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白狼と少女━2

 木立の間にわだかまる、濃密な闇。その中で、一人の青年が佇んでいた。

 雲が晴れ、今まで遮られていた月明かりがその一帯に差し込んでいく。

 それにより、目にかかる程度まで伸ばされた黒髪、次いで赤く染まった隊服が露わになった。緑を基調に作られていたそれは、今やその面影が無くなくなるほど朱に染め上げられている。

 しかし、その血は青年のものではない。

 

「逃げられちゃったかぁ……」


 虚空を見据え、ポツリと漏らされた言葉。しかしそこに悔恨の念は感じ取れない。寧ろ、どことなく安堵しているような響きさえある。

 その手には血塗れた長剣。未だ生温かさの残る赤黒い液体が付着したその剣の中央には、これまた赤い宝石が嵌め込まれている。妖艶に揺らぐその輝きは、役目を終えた今、徐々に淡いものへと変じ始めていた。


「――逃げられた、ではないでしょう」

 その青年の背後の闇から、感情を押し殺したような、しかし少年特有のあどけなさをわずかに残した声が発せられる。

 それと同時に姿を現した影は、青年よりも少しだけ背が低かった。同じ黒髪ではあるが、こちらは短く刈り込まれている。さらに鋭い双眸、一糸の乱れもなく着こなされた隊服が相まって、気真面目そうな印象を周囲に与える。


「先ほどから戦闘を見ていましたが、あの獣人に止めを刺そうと思えばいつでもできたはずだ……何故、逃がしたのです?」

 少しの間をおいて、青年は振り返ることもなくその答えを口にした。


「あれが根っからの悪人じゃないからさ」

「根っからの……悪人じゃない?」

 その答えに納得がいかないのか、彼の後方に立つ者は顔を僅かに顰める。続いて発された言葉には、苛立ちが滲んでいた。


「何故、それが分かるのです」

「何故って、そりゃあ……」

 青年が少しだけ顔を後ろに向け、困ったような、気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。


「まぁ、なんとなくかな。ロイにもいずれ分かるようになるさ」

「……あなたは甘すぎる」

 ロイと呼ばれた少年は、溜め息混じりにそう漏らした。が、すぐに咎めるような鋭い視線が青年を射る。


「あなたはもう少し、誉ある王国騎士団の隊長としての自覚を持つべきです。我が国の武力の頂点と称される立場ですよ? そんな人物がこれでは、いつか取り返しのつかないことに――」

「あー分かった、分かったよ。本当、ロイは真面目だな」

「レイ隊長がしっかりしないからです」

 今度はレイが溜め息をつく番だった。頭痛がすると言わんばかりにこめかみに手を添える。


「……お前を次期隊長に推薦する時には、一緒にあのルイスとか言うやつも副隊長に推薦しておくよ」

 その途端、ロイの顔が苦虫を噛み潰したようなものへと変わる。誰が見ても明らかな嫌悪だ。


「あの男に副隊長が務まるはずがありません」

「そうかい? 多分大丈夫だと思うけどなぁ。お前ともうまくやれると思うぞ?」

 そこまで言い切ると、ロイに反論の余地を与えぬうちに「さぁて、盗賊たちを連行しなきゃなー」と闇の中へ歩き出すレイ。遅れて少年も、これでもかと言わんばかりに眉根に皺を寄せながらも付き従う。


「何であの男の名前が出てくるんだ……いや確かに実力は認めるがなにもあの馬鹿じゃなくても――」

 しかしどうにも不満が抑えきれないようで、恨みごとが声になって漏れていた。レイは「困ったもんだ」、と苦笑を浮かべる。


「まぁ、その問題は置いておくとして……二人だけの時くらいさぁ、『兄さん』って呼んで欲し――」

「任務中です」

 即答。次いで、気の毒になる程の残念そうな溜め息。

 そのやり取りを最後に、森は再び静けさを取り戻した。


 ■


「ハァ……ハァ――ッグ!?」 

 足がもつれ、無様にも地面に倒れこんだ。大した勢いではなかったはずなのだが、身体がばらばらになるのではないかというほどの衝撃、同時に激痛が全身を駆け巡る。

 起き上がろうと、未だ血が滴っている両腕に力を入れるが、その瞬間再びの激痛が全身を襲う。呼吸すらも困難になるほどのあまりの痛みに、咳き込む。盛大に喀血し、再度大地に顔をうずめる羽目になった。


「畜生……がッ……」

 

 現在、バスクは死の瀬戸際に立たされていた。既に死神の鎌が首元に押し当てられているといっても過言ではないほど切迫した状況。まさに風前の灯、というやつだ。

 全身を覆う白い獣毛は、血によってまだらに染め上げられている。寧ろ、赤の色合いの方が多いかもしれない。

 目の焦点も定まらず、瞼がやけに重い。一たび気を緩めようものなら瞬く間に意識を失い、通りがかりのアンデッドの餌にでもなるだろう。

――いや、それよりも失血死の方が早いか。


「ハッ……ツイてねぇ。悪党らしい、惨めな死にざまってところか……」

 身悶えるほどの鈍痛が未だに残っているにもかかわらず、自分の運の悪さに思わず苦笑が浮かぶ。

 まさか、襲った相手が王国騎士団の隊長と副隊長とは。あっという間に深手を負い、彼らが他の盗賊たちに気を取られているうちに全力でその場から逃亡した。そうでもしなければ逃げることすらもできなかっただろう。

 まぁ結局、この世にいられる時間が少しばかり伸びただけだったが。


 本来あの二人がここに来るなどということは考えられない。王の護衛ならまだ分かるが、馬車に乗っていたのはあの二人のみ。

 つまりは彼らは自分たちを殲滅する任を受けてここに来たのだ。活動場所の森がエンシャントラから近かったことが災いした。そうでなければここまで危険視されることもなかっただろう。


「……本当、ツイてねぇ……」

 二度目になる恨みごとを漏らし、バスクはゆっくりとその目を閉ざした。

 これが運命というものなら、仕方がないことだというならば、甘んじて受け入れよう。

 そんな諦念が思考を支配していた。もとより、これ以上足掻いたってどうにもならない事くらい、分かりきっている。

 思えば、この世に生を受けたその瞬間から、既に恵まれているとは言えなかった。


 当時、人間と獣人、そしてエルフの三国は同盟など結んでいなかった。寧ろ自分達とは違う種を敵視し、時折戦争が行われていたのだ。

 その最中、人間は多数の獣人を捕虜として捕らえることに成功する。その中にはバスクの両親達もいた。

 彼らは奴隷のような扱いを受けながらもエンシャントラで生き延び、やがて『真紅クリムゾンキング』という三種族共通の敵の出現により同盟が結ばれることで、争いはひとまずの終結を見せた。

 

 バスクが生まれたのはちょうどその時だ。王国内では、捕虜とされていた獣人たちを解放するという旨が伝えられ、これで地獄のような日々が終わると獣人たちは喜んだ。

 が、そんな幻想は脆くも崩れ去ることになる。王国の形だけその旨を公布したにすぎず、実際はその動きを見せることはなかった。要は貴族たちに丸投げしたのだ。

 『真紅の王』の討伐のため、そこまで手が回らなかったことが大きな理由といえよう。獣人の国、ウルムガントも、同じ理由で何も言ってくることはなかった。

 

 結果、貴重な労働力である獣人を手放す貴族は皆無。寧ろ、その扱いは一層惨たらしいものになった。バスクが物心つくころには、既に両親は過労が祟り他界していた。一人残された彼は絶望の中、貴族に言われるがまま、ただひたすらに働き続けた。その闇の中に光など差し込まないと思いながら。

 転機が訪れたのはそれから数か月後のこと。仕えていた貴族の移動のため、その数人の部下と共にバスクはその身辺警護を務めていた。

 そして、この森でリーパーたちに襲われた。彼らを全滅させることは容易だったが、彼はあることに思い至ったのだ。

――この森で主人が死んだところで、一体誰が不審に思うだろうか。


 当時からこの森で野盗に馬車が襲われることは多々あった。そこまで高い爵位を持たないこの男が消息を絶ったところで、国中の騒ぎになどはならない。

 そこまで思い至ったところで、バスクは怯えて震えていた主人を一刀の元に斬り捨てた。事態が呑み込めず、その周囲でただ呆然としていた従者たちも同様に両断する。

 今まで自身を苛烈なまでに虐げてきた人間の命を奪うことに、微塵も罪悪感が湧かなかった。もちろん、他の人間ならばこうはいかなかっただろう。

 

 始めはリーパーたちもバスクの行動に困惑していた。突然、襲った相手が同士討ちなど始めたのだから当然の反応と言える。

 が、彼らは事情を知ると「仲間にならないか」と勧誘してきた。それは、行く当てもなかったバスクにとっては願ってもない申し出だったのだ。


――そして、現在に至る。

 走馬灯のように記憶の断片が頭の中を飛び交ううちに、バスクは意識を失っていた。このままならば確実に死んでいたであろう。そう、このままならば――。


 ■ 


 微かな足音とともに、小さな影が近づいていく。得体がしれないものを前にした恐怖に、今までは見つからないように木の陰に隠れていたのだ。気付かれないうちに逃げてしまおうかとも思っていたのだが、それがついに動くことが無くなったため、幼心特有の好奇心を抑えきれなくなったのだ。


「お父さんが言ってた怖いお化け……じゃない、よね?」

 声音に恐怖心を滲ませながらもその手前に立ち、そっと白い毛並みに指を潜らせる。手を動かすと、その柔らかな毛はその動きに逆らうことなく流れていく。


「わ、ふかふかだ」 

 あまりの触り心地の良さに夢中になっていると、突然それがピクリと動いた。


――まだ生きている。

 それを悟ると、慌ててその場から少女は飛びずさった。今まで閉じていた、黄色の光沢をもつ瞳が小さく開かれる。

 しかしその焦点は定まっておらず、今にも再び閉じられてしまいそうだ。

 助けなきゃ死んじゃう、直感的に少女はそう思った。


「……待ってて! すぐに村のお医者さん呼んでくるから!」

 死んじゃ駄目だからね、と続けると、少女は慌ててその場から駆けていった。  

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