白狼と少女━終
日が沈み、うっすらと星々が瞬き始めた。
ただでさえ光に乏しい森の中は、夜を迎えたことで一層濃い闇が支配していた。そんな黒く染まった空間で、弱弱しくその存在を主張する小さな火が一つ。
そこに、新しい薪が放られた。
「騎士の人達、大丈夫かなぁ」
揺れる輝きが、毛布にくるまった少女の姿を照らし出した。青色の瞳は、物憂げに目の前の焚き火を映している。
「あのモンスター……すごく強そうだったし、その後ろにたくさんアンデッドがいた。みんな、ちゃんと逃げられたかな」
「心配はいらないだろう」
問いに、別の声が答える。
「彼らの目的は俺達が逃げられるだけの時間を稼ぐことだった。無理に勝とうとはしなかっただろうし、彼らなら上手く撒けるだろう」
そう言って、バスクはもう一本薪を追加した。
獣は言うまでもなく、アンデッドも火を恐れる。火には浄化の作用があるのだとどこかで聞いたことがあった。だから、森で生きるために火は欠かせない条件なのだ。
魔術によって凍り付いていた手足も、暖められたおかげで感覚が戻りつつある。どうやら心配していた後遺症は残らずに済みそうだ。
僅かな沈黙の後、次に口を開いたのもイルミナだった。
「どうやったら、強くなれるかな」
唐突な言葉。それが闇の中に消えてしまった後も、バスクの頭の中に消えることなく残る。少女の顔を見れば、その言葉が決して冗談の類ではないことが窺えた。
少女の口から、どれだけその言葉が出ないようにと願ったことか。
予想できないことではなかった。父を、故郷を奪った相手に復讐したいと思うのは当然だろう。しかし、それはバスクが望むことではない。そして、きっとウィルも――。
「村のみんなが言っていたみたいに、傭兵になるのがいいのかな」
「……お姫様になる夢はいいのか? ウィルのくれた絵本を読んで、憧れていたのだろう?」
その冗談交じりの問いに、少女は俯く。返ってきたのは、諦めの混じった小さな声。
「いいよ……どうせ、なれないし」
「……ふむ」
普通に考えれば、確かに不可能だ。一農民に過ぎない娘が、何をどうやったら王家を継げるというのか。どれだけ容姿が優れていようが、農民の出では地方貴族に使えるくらいがせいぜいだろう。
しかし、バスクにはどうにかしてあげたい気持ちがあった。「お姫様ごっこ」と称して、毎日のように騎士の役をやってくれとイルミナが遊びに誘ってきたのが、昔のことのように感じる。
適当な理由をつけて、いつも断っていたのだが――。
「――え?」
呆けたようなイルミナの声が、薄暗い空間に響く。
バスクは少女の手を取り、片膝を突いてその足元に跪く。恭しく首を垂れたその姿は、まるで王に忠誠を誓う騎士のようだった。
「俺……いや、私は、これから先イルミナ嬢に、この身が滅びようとも変わらぬ忠誠を捧げることを誓います。あなたの道を開く剣となり、あなたを魔の手から守る盾となりましょう」
そして顔を上げると、いつものようにぎこちなく笑みを浮かべた。
「今考えました……どうです?」
対する少女の顔は、一拍以上の間を置いて、ようやく驚きの表情が崩れた。小さく震える唇が、何とかといった様子で言葉を押し出す。
「いいの……? 騎士は、絶対にお姫様から離れちゃいけないんだよ? ずっと、ずっとだよ?」
「もちろんです」
当然、と頷くバスク。
白い毛で覆われた胸に、ぽすん、と少女の顔が埋められた。しばらくすると嗚咽が聞こえ、その小さな肩が上下する。大きな手がその頭にそっと置かれる。
種族も、生き方すらまるで異なる二人。しかし、少女の頭を愛おしそうに撫でる獣人の表情は、父親のそれに近いものがあった。
どれだけの時間が経っただろうか。
不意に、どこかで茂みが音をたてて揺れた。嗚咽とは別の理由で、少女の体が大きく震える。
「……何だろう」
「もしかすると、あの騎士達かもしれません。見てきますので、ここで待っていてください」
それだけ告げ、素早く茂みの方へと進むバスク。口ではそう言ったものの、実際はそう考えていなかった。
獣人の聴覚で捉えた足音は一つ。その軽い足音は、剣や槍で武装した騎士達のものではない。考えられるのは――あの男。
もう一度、同じ場所で茂みが揺れる。その姿はまだ見ることはできない。
硬質化の魔術を行使しようとすると同時、茂みの奥から何かが現れた。それは――。
「……誰、だ?」
戸惑うバスクの前に立つ、一人の男。ぼさぼさの髪に、よれた黄色のコート。バスクの予想した人物ではない。
「……びっくりさせんじゃねぇよ。何だ、お前。ここで何してる」
不機嫌そうに零す男の目に、バスクは思わず引きつけられる。
前髪でほとんど隠れた男の両目。気怠そうにバスクを眺めるそこに、射殺す様な鋭い光が潜んでいた。
「……私はバスク。王都に向かう途中で日が暮れたので、ここで夜を明かそうとしていた」
王都に向かう、というのは今でっち上げた。格好から見て可能性は低いだろうが、この男が見回りの騎士の類であることを考慮し、疑われそうにない理由を考えたのだ。
ほお、とバスクを眺める男。どうやら敵意はないようだ。しかし気のせいか、その視線がちらちらと動いている気がする。まるで何かを探しているように。
「俺は……ウルス。ウルス・クルーガってもんだ。アースラって傭兵会社の社長な、そうは見えねぇかもしれねぇけど」
「傭兵会社、か」
反芻し、バスクは考える。ここからどうやって面倒にならないように話を持っていこうか、と。しかし、それは徒労に終わる。
「――傭兵、会社?」
小さな声に振り返ると、後ろには待たせていたはずのイルミナが立っていた。
「イルミナ様、あそこで待っているようにと――」
「おじさん、そこの偉い人なんですか!?」
バスクの小言も遮り、彼女は問う。その勢いに、僅かに男もたじろいでいた。
「お、おぉ……そうだが。それがどうし――」
「私を――私を、その傭兵会社に入れてもらえませんか!?」
頭を下げ、お願いしますと叫ぶようにして懇願するイルミナ。
それを聞き、僅かに男の目が細められる。そこにはもう、先ほどの抜けたように見える男の姿はない。
「――何故そう望む? 世の中には、それ以外の生き方なんざ腐るほどある。大体は傭兵なんかよりはマシだと思うが」
少女の答えは早かった。
「……父の仇を、取りたいんです」
そう言って上げられた顔には、年頃の少女が見せる無邪気さはもう残っていない。彼女のために命を懸けたあの騎士たちと同じ目。命をかけてでも全うしたい目的を持った者の目だ。
「私のために……たくさんの人が命を失いました。その人たちのためにも、強くならなくちゃいけないんです」
少女は言う。自分のためにではなく、死んでいった者達のためだと。そこに込められた意味は重い。下手をすればその重圧に自らが押しつぶされてしまうこともある。そんな言葉を、未だ二ケタの年にも満たない者が口にした。その事実が、バスクには信じられなかった。
水を打ったように、周囲の音が消える。まるで虫も、木々も、草葉までもがこのやり取りに聞き入っているように思えた。
「――好きにしろ」
溜め息と共に吐き出された言葉。それを聞いて、最も驚いていたのは当の少女自身だった。
まさか本当に許可が下りると思っていなかったのだろう。ぽかんと口を開け、彫刻よろしく固まったその姿は完全に機能停止状態だった。
「え、と……本当に、いいんですか?」
「お前がそうしたいって言ったんだろうが」
ウルスは呆れたように首を振る。バスクも同じような仕草をしたが、これはどちらかというと少女の頼みを易々と受け入れてしまった男に対してものだった。先ほどのぎらぎらとした光は見間違いだったのかとも思えてしまう。
「ただし、俺はガキだからといって余計な世話を焼くつもりはない。扱いはあくまでうちの一社員だ。いいな?」
「あ、ありがとうございます!」
イルミナは再び頭を下げた。その後で、不安げにちらりとバスクの方を見やる。視線で「バスクは?」と聞いているのはすぐに分かった。
「……ついていきますよ。確かに、そうするのが一番いいかもしれません。ですが――」
ウルスの顔を窺うと、「好きにしろ」と言うようにひらひらと手を振られた。
だから、溜め息を一つ吐き、その先を続ける。
「もう勝手なことはしないでください。いいですね?」
てへ、と小さく舌を出すイルミナ。どうやらいつもの彼女に戻ったようだった。
これから先に二人を待つ、辛く苦しい日々。そして少年との出会い。それを選んだこの瞬間。
これが、二人の物語の始まりだった。
●
森での三人の出会いから、時は少しばかり遡る。
夕刻。日はとうに傾き、茜色の空が大地を覆う。
激戦によって、予想以上に荒れ果てた村。そこを、白衣を着た男が歩く。
「催眠をかけてしまうと実力の半分も出せない、か。まぁ、新しい発見を得たということで、次からの教訓にしましょうか」
その左手には、先ほどどこからか見つけてきた男を引きづっていた。その体が地面の石に当たるたび、首から下げた十字架が揺れる。抵抗するそぶりも見せないが、どうやら死んではいないようだ。
放っておけばいずれはそうなるのは間違いないのだが。
「まぁ何かしらの実験には使えるでしょう。上手く細胞が適合すれば、記憶を消して教団に……いや、それは高望みというものか」
その端正な顔立ちに苦笑が浮かび上がる。細胞の適合は、なんの力も持たない者では限りなく可能性が低く、たとえ成功しても戦闘能力は大して高くはならない。戦力としてはあまり期待できないのだ。
しかし別の事実に、その表情はさらに苦々しいものへと変わっていく。
「あの娘を捉えられなかったのは惜しい。あぁ……本当に惜しいことをしたものです」
その視線に苛立ちを込め、失敗した仲間の姿を睨む。その男は倒壊した家屋に寄りかかって座り、全く動く気配を見せないでいた。
しばらくしてから、催眠が掛かっている以上此方が指示をしなければ動けないのだという単純な事実に思い当たる。心を操れるのは便利だが、いちいち指示を出さなくてはならないその億劫さは考え物だ。
「ほら、行きますよ。さっさと立って――」
「嫌だね」
返答があったことに驚き、目を見開く。催眠下にあれば知能が著しく制限されるため、話すことなどできない。しかし、今男はゆっくりと立ち上がり、幽鬼さながらの不気味さで佇んでいる。
「お前がロクでもねぇ奴だとは知っていたが、まさかここまでとは思わなかったぜ。正直うんざりだ」
「まさか……そんな、いつ催眠が――」
「殴られたときに偶然。それより、こんな体験させてくれた礼をしなきゃあな」
男は右手をゆっくりと前へと突き出す。その目に、明確な殺意を込めて。
「受け取れよ」
言い終えるよりも早く、男の腕から魔力の奔流が溢れた。
●
荒廃した村。目に見える物は草木に至るまで全てが凍り付き、白く色成す冷気が生き延びた標的を探すようにその周辺を漂う。時折まだ凍っていない草木を見つけては、喜々とした様子で凍り付かせていく。
先ほどまでドクターがいた場所は巨大な氷塊ができていたが、透明なその表面を覗いてもあの男の姿はない。
「逃げやがったか……」
おそらくこの周辺にはもういないだろう。男の舌打ちが住人を失った村に響く。
しかし次の瞬間には頭は冷静さを取り戻し、当面の問題について考え始めていた。敢えて言葉にするまでもなく、問題はひたすらに単純だ。
「……どうすっかなぁ、これから」
赤の教団の中心的人物であるドクターに楯突いたのだ。もうあの場所には戻ることはできない。別に、あの場所に居たくて身を置いていたのではない。ただ単に教団以外に行く当てがなかっただけだ。
そうは言っても男にとっては唯一の住処だったことに変わりはない。何らかの感慨があるかと思えば――。
「……何の後悔もねぇのは、どうしてだろうな」
この世界を腐敗しきったもの、だから自分達が変えなくてはならない。それがドクターから言われ続けた教団の理念だ。種族ごとに争い、同じ種の間でも自らの利益のために蹴落とし合う。身分によっては人とみなされないものまでいる。それが当たり前となっている世界を変えるべきだ、と断じるのは容易い。
男は今までにも言われるがままに人を、獣人を、エルフを殺めてきた。しかし彼らは平民の命を搾取し私腹を肥やしていた貴族階級。更には戦争で得た利権をしゃぶりつくしてきた者どもだ。慈悲など感じなかった。
しかしそんな世界に、明日をも知れぬ命を必死に繋ぎ止める者達もいる。教団は彼らを犠牲にして目的を進めようとした。
尊い犠牲? 馬鹿を言うな。
胸の内で発された叫びは、留まる事を知らない。
彼らを犠牲にしなくては変えられない教団のやり方など、反吐が出る、と。
偽善? 理想論? それで結構。理想のない世界に、何の希望もありはしない、と。
目的もはっきりしないままに、男は足を踏みだす。視線は小さな森の方。そこを抜ければ人間の国、エンシャントラに行き着く。
幼い少女の顔が脳裏をよぎる。ドクターが捕らえるように指示していた子どものことだ。体の自由を失っていた間の記憶も、男の中にははっきりとした形で存在していた。父を失った彼女は、今どこにいるのか。
「――クソ、何考えてんだよ俺は」
呻き、ガシガシと荒っぽく頭を掻く。
彼女たちを襲ったのは自分の意志ではない。操られていた。だから、自分に罪はない。
そう自らに言い聞かせるが、彼の胸に落ちた暗い影は拭い去れない。
周囲には最早アンデッドの姿はなかった。どうやらドクターが消えたと同時にどこかへ行ったらしい。
向かう先はエンシャントラ。そこで適当な職を見つけ、力を隠して静かに生を全うしたかもしれない。あるいはどこぞの傭兵になり、その力で名を知らしめていたかもしれない。
しかし運命という不思議な意志は、彼にそうした道を歩ませることを良しとしなかった。
それは、彼が向かっている森の方角から現れた。始めは黒点のようにしか見えなかった影は、近づくにつれてその輪郭を明瞭にしていく。
馬に跨った、一人の人間。始めの内は流れるような金の長髪を見て女性だと考えていたが、すぐ近くに来た時にそれが男性だと分かった。黄色いコートを着たその男は、優雅にも思える動作で彼の前に馬を止める。
「……俺に何か用か?」
「いえ、少し聞きたいことがありましてね」
此方の警戒を緩めようとしてか、男はその中性的な顔に微笑を浮かべつつ村の方向を指さす。
「あの村でアンデッドが大量に発生していると報告がありまして。しかし見たところそのような影は見えず……誤報かもしれぬと思ったのですが、一応仕事なので念を入れて。あちらから来たようなので、何かご存じでは、と」
「……知らねぇな。それよりもあんた――」
「おや、申し遅れました。私、ウルス・クルーガと申します」
胸に手を当て、ウルスは舞台役者のように一礼した。その気取った態度にローブの男は顔を顰めるも、フードを目深に被っているため見えてはいないようだった。
「ウルスさんよ、仕事って言ったか。すると王国騎士か何かか?」
「いえ、〈アースラ〉という傭兵会社の者です。一応社長でして」
「……社長ともあろうお方がご苦労なこって」
「まぁ、それだけの実力がなければ対応できないと考え――ッ!?」
突然のことにウルスは目を見開く。一瞬の後、馬から引きずりおろされた彼の体は、フードの男によって大地に押さえつけられていた。
男はただ無表情に、組み伏せたウルスの目を見据える。
「――恍けんのもいい加減にしろよ」
絶対零度を思わせる、無感情な声。怯えたように、ウルスの顔が僅かに引き攣る。それでも誤魔化すように笑みを維持し続けているのは大したものだが。
「と、恍けてなどいませんよ。言ったように私は村の者から依頼を受けて――」
「依頼があって来た? こんなに早くか? つまりお前は偶然この近くにいて、奇跡的に村から逃げられた村民から依頼を受けたと?」
男は嗤う。この男は今まで自分が殺してきた貴族連中と同じだ、と。
「ウソつけよ。当ててやる、あんた教団と繋がってたな? 内通者ってやつか。だからこの騒動を事前に知っていた」
「そ、そんな……違う! 私は――」
必死に弁明をしようと口を動かし続けるウルスの左手が、小さく動いた。男の眼前に突き出された掌から、電撃が迸る。
が、男は首を僅かに捻る動作だけで易々と躱す。続く動作で空いている手を使ってその腕を捻りあげた。
幹を折るような音と共に、辺りに絶叫が迸る。
「攻撃した時点で肯定したようなもんだよな。まぁ、金でエンシャントラの情報を売る取引でもするつもりだったか」
溜め息を吐き、誰に言うでもなく男は呟く。
「な……何故、私の言ったことが嘘だと分かったのです!?」
「……決まってんだろうが」
ウルスは男が教団メンバーだと踏んで、警戒もせずに接触してきたのだろう。普通、真っ赤なローブなどという怪しい格好をした人間に、無警戒に近づく者などいない。実力者ともなれば尚更だ。
しかし、それよりも確固たる理由を男は持っている。それは、この世界の理と言っても過言ではないだろう常識。
「――搾取も出来ねぇ難民の懇願を、依頼と受け取ってく入れる奴はいねぇことくらいよく分かってんだよ」
男は腕を折られた痛みにのたうち回るウルスへと、無造作に右手を突き出す。一瞬にして集まった膨大な魔力が、周囲を青白く照らし出した。
「ちょうどいい……どうやって生きていこうか考えてたんだ」
不敵な笑みを浮かべ、言う。
「お前の存在――貰うぞ」
言葉と同時、ただそこにいたからという理由で一つの命が途絶えた。




