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とある男の追憶―5

 ライトはひたすらに通路を走る。

 時折通行人にぶつかりそうになることもあったが、それでも速度は落とさない。下層の訓練場では、既に二人の戦いは決着を見せようとしているのだ。

 格上のサイを相手に、ウィオルは予想以上の善戦を見せた。炎とは相性の悪い土塊のゴーレムを使役する相手に、弱点である胸の中心を狙った一点集中攻撃で、なんとかサイとゴーレムの連携を防いでいた。

 それでも、このままいけばサイが勝利するだろう。だからこそ、何かが起こるとしたらそろそろだ。

「――あった!」

 結界の頂点付近、直径で一メートルにも満たないであろう小さな円形の隙間。この辺りにフレッドもいるはずである。

 ライトは走る足を止め、今度は客席からフレッドらしき姿を探すことに専念する。しかし、急に観客がそろって立ち上がり始めたためそれが困難になった。

「何だよ急に……ッ!」

 これではよく見えない。苛立たし気に呟くライトの耳に、魔法陣形成の詠唱が飛び込んできたのはちょうどその時だった。

 決着の時が近づいていたのだ。

 壁になった人の合間から、何とか状況だけでも把握しようと努める。どうやら訓練場中央で、一つの魔法陣が定型へと近づきつつあるようだった。

「さぁウィオル! そろそろ決着を付けさせてもらうぞ!」

 歓声に交じって聞こえてきたのは、サイのものだった。


「――母なる大地より生まれし、偉大なる金剛の戦士よ。天地あめつちを裂くそのかいなを以て、小さき者にその瞋恚しんいを示せ」


 詠唱を行うサイを守るように配置されたゴーレム。強大な魔術の詠唱中に無防備になるのは常識で、その間は術者は完全に無防備になる。逆に言えば、相手はその間に術者を倒せるかどうかで勝敗が決まるのだ。

 しかし、ウィオルは何もしなかった。

 妨害のための魔術をやみくもに撃つでもなく、相殺するための魔法陣を組むでもなく。ただ、不気味なまでの静けさを持って佇んでいた。

 人々の隙間から窺えるその立ち姿からは、諦めは感じられない。

 それが、ライトにはたまらなく異常に見えた。


「――『土神顕現(サモン・アースゴラム)』」

 

 瞬間、大音量と共に訓練場の大地が裂けた。今までのゴーレムの召喚によって生じた、削れるなどと言う生易しい表現では足りない。文字通り、人為によって底の見えぬ谷が生まれたのだ。

 その谷間から這い出した、二本の巨腕。それが全身よりも先に、地を揺るがすような重々しい叫びが訓練場全体に轟く。

 まるで地獄から聞こえてくるかのような叫びに、ライトも、会場にいた生徒達の誰もがその息を呑んだ。

 太古に従僕として生み出されたという人造の人形。それは魔術という幻想的な力によって、今や人造の人型兵器として顕現した。

 地の底からせり出したのは、ちょうど腰までの半身のみ。それでも、その頭部は窮屈そうに結界の頂点で留まっている。左右非対称な肩を震わせれば、そこに付着していた泥岩が流星の如く大地を穿った。

 眼窩に揺らめく赤い輝きは、自らの何百分の一ほどしかないウィオルを睥睨している。

「……何だよ、あれ」

 呻きとも、喘ぎともつかぬ声がどこかから聞こえた。おそらく観客全員の心境を代弁しただろうそれは、静寂に従うように溶け消えていった。

 誰もが勝負が決したと確信しかけた、その時。


「――それじゃあ、面白くないだろう」


 直接語りかけられたような感覚。最早反射に近い速度で振り返った先に、探していた人物の姿を見た。

「フレッド……ッ!」

 訓練場の外縁部。試合のほとんど見えないそこに、たった一人、男が佇んでいる。試合に介入するつもりならより内側に近づくだろうと予想していたため、そこは盲点になっていたのだ。

 方向で言えば、結界に開いている穴のちょうど正面。

 今の声が聞こえたのはライトだけだったのか、他の生徒は出現した巨大ゴーレムに気を取られている。誰の視界にも、彼は入っていない。

 そんな彼の手には、何か奇妙な物体が握られていた。楕円形の、小さな赤い塊。装飾なのか、鮮やかなピンク色をした蔦のようなものが、それを覆うように這っている。

 心臓を想起させるその不気味なオブジェクトに、ライトは直感した。

 間違いなく、何かが起こると。

 その予感が、ライトの体を突き動かした。脳が下した指令は全力疾走。しかし、それよりもフレッドが先に動いた。殺気を伴った魔力の奔流が、彼の周囲に溢れていく。

 魔力によって生み出された疑似生命体は、空気中の魔力の流れには非常に敏感だ。主人に向けられた攻撃の意志に、それらは即座に反応する。

 今回、もし結界が十全に機能していたならば、結果は違っていただろう。フレッドが一瞬だけ発した魔力は、障壁を抜けて感知されることはなかった。

 しかし、今回はその結界が完全ではない。ゴーレムの頭部が、プログラムに従ってフレッドの方を向く。

 刹那の間、赤い眼光と彼の視線が交差した。

「……させるかッ!」

 直後、フレッド目掛けてライトが突進した。

 フレッドを弾き飛ばした後、その体はそのまま床を転がる。それでもすぐに跳ね起きると、床に倒れたままのフレッドを抑え込んだ。

「ふざけたことしてんなクソ兄貴! どうやって結界に穴を開けたんだ⁉」

「……あは。意外と脚が速いんだなぁ、ライトは。驚いたよ」

 余裕を崩さず、不敵に笑うフレッド。つまり、未だ彼の計画は破綻していないということ。

 それが、ライトの焦燥を掻き立てる。

 もう、なりふり構っている場合ではない。

 ライトは無理矢理にでもその口を割ろうと、拳を振り上げた。

「これ以上ふざけてるんなら――」

 しかし、その言葉はそこで途切れた。

 正確には、背後から聞こえた轟音に飲み込まれたのだ。

 何事かと、振り返った先。状況を把握したライトは、言葉を失った。

 反対に、押し倒されているフレッドの口元に浮かぶは笑み。それが、彼の計画の成功を物語っていた。



 リズは、訓練場で起こった光景の全てを見ていた。

 「土神」というゴーレムの、そのあまりの強大さに視線を逸らせずにいたのだ。

「すごい……」

 辛うじて口から出せる言葉は、たったのそれだけ。魔法陣など、上級生でも使える者は限られている。数えるのに五指で足りるだろう。

 当然、リズにそんな魔術は使えない。見たことさえもない。いつかは自分も使えるようになりたいと思ったことは幾度となくあるが、その暴力的なまでの威圧感に、使いこなせるのかという不安が初めて生まれた。

 はっきり言って、怖かった。周囲の生徒達と同じように、その怒りの矛先が自分に向いていないことに内心で安堵していたくらいだ。

 そんな中で、一瞬、そのゴーレムの恐ろしげな光が明滅した気がした。召喚獣の目の光は、術者との精神的連結を示していると講義で聞いた。だとすると、まずいのではないか。

 それを思い出してぞっとしたリズだったが、再び赤い光が揺らぐことはなかった。

 その近くで、サイが声を張り上げる。

「いくぞ『土神』! 威勢良くも愚かな挑戦者に、身の程を教えてやろうじゃないか」

 その言葉に、標的にされたウィオルがたじろいだのが見える。その青ざめた表情から察するに、サイの『土神』を過小評価していたのだろう。

 確かに、あの腕の一撃でも喰らえば普通の人間などひとたまりもない。サイのことだから当然威力は抑えるのだろう。それを知っていても、あの巨人に立ち向かう気には到底ならないだろうが。

「オォオオオオオッ!」

 ゴーレムが、その一撃を放つために腕を大きく振りかぶった。慌てて、ウィオルが口を開きかけたのが見える。降参を宣言するためだろう。


 ――サイ先輩の勝ちだ。

 

 結局何も起こらなかった。

 サイが勝利して戻ってきたら、彼に「おめでとう」と伝えよう。きっとライトも恥ずかしそうな笑みを浮かべてやってくるだろうから、その杞憂をサイと一緒にからかってやろう。

 そんな予定を頭の中で組み立てながら、リズは顔を綻ばせた。

 しかし、そんな幻想は一瞬にして砕け散ることになる。

 最初に異変に気が付いたのは、ほかならぬリズ自身だった。腕を振り上げたゴーレムの視線が、ウィオルに向いていないことに気が付いたのだ。

 その次は術者であるサイ。ゴーレムの腕に、自分が認めた以上の魔力が込められていることに眉根を寄せた。

 その時には、巨大な影が自分を覆っていることにはっきりと異常を感じ取っていた。

「『土神』……?」

 見上げた彼の頭上には、泥岩で形成された拳。

 大地を揺るがす衝撃が、訓練場を大きく揺らした。

「……は?」

 吹き上がる砂塵。

 蜘蛛の巣上にひび割れていく大地。

 それを目の当たりにしても、リズを含めた誰もが、状況を理解できずにいた。

 誰もが考えていなかったのだ――その拳が、サイに振り下ろされるなど。

 死んだような沈黙の中で、巨大な怪物が吼えた。まるで、これこそが現実だと見せつけるように。

「――オォオオオオオオオオオオッ!」

 遅れて、客席のあちこちで甲高い悲鳴が上がる。ある者は現実を直視すまいと目を塞ぎ、ある者は恐怖に駆られ、出口へと走り出した。

 だから、『土神』が第二撃を放とうとしたのを見ていたのはほとんどいないだろう。

「そんな……ウソ、でしょ」

 どこからか、掠れた声が聞こえる。

 リズは、それが自分の口から出たものだと遅まきながら気が付く。今の一撃でさえ、サイが生きているのかどうか怪しいのだ。ならば、もう一度あんなものを喰らったら――。

「誰か止めてよ……ッ!」

 ここからでは無理だ。結界が邪魔して魔術は通らない。

 本来ならば審判役の教師が不足の事態に備えるのだが、なぜか彼は動こうとしない。目の前で起こっている光景が見えているのか、呆けたような表情で突っ立っている――まるで、《魅了》でも掛けられたかのように。

 訓練場で、慌てて走っていく警備員達が見える。おそらく、訓練された彼らが放つ魔術は『土神』さえも止めるものだろう。

 だが、それでは間に合わない。

「いや……」

 突きつけられた現実。それでも、彼女に為す術はない。

 変えられない現実に。変えることのできない己の無力さに。彼女は歯噛みする。

 その視線の先でただ無慈悲な鉄槌が下される、その寸前だった。

 砂塵の中に、少年が飛び込んだのが見えた。

 それは彼女がよく知る人物。

「ライト……?」

 見間違えるはずもない。しかし、どうやって結界の中に入り込んだのか。そんな疑問を抱えるリズの視線の先、彼は今にもその腕を叩きつけようとしている『土神』に向かって疾走する。

 その手には、彼が愛用する長剣。彼はそれを、思いっきり振りかぶった。

「お、らぁあああああ!」

 全身から絞り出すような叫び。勢いよく投じられた剣が、白銀の円弧を描いて『土神』の胸の辺りに直撃した。当然、その巨体にダメージを負わせるには至らない。だがその注意を逸らすのには十分だった。

 敵対行動をとる者を認識し、その攻撃対象が変化する。

 ライト目掛けて、天災の如く振り下ろされる、岩の拳。

 それが大地を穿つのと、何十という光の鎖が『土神』に掛けられるのはほとんど同時だった。

 拳を地面に半ば食い込ませた状態のまま、怪物は怒りの咆哮を上げる。それでも、危うい軋みを立てながら、鎖は砕かれる寸前で踏みとどまっていた。

 再び発動した魔術によって縛られていく巨体。しかし、それよりもリズにとってはライトとサイの安否の方が心配だった。

 彼らの近くに行くには、通路に設けられた階段を下るしかない。

 考えるよりも早く、リズは人の波に飛び込んだ。どこかから、混乱を鎮めようとする警備員の声が断片的に聞こえてくる。

「皆さん落ち着いてください! もう大丈夫ですから!」

 それでも、一度できた波はなかなか止まらない。たとえ止まったとしても、後から来る者達がそれすらも押し流していく。

 そんな人の流れに逆らい、階段に辿り着くのはかなり困難だった。

「すいません! ちょっと通して――ひゃあ⁉」

 突き飛ばされ、誰かの足に危うく潰されそうになる。だが、彼女の意志はそれだけでは阻めない。

普通に歩く何十倍もの時間を掛け、ようやく階段へとたどり着いた彼女。休む間もなく、数段飛ばしで階段を駆け下りていく。

 心の中で、大切な者達の名を叫びながら。


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