とある男の追憶―9
二人の騎士が逃げるようにして酒場を後にしてから、少し経った後。
まだ興奮の冷めやらぬ男達とキッシュを店の中に残し、ライトはそっと両開きのドアを通った。立てつけが悪いのか、微かに木材どうしが擦れる音が聞こえる。
それが消え入らぬうちに、ライトは酒場の壁に寄りかかって佇む影を見つけた。ライトをここに呼び寄せた張本人だ。
「……俺に、何か用かよ?」
「いや、ただ礼を言いたかっただけだ」
夕暮れの闇に紛れていた人物が、僅かな間を置いて足音を響かせる。残照に照らし出されたのは、あのロイという騎士だった。
「あの二人を止めたのはお前だろう? 大したものだ、まだ学生であろうに」
「……そりゃどうも」
随分と堅苦しい言葉を使うものだ。ライトは内心でそう呟いた。
こうして間近で見ると、目の前の人物はライトとそれほど違わない年齢に見える。その言葉遣いや落ち着いた態度でかなり年が離れているのだと錯覚していたが、その輪郭にはまだ少年特有の柔らかさが窺えた。
「……? どうした」
「あ……いや、何でもない」
それでも、やはり向けられる視線は鋭い。もしかしたら生まれつきなのかもしれないが、何か近寄りがたいものを秘めているようにも感じてしまう。
どうやら向こうもあまり話すタチではないらしく、気まずい沈黙が生まれてしまう。もしかすると、苦に思っているのはライトだけかもしれないが。
ただ、ここで何か話さなくてはと思うのは他人との会話を苦手とする性分ゆえだろうか。
向けられる温度の無い視線に耐えられず、何となく、視線を彷徨わせてしまうライト。
「あー……その、副隊長なんだろ? すげぇよな、なんか」
「どうということはない。ただ他の者よりも才に恵まれていた……それだけだ。お前だって、鍛えられた騎士を二人も倒したろうが」
「いや、あいつら酔ってたし。そうじゃなけりゃ――」
「たとえ酒が入ってなくともお前が勝っていただろう。おそらく、多少は苦戦を強いられたとは思うがな」
冗談だろう。そう思って再びロイに視線を戻せば、冗談を言っているようには思えない。
買い被りだ。そう言いかけたライトは、しかし出掛かった言葉を飲み込んだ。代わりに、ふと湧いた思いを、自分よりも格上の騎士に問う。
「……どうすれば、あんたみたいに強くなれる?」
相手が近い歳の、いや、王国屈指の強者だと見込んでの言葉。今度は、その氷のような瞳から目を逸らすことなく相対する。
それに対し、目の前の騎士はすぐには答えなかった。どころか、その表情に何の変化も読み取れない。ひょっとして聞こえなかったのではないかと不安になってきた時だ。
「お前の言う強さとは、何だ」
問いかけに返ってきた問いかけ。まさか強者から「強さ」について問い返されるとは思っても見なかった。
それでも、ライトは考える。
強さとは、何か。強い者とは、どんな者を指すのか。
サイの言っていた、辛い過去を糧にできる者か。
それともキッシュの言っていた、他人にはない何かを持った者か。
しかしライトにとって、どちらの答えも納得するには至らなかった。
唐突に思い出されるのは、フレッドの姿。己の欲望のために力を振るい、他人をも蹴落とすことを躊躇わない。ライトにとって、未だ越えられぬ大きな壁。幼いころから見せつけられてきた「強さ」。自分が求めている姿はそれだろうか。
己に、何度も、何度も問いかける。
――お前は、どう在りたい?
「俺、は――ッ」
怖い。
自分の出す答えが、ロイの期待するものと、もし違っていたら?
見限られ、嗤われ、侮蔑されてしまったら?
そんな思いが、紡ごうとする言葉を押さえつける。
それでも。
そうだとしても。
「俺は――あんたみたいに、大勢の人を救える力は、無くていい」
「ほう……?」
ぶつ切りに声になって出された言葉に、ロイは僅かに眉を上げる。
そこに浮かぶは驚きか、それとも落胆か。
分からない。それでも、もう逃げることはできない。
凍てつくような外気を、思いっきり吸い込む。
「たった数人――俺の周りにいてくれる、そんな人達だけでいいんだ」
何故か、浮かんでくるのはよく知った少女の顔。
その時になって、ようやく気付いた。気付かされた。
思い出される顔ぶれのうち、更に特別なたった一人。そんな彼女に、自分が今まで抱いてきた感情に。
「何があっても、そんな人達を守り抜ける力――それが、俺の求める強さだ」
たとえ、俺がどうなっても――。
一瞬、完全な沈黙が生まれた。
それを破ったのは、空気が弾けるような乾いた音。
あのロイが、くっくっと小さく笑ったのだ。
「お前は、そのままでいろ」
「は……?」
一瞬、本当に見限られたのかとライトは不安になった。しかし、どうやらそうではなかったらしい。
「言葉の通りだ。お前はそのままでいろ、変わるな。意志無き力は強さにあらず……志があれば、自然と強さは身についてくる」
「……何だよ、納得いかねぇな」
もっと具体的に、どうすればいいのかを教えてほしかった。それでも取りあえず、及第点ではあったらしいことに安堵の息を洩らすライト。しかし、気にならないことがないわけではない。
「……何で、笑ってんだよ」
真剣に考え抜いた末に出した答え。認められたとしても、その言葉が笑いを堪えながらではどうにも居心地が悪い。
未だくっくっと小さく肩を震わせているロイに、ライトは半目を向ける。
「いや、すまんな。まさかそこまで……聞いているこちらが恥ずかしくなる答えが返ってくるとは思っていなかった」
この野郎。
今更ながら、クソ真面目に考えていた自分が恨めしい。煮えくり返るような熱を溜め息として吐き出した。顔を上げれば、どうやらロイはようやく笑いの衝動を収めたところであるらしかった。
「どうだ、学院を卒業したら王国騎士にならないか? 歓迎する」
「……遠慮しとく。大変そうだしな」
「確かに、女とは一緒に居られぬがな」
「ッ⁉」
唐突に向けられた言葉に、思わず息を詰めてしまう。逆に、ロイは口角を吊り上げるようにしてライトを見ていた。
「先ほど言った数人とやらの中に、どうせいるのだろう? そういう顔をしていた」
「……うるっせーな」
つつ、と顔を横に逸らすライト。
その内心で思うことは一つ――こいつ、何か思っていた感じと違う。
「さっきの、意志無き力はなんちゃらってヤツ……じゃあ、あんたもなんかあるんだろ」
まさかその言葉を発した本人が、そういったものが何もないということはあるまい。それをお返しに笑ってやろうと思ったのだが、その意に反して、ロイの表情にはどこか殊勝にも見える物が浮かんだ。
見えぬ何かを追うように、その視線は虚空へと向けられる。
「俺は……憧れだ」
「憧れ?」
ロイの首が、肯定するように僅かに上下する。
「どれだけ追っても追いつかない……そんな背に、俺は未だ手を伸ばしている。届かない手を、必死に」
――その人が、とても近くにいるというのに。
そんな呟きが聞こえたような気がした。だがそれを確かめる前に、ロイが背を向けてしまった。
「お前――それと、あの連れはまだ学生だろう? もう暗くなる。そろそろ帰れ」
それだけ言うと、彼はすぐに歩きだしてしまう。学生のライトとは違って、向こうは祖ごとでここに居るのだ。そうのんびりもしていられないのだろう。
それでも、ライトはもう一つだけ聞きたいことがあった。
「……最後に、いいか?」
歩みを止め、ロイが首だけで振り返る。
「自分のために力を使うヤツってのは……強くなるもんなのか」
意志無き力は強さにあらず。もしそうならば、フレッドのあの力は何なのか。彼も、何かしらの志を秘めているということなのか。
その思考を、ロイの返答が遮った。
「それはない――と、言いたいところだが」
再び半身をライトへと向けるロイ。その目には、あの氷のような冷たさが戻りつつあった。
「そうでなければ、俺達の仕事も無くなるんだがな。残念ながら、そういった者は必ず出てくる。おそらく ……自らの力に飲み込まれてしまうのだろう。大きな力は、その分強い意志を必要とする」
「強い、意志……」
フレッドは、それならば最初から悪人ではなかったということだろうか。
ただ、意志が弱かっただけでああなってしまったのだろうか。
「お前は、そうはなるな」
赤みがかった暗闇に残された言葉。その中に薄れゆく背を、ライトはただ黙って見送る。
ただ、その覚悟は静かに固まりつつあった。
■
ライトがレバントリアの邸宅に帰ってから数時間後。
長大なテーブルの中程で、ライトは自分の席に座っていた。反対側の席、正面にはフレッドが座している。上座には父が、そのすぐそばには母が座す。
いつも通りの、静かな食卓。
そう、不気味すぎるほどに静かだ。
それぞれが食べ終えるのを見計らって、ライトの父がその静寂を破った。
「フレッド……この後、少しいいか」
既にかなりの歳であるにもかかわらず、その声はしっかりと張られた弦のような張りがあった。白い顎ひげを蓄えたその表情も、まだまだ貴族に典型的な、傲慢なまでの威厳は色濃く残っている。
「父上がお呼びならば、喜んで」
ゆっくりと、しかし真摯さを損なわない所作で、フレッドが応対する。それを見た父が満足そうに頷くと、席を立った。それに続いて、フレッドも自分の席から立ち上がる。
「あら、あなた。ライトはいいんですか」
「あぁ、ライトは関係ない」
母の言葉に、父は億劫そうに答える。分かりきっていることを聞くな、そんな苛立ちが感じられるようだ。
一瞬、フレッドの顔が嘲笑の色を帯びた気がしたが、それは父が視線を向けたのと同時に消え失せた。
「学校はどうだ?」
それは、ライトには決して向けられない質問だ。
「ええ、大過なく過ごせております。レバントリアの尊厳を失うことなく」
「それはよかった」
二人の声が遠ざかり、廊下へと消えていく。
それを待ってから、ライトも自分の席を立つ。まだその皿の上に少し野菜や肉やらが残っていたのを見て、母は少しだけ顔をしかめた。
「ごめん……あんまりお腹が空いてないんだよ」
それだけ言うと、視線から逃れるためそそくさと廊下へと向かうライト。ついさっき二人が消えていった場所だ。
悔しかったわけではないが、一体何の話だろうと気になった。特に、フレッドに関することならば。
埃一つない廊下を慎重に進んで行く。いくつもの部屋を通り過ぎ、ライトはその中で明かりが点いている小部屋を発見した。そこは確か物置になっていたはずで、詰んい鍵が掛けられていたはずだ。そこを開けられるのは父だけ。
「父上……これは何です?」
足音を忍ばせて近づくと、絞められた扉の向こうからは、やはり二人の声が聞こえてくる。ライトは扉のすぐそばまで近寄り、耳を押し当てた。
「我が一族に代々伝わるものでな……家督を継ぐ者に、渡すことがしきたりになっているのだ。」
「これを、自分に……?」
「そうだ、もうすぐ学院は卒業だろう? その暁には、これをお前に与えよう。これは使い手を選ぶらしく、私では使いこなせなかったが……優秀なお前ならば、もしかすると扱えるかもしれん」
何の話をしているのか、ライトにはさっぱり分からなかった。どうやら昔から受け継いできたものらしいが、ライトはそんな物の存在は知らされていない。
もう少しはっきりと聞くことはできないかと思案していたその時。二人の内のどちらかが、扉の方へ近づいてくる足音が聞こえた。
「やべ……!」
慌ててライトはすぐ近くの部屋の中に入る。ちょうど部屋の中に身を隠すのと同時、先ほど二人がいた小部屋の扉が開く音がした。
「どうした?」
「いえ……誰か、いた気がしたのですが」
気のせいですね、と再び父の方へと戻っていくフレッド。その足音に、ライトは緊張した体の力を抜いた。
もし見つかっていたら、二人は自分をどうしただろうか。今まで隠してきたということは、相当に重要な秘密だったに違いない。最悪、一切の容赦なく記憶を操作される可能性も無くは無い。ありえないと断言できない想像に、思わずぶるっと身を震わせてしまう。
「――では、このことは他言しないようにな。特に、ライトには」
「はっ、あいつは何をするか分かりませんからね」
嫌悪と嘲笑が半分ずつ混ざったような笑いの後に、二人があの部屋から出てくるのが聞こえた。
すると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。
「――あぁ、旦那様。ここに居られましたか」
例の、ライトに口うるさい女中だ。どたどたと、慌てた足音が近づいてくる。
「どうした、騒がしい」
「王宮の方から使者がいらっしゃいました。おそらく、次の舞踏会のことだと思いますが……」
「ふむ、やっと来たか。そろそろ来ると思っていた」
僅かに声の調子を上げた父の声に、そういえば、父が前からそんなことを口にしていたことを思い出した。国王主催とだけあって、今回は楽しみなのだと零していたのだ。
「今回はお前も連れて行くぞ、フレッド。今のうちに他の大貴族の顔を覚えておいた方がいいだろう」
「ありがとうございます、父上」
そんなやり取りと共に遠ざかっていく三人分の足音。完全に聞こえなくなるのを待ってから、ライトは恐る恐る顔を扉から覗かせる。なんとか見つからずに済んだことに、ひとまず安堵の息を吐いた。
顔を上げれば、目に入るのは物置の扉。ライトも、二人が話していたのが何なのか気にならないわけではない。
「……まぁ、開いてるわけないか」
馬鹿な期待だとは知りながらも、思わず扉の方へと足が向いてしまう。冗談半分に、軽く扉を押してみる。
すると、ぎしり、という微かな軋みを上げただけで、いとも簡単に扉は押しのけられたのだ。
「……どんだけ楽しみだったんだよ」
舞踏会とは、鍵を掛け忘れてしまうほどに心躍るものなのだろうか。顔も知らない偉そうな者達と嫌々付き合わされる会合など、死んでも行きたくない。
周囲に誰もいないことを確認してから、ゆっくりとドアを閉める。
真っ暗な空間。手さぐりで天井から吊るされた魔法石を探し当てると、魔力を少しだけ注ぎ込んだ。少しの間を置いて、部屋の中央から濃紺な闇が引いていく。
初めて入る場所ではあったが、それらしいものはすぐに見つかった。ライトの目の前にある、赤い箱。
長さにして五十センチもなく、幅も十センチほどと小振りなもの。しかし、その外装は見入ってしまうほどに美しかった。基調にされた赤色は色褪せてはいるが、蛇のように箱の表面を這う金色の装飾はかなり手の込んだように思われる。中にはそれなりに値が張るものがあるに違いない。
箱をしばらく眺めてから、ライトは時間がないことを思い出した。うかうかしていれば父が戻ってくるかもしれない。
そう考え、蓋に手を掛ける。思わず喉が鳴ってしまう。
一体、中には何が入っているというのか。
先ほどに二人の会話では、使い手がどうとか言っていた。一瞬宝剣か何かかと思ったが、それにしては箱が小さすぎる。
「まぁ、開けてみりゃあ分かるか」
独り言ち、箱の留め具を外す。そして一思いに、箱の蓋を開け――。
「――ライト坊ちゃま?」
びくっ、と大きくのけ反るライトの背。慌てて蓋の箱を閉じる。
ぎこちない動きで振り向けば、扉の隙間からはあの小太りの女中が顔を覗かせている。
「……こんなところで何をしているんです?」
「あ、いや……何でもないよ」
「本当ですか? ここは鍵が掛かっていたはずですけども」
どうやら、明かりを少ししか点けなかったためによく見えていないらしい。尚も訝しそうに目を細める彼女に引き攣った笑みを返しながら、ライトは魔法石から魔力を抜く。部屋は再び薄暗闇に支配された。
「たまたま部屋の鍵が開いててさ……。頼む、父さんやフレッドには言わないで」
部屋を出たライトは、懸命に女中に懇願した。
フレッドの名に、僅かに彼女の眉がしかめられる。しかし、それも一瞬のこと。彼女は呆れ顔で溜め息を吐き、やれやれと首を振る。
「……分かりました、言いませんよ。鍵が開いていたことは、私が見つけたことにしておきます」
助かった、と言わんばかりに肩から力を抜くライトに、その女中は小さく笑った。大げさに見えたのかもしれないが、実際告げ口されたらかなりまずかったのだ。
「でも……気を付けてくださいね?」
「え……」
顔を上げれば、先ほどの笑みはどこへやら、彼女の表情は心配そうにしぼんでいた。まるで、実の息子を気にかけている母のように見える。
言葉にしていいのか。そんな逡巡が読み取れた。
「フレッド様に……その、あまりお近づきにならぬよう」
その言葉で、ようやくその理由が分かった。彼女は、先日フレットがライトを痛めつけたことを知っている。それを心配してくれているのだろう。
一度迷いを振り切ったからか、堰を切ったように彼女の思いは声となり、その口から流れていく。最初はぼそぼそとしていた声は、少しずつ熱を帯びていった。
「ライト坊ちゃまはいつも、フレッド様にひどい目に遭わされておりますもので……心配なのです」
彼女の目にうっすらと浮かぶは、もしかすると涙だろうか。
ここにも、大切な人がいた。その事実に,思わずライトの胸にも温かな感情が広がっていく。
「……ありがとう。俺は、大丈夫だから」
それだけ言うと、これ以上何かを言われる前にライトは踵を返した。これ以上話していると、こちらまで泣いてしまいそうになってしまう気がした。
それでも、彼女の言葉には従えない。
向かうは自分の部屋。
階段を上がり、すぐの場所にある扉を開ける。すぐにそれを閉めてから、ようやく一息ついた。
「――もしかしたら、役に立つかもな」
そう言って、ライトは上着の中に隠した「それ」にそっと手をやった。




