とある男の追憶―2
正午、講義の終了を伝えるベルが学院に響く。多くの学生は退屈な講義が終わったことやこれからの昼休憩へ向けて明るい表情を浮かべている。
しかし二百人が収まる大講義室の一角、そこに悩める若者が一人。
彼は恐る恐る隣の席に座る少女を見やる。
「い、いやー……俺にはちょっと分からない内容だったなー。これ難しくないか?」
「……いつもサボってるからでしょ」
憮然とした表情のまま、リズはそそくさと机の上に広げられた筆記用具を片付けていく。完全にお怒りモードである。ある意味殴られたり首を絞められたりしている方が気が楽というもの。
廊下での一件の後、すぐに講義室に入ってリズの隣に座ったはいいものの、ずっとこんな調子だった。
「そ、そうだ! リズはこの後学食行くのか?」
「アンタには関係ないでしょ」
何とか機嫌を取り戻させようと話を振るも、全て一刀両断。得られたものは冷たい返答と心の痛みだけ。
万策尽き、ライトが内心で頭を抱えかけた時のことだ。
「あれ、リズさん。今日は」
唐突に、聞き覚えのない声が彼の思考を遮った。顔を上げれば、やはり見知らぬ少年の顔が視界に映る。身長はライトの肩くらいだろうか、あまり高い方ではない。ぼさぼさの茶髪に大きな眼鏡が特徴的な、大人しそうな少年だ。
誰だこいつは、と怪訝な表情をするライトとは反対に、リズはその相好を崩す。
「あ、キッシュ! 今日は」
急に彼女の声のトーンが上がった。どうやらキッシュ少年とは知り合いらしい。
少年の表情にも穏やかな笑みが浮かぶ。
「今日はこんなところにいたんだ。いつも最前列にいるのに、てっきり体調不良かと思って心配したよ」」
「あー……ちょっといろいろあってね」
いろいろ、という部分できっ、とライトを睨むリズ。不意打ちに、ライトはもうどうにでもなれ、と思わずため息を漏らす。
「え、と……こちらはリズさんのお友達?」
どうやらキッシュがライトの存在に気付いたらしい。友好的な視線が向けられる。
「あぁ、俺は――」
「ライト=レバントリア。馬鹿でエロで怠け者」
「おい、人の第一印象悪くするの止めろ」
ライトがリズに抗議の声を上げるのと同時。
「――レバントリアだって!?」
驚きに裏返ったキッシュの声が、ライトの声を飲み込んだ。机に激突せんばかりの勢いで下げられた頭に、思わずライトはたじろぐ。
周囲を見渡せば、近くにいた何人かが何事かと好奇心を含んだ視線を向けてくる。
「す、すいません! まさかレバントリア家の方だったとはまったく知らず……私の無知をお許しください!」
そのままの姿勢で微動だにしなくなるキッシュに、ライトは頭痛を覚えたように頭に手を当てる。
――これだから、嫌なんだ。
がしがしと荒く頭を掻くライト。
「……あのな、頼むからそういうのよしてくれ、苦手だから。敬語もなし」
「まさか! そんなことできませんッ!」
まだ頭を上げようとしない少年に、ライトはどうしたものかと嘆息する。ちらりとリズを見るが、途端に視線を逸らされてしまった。自分で何とかするしかない。
ライトの出身であるレバントリア家は、「侯爵」の爵位を与えられた家柄である。〈ラスティア学院〉には様々な階級の家柄の者がいるが、ライトのような上級貴族は珍しい。大抵の場合、上級の爵位を持つ家は専属の高名な魔術師を雇うことが多いのだ。理由は単純で、大人数で学ぶよりもその方が効率がいいから。
それでもライトは学院に通う道を選んだ。その結果がこれである。
「あのな、学院規則でもあるだろ。『学院に置いては家柄ではなく実力を重視する』。敬う必要なんてないんだぞ」
「い、いえでも……」
これは中々面倒そうだ、とライトは舌打ちを打つ。もちろん、心の中でだ。
確かに、ライトの言ったことは嘘ではない。事実、その規則は明文化されて全学生の知るところにある。
ただ、はっきり言ってそんな規則など形骸化しているのが現状だった。
上級貴族の生徒に実戦で勝ったせいで、家同士の関係が悪化したなどよく聞く話だ。酷い場合は根回しによって家が潰されたという話も聞く。
学院側も見て見ぬふり。それが事態を助長していた。規則は作ったのだから、あとは学生同士に任せたと言わんばかりだ。だから、こういうことが起こる。
面倒なので、ライトは最終手段に出ることにした。
「んじゃ命令な。これから敬語禁止。破ったら俺の親父に言いつけっから。はいスタートッ!」
「え、えぇ……?」
どうしてよいか分からず、途方に暮れた表情を浮かべるキッシュ。そこでようやくリズが助け舟を出してくれた。
「大丈夫だよ、キッシュ。ライトはこういうやつだし。それに私だってこうやって普通に接してるでしょ?」
その言葉もあってか、ようやく彼の決心がついたらしい。
まだまだぎこちなさは残っているが、おずおずと右手を差し出してくる。
「じゃ、じゃあ……よろしく、ライト君」
「ライトでいいって」
思わず苦笑してしつつ、その手を握り返すライト。そんな二人を、リズは微笑ましいものを見るような目で見つめていた。
「よし、じゃあ三人で学食に行こっか!」
先ほどまでの態度はどこへやら、鼻歌でも歌いだしそうな足取りですたすたと歩いていく彼女。どうやら機嫌はすっかり元に戻ったようだ。
多分、キッシュのおかげだろう。そう考えたライトは、少年の背を軽く叩く。
「ありがとな、キッシュ」
「え……僕、何かした?」
不思議そうな彼の問いには敢えて答えず、ライトはさっさとリズを追う。後ろから聞こえる慌ただしい足音に、何故か笑いを誘われた。
■
〈ラスティア学院〉の学生食堂は、この時間は基本的に混雑している。
この食堂の料理はどれも絶品で、さらに国の支援もあるからか、値段が安い。学内には小さな店も存在しているが、多くの者は昼食にここを利用する。
もう一つ、隠れた理由としては身分に拘る貴族連中がよりつかないから、というのもあるかもしれない。
「へぇ、キッシュの親父って職人なのか」
ライトは学食のハンバーグを嚥下し、向かいの席に座る少年に目をやる。眼鏡の少年は照れたように頭を掻いていた。
「うん、結構お客さんも来てくれる。魔装具を取り扱ってるんだ」
「ほおー」
そういえば魔装具を生成する学科もあったな、とライトはどこかで聞いた情報を思い出した。
魔装具というのは魔術の掛けられた防具、または武器を指す言葉だ。当然普通の武具より値は張るが、大抵の者は魔装具に関しては財布の紐が緩くなる。それが生死を分けることもあるとくれば尚更だ。
「キッシュのお店はね、すごいんだよ。名うての傭兵だけじゃなくて、王国騎士の防具まで作ってるんだって」
ライトの右隣から聞こえてくる声。そこには自分の分のパスタを器用にフォークに絡めていくリズがいる。まるで自分のことのように嬉しそうだ。
「マジか……そりゃあすごいな」
騎士団御用達の店となれば、キッシュの父はかなりの腕に違いない。
照れるキッシュを見ていると職人のような洗練された雰囲気は感じないが、彼も実はかなりの才能を持っているはずだ。魔装具について学ぶ生成学科は確かに倍率は低いが、求められる技術や知識は生半可ではない。
さらに入学した後も、実技に加え、卒業には一般的な魔術講義の単位も必要なためにライトたち以上の多忙な生活を送っているはずだった。
それとなく聞いてみると、やはり「大変だよ」という答えが返ってくる。
「でもエンシャントラにいる、凄腕の匠たちが講師を務めてくれるからね。そんな偉大な人たちから直接学べるんだから、頑張らなくちゃ、って思うよ」
「私も! 先生たちみたいにたくさん魔術覚えて、お父さんとお母さんのために頑張るよ!」
「はぁ……すごいもんだな」
目を輝かせて夢を話す二人に、ライトは眩しいものを見るかのように目を細める。
「ライトはどうするの?」
「は? どうするって、何が?」
決まってるじゃないか、とキッシュが箸を置く。
「ライトの目標さ。学院に来たからには、何か目標があるんでしょ?」
「……目標、か」
はっきり言って、ライトにはこれといった目標はなかった。少なくとも、彼を見つめる二人に匹敵するものはない。
そもそも、そんなものがあれば講義をサボったりなんてしないだろう。
「特に……ねぇな」
何故か感じた罪悪感から、思わず呟くような形になってしまった。
馬鹿にされるか、それとも憐れまれるか。それが気になって二人の表情を窺うと、彼らの反応はそのどちらでもなかった。
「まだ入学して半年だもんね。それじゃあ、まずは目標を見つけることが目標だ」
キッシュの顔に浮かべられた笑みには、嘲笑や侮蔑の色はない。屈託のない、友達に向けるそれ以外の何物でもなかった。
「それ……何か二人に比べたらちっぽけだなぁ」
「そんなことない、大事なことだよ」
リズの表情が一瞬だけ怒ったようになるが、しかしすぐに綻んだものに変わる。まるで花が咲いたよう、そう形容するにふさわしい笑み。
口の端に着いたソースが気にならないでもなかったが、それはそれで彼女のあどけなさを引き立たせているようにも思える。
「大丈夫。ライトなら、きっと見つけられるよ」
――何だ、この無防備さは。
彼女の初めて見せる表情に、ライトは思わず息を呑んだ。食堂内の喧騒が遠ざかるようだ。しかしすぐに我に返り、錯覚に過ぎないと理解する。
再び、周囲がやかましくなった。
「……ライト?」
不思議そうに首を傾げる彼女から、慌てて視線を逸らす。
「……リズさん、口のここ、ソース付いてるよ」
「はへッ!?」
苦笑するキッシュに指摘され、慌てて手近にあったナプキンで口元を拭うリズ。その光景を見ながら、彼はおもむろに席から立ち上がる。
「それじゃあ、僕は次の講義があるから。二人は空いてるんだ?」
「あー、俺はないな」
「私は書庫に行こうかな。明日の課題やっておきたいし……ライトも同じ講義取ってたよね? ほら、王国の歴史を学ぶやつ」
「……課題なんてあったっけ」
案の定、リズに呆れられた。
「もう……あったよ。アンデッドの習性について調べて来いって言われたじゃん」
「あ、あぁ。そうだったな……」
引き攣った笑みを浮かべて頷くライト。多分、その講義は爆睡していた。
「決まったみたいだね。それじゃあ、また明日!」
そう言うと、彼は人の波の中に潜っていく。今の込み合う時間、ここから移動するのも大変だろう。
「……さて、それじゃあ俺らも行きますかね」
「ん、そだねー」
リズと共に席を立ち、指定された場所に食器を片付ける二人。人の波を縫うように進み、何とか食堂を抜けることができた。
食堂は学院の西側の端にあり、書庫は東端にある。時間的に次の講義が始まる前だったので、早足で行きかう人々とすれ違いながら二人は書庫へと向かう。
「目標……目標ねぇ」
「あ、まだ考えてるんだ」
クスッ、とリズが微笑する。
「そんなに簡単に見つかるもんじゃないでしょ」
「まぁなー」
しばらくすると講義が始まったのか、廊下を歩く人間の姿はめっきり減ってきた。講義室の前を通れば、微かに教壇に立つ講師の説明が聞こえてくる。それが小さなものであるからか、それとも知識不足によるものか、ライトには何を話しているかはぴんと来ない。リズは度々立ち止まって聞き入ったりしていた。
「そういえば……キッシュ、どう?」
「あぁ……いいやつだと思うよ」
考えることもなく、「いいやつ」という言葉が自然に自分の口から出てきたことに、少なからずライトは驚いた。
「でしょ? きっとライトとは気が合うと思ったんだよねー」
何となく、彼女の声は弾んでいるように感じられる。結果的に彼との出会いは偶然だったわけだが、いつの間にやら彼女の功績になっていた。
「まだ少し遠慮してる感じはしたけどな」
「それはしょうがないよー。少しずつ慣れてくって」
すると、突然リズが手を打ち合わせた。明らかに、何かを思いついた仕草だ。
「それじゃあさ、今度キッシュのお店に――」
唐突に、彼女の言葉が途切れた。
「……リズ?」
何故か、彼女の表情が強張っている。その視線はライトではなく、彼らの前方、書庫へと続く廊下に続いている。ライトもその視線を辿ると、二人の男が向かってくるのが見えた。胸のバッジは上級生であることを示す青色。
向かって右側、まるで鬣のように黒髪を撫で付けた、見るからに不愛想な表情の青年。丸い鼻に、角ばった顔が特徴的な男だ。
その男が、目の前に立つ二人を見るなり顔を顰める。
「おい、邪魔だ。さっさとそこを退け」
「あ――ご、ごめんなさい」
俯きがちに、リズがそそくさと端に寄ろうとする。
だが、もう一人の青年がそれを止めた。
「やめろ、ウィオル――すまないね、リズさん」
仏頂面の男の隣に立つ、微笑を浮かべた青年。長身で、金糸のような髪を自然に垂らした美男子。通り過ぎる女生徒は必ず振り返ると言われるほどの容姿の持ち主だ。
彼はウィオルと呼ばれた男よりも前に出る。
――よりによってこいつと……ッ!
ライトは内心で歯噛みするも、それは表情には出さない。この男がここにいることが分かっていれば、リズもここを通ろうとは思わなかっただろう。
一瞬だけ、青年の弓なりに細められた目がライトを捉える。
その瞳に隠された冷徹な光に、ライトは足元が凍り付くような錯覚を覚えた。心でも読めるのかと焦るが、すぐに彼の視線はリズへと戻された。
「フレッドさん、こんな奴らに構う必要はないでしょう」
「いやいや、家柄で判断してはいけないよウィオル。瓦の中にも玉は存在する――リズさんはまさに素晴らしい才能をお持ちだ」
「あ、ありがとう……ございます」
正面に立つフレッドから目をそむけるように、リズは視線を下に落とす。彼女の紡ぐ言葉は今にも消えてしまいそうだった。
傍から見れば色男に声を掛けられ、恥ずかしさから俯いているように見えるかもしれない。
実際は、ただ恐怖におびえているだけだ。
「これから帰りですか?」
「い、いえ……その――」
ついに、リズの声が聞こえないまでに小さくなった。
不意に、ライトは袖に違和感を覚える。見れば、彼女の手が上着の端を掴んでいた。その小さな手は、縋るように震えている。
フレッドが、更に一歩彼女へと歩を進めた。
「それならば、お送りしますよ。確かリズさんは――」
「俺達は、これから書庫で課題を終わらせなきゃいけない。だから、付き合うことはできないよ――兄貴」
ライトが、二人の間に割って入った。フレッドと対峙し、リズに向けられた視線を遮る。
「貴様……フレッド様はこの女に聞いて――ッ!」
鬣の男が、ライトの胸倉を掴もうと進み出ようと息巻く。だが、フレッドがそれを手で制した。
「いや、いいんだよ。ウィオル、君は少し怒りっぽいな」
「しかし……」
「それじゃあまたの機会に、リズさん……ライトも、勉強を頑張りたまえ。我が家の恥にならないように、ね」
何か言いたげな男に構わず、フレッドは笑う。
ライトの目には、彼が狡猾な蛇のように映った。獲物をじわじわといたぶり、苦しむさまを見て快楽を覚える冷酷な狩人だ。
「――リズ、行くぞ」
「う、うん……」
そんな彼らから引き離すように、ライトは彼女の手を引いていく。
まとわりつくような視線を背後に感じながら、二人は足早に書庫へと突き進んだ。




