような表情のまま、その男――ウィオルは佇んでいた。
「何だと……?」
不思議そうに首を傾げるフレッドの対し、ウィオルは言葉を連ねる。
「私があなたについているのは、あなたの絶対的な強さに憧れたから……どんな相手でも屈服させる力と、大きな野心を持ったあなたに、家柄など関係なしに付いていきたいと思ったからだ! その男は、こんな卑怯なことは決してしなかった!」
おそらく、ウィオルという男は今までこんなふうにフレッドに進言したことなどなかったのだろう。その表情には躊躇と恐怖がありありと浮かび、口調は一語一語を区切るようなたどたどしさがある。
尚も表情を変えないフレッドを見ていられなくなったのか、ウィオルはその顔を俯かせた。
「本当は、サイとの決着もあんな形で付けてはいけなかった……堂々と自分の実力で戦うべきだったんだ」
ウィオルがその口を閉ざして生まれた静寂の中。僅かな間を置いて、辛うじて聞き取れるほどの掠れた苦笑発せられた。
それは、フレッドが発したものだった。
「ははっ……そうか。お前には、僕のことがそう見えていたのか……すまないなウィオル、気付いてやれなくて」
「そ、それでは――」
「あぁ」
普段と同じ笑みを浮かべ、フレッドはウィオルの肩を軽く叩いた。
だが、ライトは見逃さなかった。その目の奥で、未だ獰猛な光が残っているのを。
「ウィオル先輩! 逃げろッ!」
同時、フレッドが右腕を斜めに振りかぶる。
「気付いていれば、もっと早く始末していたよ――『〈魔毒の大太刀〉』」
言うが早いか、右手に宿された魔力を禍々しい色合いの太刀へと変貌させるフレッド。その凶刃が袈裟切りに振り下ろされると同時。鮮血が、霧となって吹き上がった。
「ぐ……ぅう⁉」
呻き、思わず下がりそうになるウィオル。だが、彼はそこで踏みとどまった。更にはそれを踏み込みへと変え、その右手には赤々とたなびく業火が宿される。
実は、ウィオル自身こうなるかもしれないことは予想していたのだ。そうなった場合、自分でフレッドを止めようという覚悟を秘めていた。
ほぼゼロ距離で放たれた業火の一撃。避けることは不可能。直撃すれば相手の意識を容易に奪うことができただろう――その相手が、フレッドでなければ。
「調子に乗るな――クズが」
恐ろしい速度で翻った刃が、拳諸共ウィオルを吹き飛ばした。かなりの距離を弾き飛ばされ、その巨体はまだ酸の残る地面を転がった。
「ぬ……ぐあぁっ」
尚も立ち上がろうと、ウィオルは肘を使って上体を持ち上げる。だが傷口から流れ込んだ毒牙が、その肉体から意志を切り離した。
無念そうにゆっくりとくずおれるウィオルを見て、フレッドは呆れたように溜め息を洩らす。
「はぁ……馬鹿なやつだ。黙っていれば、まだしばらくは飼ってやったのに」
べったりと付着した血を払うと、フレッドは太刀を揺らしながらリズの元へと歩いていく。既に先ほどの一撃で意識が失われつつあるのか、彼女の目は虚ろに揺れていた。
そんな彼女をしばらく眺め、何かを思いついたように口元を歪めるフレッド。己の懐から、あの心臓を模した物体を取り出した。そして後ろで伏しているライトへと振り返る。
「いいことを思いついた。これを使ってお前に、この子を殺させ――」
瞬間、フレッドでさえ視認できない速度で迫った何かが、頬を掠め、その手からオブジェクトを弾き飛ばした。
「は――?」
状況が理解できず、頓狂な声を洩らしたフレッド。
高く舞い上がったそれは、硬い屋上の地面へと激しい音をたてて衝突。けたたましい音と共に、その身に何重ものひびが刻まれた。
「な……あぁ⁉」
せっかく手に入れたそれが、徐々に内包する淡い輝きを失っていく様に、フレッドは絶句した。偶然手に入れた強大な力を失ったことを、その時になってようやく理解する。
一体、誰の仕業か。
視線を巡らせた先、倒れていたはずのライトが、ふらふらとした足取りながら立ち上がったのが見える。剣を投げたのかとも思ったが、彼の剣はその足元に転がされたままだ。
ならば、どうやって。
そこで、フレッドはようやくライトが手にしているものに気が付いた。だが、それはここにあるはずがない。
「お前……何で、それを」
驚愕に目を見開くフレッドの問いに答えず、ライトは軽く腕を振る。その動きに合わせ、まるで得物が蛇のように宙でうねった。
それは、以前ライトがレバントリアの物置から持ち出したもの。そこで、それは持ち主を選ぶと聞いた。だから、使いこなせる保証はない。
だが、ライトは確信していた。それが、自分にしか聞こえぬ声となって語り掛けてくるのだ。
――汝、何故我の力を欲するか、と。
一度目を閉じ、意識を集中させるライト。
「俺に……リズを助ける力をくれ」
縋るように呟き、未だ正面で動けずにいるフレッドを見据える。
起動の文言は、そこに封じられた者の名を呼ぶこと。
あの神秘的な装飾を施された箱の、正面に刻んであった「名」。それを、ライトは叫んだ。
「長き眠りに就きし太古の神よ、今、再び主の意志に従え――目覚めろ、〈大蛇〉ッ!」




