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とある男の追憶―8

「……なぁ、キッシュ」

「ん、何かな?」

「ここ――」

 口を開いた瞬間、近くで発生した何重もの笑いによってその言葉はかき消されてしまった。渋面で耳を塞ぎ、その笑いが静まるのを待ってから再び声を張るライト。

「ここ、そんなにいい所か⁉」

 かなりの大声。しかしその声ですらも周囲の喧騒に打ち消されてしまうという現実に、眉根をきつく寄せる。

 キッシュに案内された場所は、城壁に近い区域にある酒場。町工場が目立ち、職人が多く集まる場所だ。活気に溢れ、良くも悪くも粗野な言動が目立つ職人気質の男達が大半のテーブルを占めている。夕刻という時間のせいもあってか、なかなか人が多い。

 全ての人間が広い酒場の端から端まで届くような声で話し続けるため、静かになる時間が瞬間さえもない。全く知らない男に絡まれるなどザラだ。

 そんな場所に慣れていないライトはストレスしかたまらないのだが、見かけによらないとはこのことか、なんとあの大人しそうなキッシュが完全に打ち解けている。口下手なライトと二、三言話してキッシュの方へ行った男達が、彼を囲んで盛り上がっているのだ。

 すると慣れない環境でふてくされているライトを見かねてか、キッシュが周囲の男達に断りを入れ、ようやく戻って来た。

「ゴメンゴメン。こういうところ、ライトは嫌だったかな」

「嫌というか、落ち着かないな……」

「でも、みんないい人でしょ? 確かに気は強い人が多いけど、みんな優しいよ」

「まぁな」

 そう言って、ライトは注文した果実水で口を湿らす。ほんのりと口の中に残る柑橘の味が、ライトは気に入っていた。ただ、ジョッキで飲む習慣がなかったのでそれに慣れるまでは大変だったが。

「それにしても……あんな連中もいるんだな」

 ライトが指さす先、カウンターの席に二人の男の背が見える。緑色の隊服に、腰に差した剣。先ほど少しだけ見えた鷹の紋章は、うわさに聞く王国騎士のものだろう。

 ライトの示している者が分かり、キッシュも顔をしかめる。

「あー、どうも騎士の中でも、あまり真面目ではない人達みたいだね。たまにいるんだよ」

「サボってるわけだ……まぁ、息抜きも大切だとは思うけどさ」

 聞く話によると、騎士になってしまえばほとんどの時間を鍛錬と仕事で費やすことになるのだとか。だとすれば、ああいった連中が出てくるのも分からなくはない。

 ライトは僅かな苛立ちを押さえるように、もう一度果実水に口を付ける。それでも、腹の奥底で燻るような感情は完全には消えない。

「……あいつらはムカつくな」

 彼らをしばらく観察していれば分かる。明らかに悪酔いしているのだ。

 見れば、給仕にせわしなく動き回る者に悪戯を仕掛けてみたり、近くにきた男に喧嘩をふっかけたりしている。当然帯刀している騎士に強く出られる者などいるはずもない。みな恐れて、彼らの近くにはいかないようにしているようだった。

「全部の騎士があんなだとは思いたくねぇけど、ひどいもんだ」

「うん、まぁね……」

 歯切れの悪い返答。

 そこでようやく、ライトは隣に座るキッシュの視線がちらちらと動いていることに気が付いた。その視線の先にいるのは、水色のワンピースに白いエプロンを付けた小柄な少女。この店の従業員らしく、先ほどから飲み物を乗せたトレーと共にちょこまかとテーブルの間を縫うように移動している。

 ちなみに、ライトに果実水を持ってきてくれたのも彼女だった。ただ、新米なのか、まだたどたどしい接客だったが。

「へぇ、気になるわけだ」

「ち、違うよ! そんなんじゃないって」

 わたわたと手を振り、誤魔化すように自分の分の果実水に口を付けるキッシュ。

「……ほう」 

 口ではそう言うが、僅かに赤く染まった顔が全てを物語っている。再び少女の方に目をやれば、彼女はちょうどあの騎士たちのところへ酒を持っていくところだった。

「す、すいませーん! 葡萄酒お持ち致しまし――たぁ⁉」

 突然、彼女が足をもつれさせて大きくつんのめった。

 最後のは気合いだろうか――そう思えてしまうほどに、直線を描いた二つのジョッキは、キレイに騎士の上で中身をぶちまけた。

「うおぉ⁉ て、テメェ何してくれてんだオイ!」

「ご、ごめんなさい! 今拭くものをお持ち致しますので!」

 土下座の勢いで頭を下げた少女。すぐに布巾を持ってこようと引き返そうとしたその細腕を、騎士の片割れが掴んだ。手入れのされていない黒髪の下、血走った目がその怒りを表わしている。

「ナメた真似してくれやがって小娘が! 俺達が騎士だって分かってやってんのかよ」

 声を荒げるぼさぼさ髪の男の隣、小太りの騎士もやや遅れて立ち上がる。

「そうだなぁ……まぁ隊服の弁償費用と、なんかサービスも欲しいかな」

「さぁびす……ですか」

 男達の意味していることが分からず、おずおずと尋ねる少女。

 その様子に、ぼさぼさ髪の男も怒りを収め、代わりに下卑た笑みを浮かべる。

「そうだな。これから俺達に付き合ってくれねぇか? ちょっとでいいんだけどよ」

「えぇ……でも」

 明らかに困った様子の少女。助けを求めて周囲の視線を巡らすも、目があった途端に他の男達は顔を伏せてしまう。誰も巻き込まれたくないのだ。

 離れた席でその一部始終を見ていたライト。あまりにも苛立たしいのでそろそろ割り込んでやろうかと本気で考え始めた。

「おいキッシュ、俺ちょっと……んあ?」

 その時、隣にいた少年がいなくなっていることに気が付いた。

 まさか、と思い再び視線を騎士達の元へと戻せば、まさにキッシュが少女と男の間に割り込んだところだった。

 男の手を少女の腕から振り払い、その小さな体を盾のように滑り込ませる。

「あぁ? 何だお前は」

 明らかに不愉快そうな表情を浮かべる男に、一瞬キッシュは怯んだように見えた。引き攣った顔が、その余裕の無さをありありと表わしている。

 それでも、キッシュは逃げなかった。

「や、やめろよ! お前ら騎士なんだろ。恥ずかしくないのかよ」

 騎士として、最も大切にすべき精神。それを引き合いに出されたことに、騎士二人の顔が僅かに上気した。

「――うぜぇな、コイツ」

 ぼさぼさ髪の方が、キッシュの胸倉を掴もうとした。しかしその時には、ライトの足は動き出している。

 一瞬でその場へ駆け寄ったライトが、男の無造作に突き出された腕を掴む。思いっきり引くことで相手の体勢を崩し、そのまま担ぐようにして床に叩きつける。騎士とは言え、酒でふらつく状態では相手にもならない。

「が、ぁ……」

 空気を求めて喘ぐ男。酔いのせいか、上手く起き上がることが出来ないらしい。取りあえず、しばらくは無視してよさそうだ。

「ライトッ!」

 背後で、キッシュの声が聞こえる。心配してくれているのは嬉しい。だが、負ける気は全くしない。

「安心しろ。こんな騎士のなりそこないなんか相手じゃないさ」

「……貴様ッ!」

 仲間の醜態と、騎士への侮辱に激高したらしい小太りの男。酒のせいで理性が弱くなっているのか、しゃらん、という金属音が怒声に続く。それを見た酒場の方々から聞こえる、微かな悲鳴。

「学生の分際で……騎士を何だと思っている!」

「それはこっちのセリフだよ」

 酒に呑まれた末の愚行に続いて、私情による抜刀行為。このような男が騎士としての高潔さを謳っているのだから、世も末だ。

 思わず深々と溜め息を吐いてしまうライト。目に見えてそれと分かる隙に、男の怒りは一瞬で頂点に達した。

「――喰らえ!」

 剣を持っていない腕を、男は突き出してくる。その先に込められた魔力から、おそらく飛んでくるは魔弾。

 対して、属性魔術が使えないライトは避けるしか術がないのだが、その後ろにはキッシュと少女がいる。彼らも避けてくれる確証はない。キッシュはともかく、少女は疑問だ。

 ――ならば。

 ごぅ、と唸りを上げて射出された魔力の塊。その属性は風。

 空気を切り裂きながら突っ込んでくるそれを、ライトは臆すことなく見据える。その左手は、先ほど倒した騎士へと延びていた。求めていたものを探し当てると、即座にそれを抜き放った。

「――らぁ!」

 振り上げられるライトの腕。その先には、騎士の象徴である剣が握られていた。

 切っ先が、渦巻く気流の塊を真っ二つに分断する。逆袈裟に断たれた魔弾は、断面から左右に分かれて消滅。

 しかしライトの目の前に、上段に剣を構えた男の姿が映りこんだ。魔弾を放つと同時、ライト目掛けて駆けだしていたのだ。今にも振り下ろされそうな、白銀の剣。

 それでも、ライトはそれを読んでいた。

「わざわざ抜刀なんか見せるからだっつーの」

 あらかじめ両脚に掛けておいた身体強化魔術。軸足として左の足を残し、右の足で思いっきり床を蹴る。振り抜いた剣の勢いを止めるどころか、それをさらに加速。

 一瞬の転回と同時に繰り出されるは、最高速度の回転斬り。

 先ほどとは違う、けたたましい金属音がその場にいた者達の耳をなぶった。

「ぐっ……」

 手を襲った予想以上の痺れに顔をしかめるライト。

 それでも、側面からの一撃によって逸らされた騎士の剣は、深々とカウンターに食い込んだ。慌ててそれを引き抜こうと腕に力を籠める男。しかし主の意に反して、その得物は微塵も動く気配がない。

「クソッたれが!」

 毒づき、ライトの方へと向き直る騎士。

「……おっさんも、往生際が悪いな」

 男は両手を前に突き出そうと構える。しかしそれよりも、ライトの方が速かった。

 素早く相手の懐の潜り込み、贅肉のついた顎目掛けて拳を一撃。確かな手ごたえと共に、男の目がぐるっ、と回った。

 近くのテーブルを巻き込みながら倒れる盛大な音と同時、沸き上がるような歓声が酒場を支配した。

「君、すごいな! その制服、ラスティア学院の学生さんだよね!」

「わぁ、始めて見たー!」

「うおっ、何だ何だ⁉」

 わっ、と駆け寄ってくる人々。周囲から聞こえる称賛と賛美の声に、どうしていいか分からずただ頭を掻くライト。

 そんな中、最初に倒された騎士が起き上がるのを目にした。

「ぐっ……このガキ、ナメてんじゃ――うげっ⁉」

 がこん、と勢いよく振り下ろされた銀の盆が男の後頭部に直撃した。再び床に突っ伏す羽目になった男の後ろには、丸くへこんだ盆を抱えたキッシュ。

「……やっちゃったよ」

 どうしようか、とライトの方を見やるキッシュ。そんな彼に「ナイス」と笑いかけると、どうやら少年も苦笑を浮かべる以外はなくなったようだ。

 すると振り返ったキッシュが、後ろで呆然としていた少女に何やら声を掛けた。一瞬戸惑ったような表情を浮かべた少女だったが、それはすぐにはにかんだような笑みに変わる。

 それがキッシュにも伝染するところまで見て、にやけ顔を隠せなくなったライト。まだ見ていたい気もしたが、流石にそれは気が引ける。後は上手くいくことを祈るのみだ。

 そうしてたまたま逸らした視線。その先に新しく入って来た客が映ったのは、本当にただの偶然だ。

 鷹の紋章が輝く、緑色の隊服。腰に差された、その身分を象徴する長剣。

 何より先ほどの者達とは違う、鍛え上げられた剣を思わせる鋭い双眸が、その男を表わしていた。

 ライト以外、まだ誰もその男の存在に気付いていない。

 何の感情も読み取れない瞳が、床に伏した二人の騎士達、次いで人々が作り成す輪の中央のライトへと向けられる。

 その瞬間、ライトは悟った。この男は、自分よりもはるかに格上だ、と。

 それは、野生の生き物が自らの天敵を瞬時に知覚するのに似ていた。生き残るために与えられた、彼我の差に対する敏感さ。

 ライトがフレッドに感じる威圧感と同じ。それでも、その男から邪悪なものは感じ取れなかった。

 心なしか、その氷のような瞳の奥に、微かな何かが過った気がした。しかし、瞬きの後にはもうそれは消え去っている。

「――少し、いいだろうか」

 男が発した、短い言葉。

 まさにライトが抱いたイメージどおりの静かな声は、しかしその場にいた男達の熱気を一瞬で冷ましてみせた。

 全員の視線が、その闖入者に向けられる。

 困惑、怒り、侮蔑――一瞬の後に生まれた様々な感情も、ひとたびその男の目を見れば薄れていく。床に伏す二人の騎士との明らかな差異を、そこにいた誰もが感じ取ったのだ。

 しかし、次にライトを含めた全員が抱いた感情は驚愕だった。

「騒ぎを聞きつけて来てみれば……俺の部下が、どうやら騎士にあるまじき無礼を働いたようだ。そこの馬鹿どもに代わって、謝意を述べさせてくれ――本当に、すまない」

「なっ……」

 深々と頭を下げるその男に、ライトは自らの目を疑った。先ほどの騎士を見た後に、このような姿を見てしまうと思わず戸惑ってしまう。

 他の者もそうらしく、静寂の中で僅かなざわめきが聞こえてくる。

 そんな中、あの二人の騎士がようやく意識を取り戻したらしい。むくり、と頭を押さえながら起き上がり、周囲の者の視線を辿り――一瞬で、酒と怒りで赤く染まっていた顔が青ざめた。

「ろ、ロイ副隊長……ッ⁉」

 腰が抜けたように後ずさる二人に、氷のような視線が向けられた。

「……一つだけ聞こう。お前達は、ここで何をしている」

「そ、れは、その……何と言いますか……」

 どうやらロイというらしい騎士は、ぼさぼさ髪の男の要領を得ぬ返答にさらに目を細めた。鋭い眼光が、さらに鋭利さを増した気がする。

「ここで任務を怠り、酒に溺れていた……それ以外に言い訳があるなら聞くが」

 その言葉に、どちらの騎士もただ身を小さくするばかり。呆れたように首を振り、ロイはこれ以上二人を見て居たくないとでもいうように、扉の外を示した。

「宿舎に戻れ。処分は追って下す……覚悟はしておくんだな」


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