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白狼と少女━1

本編からは十年前のお話。

 人間の国エンシャントラから少し離れた場所にある、小さな森。近隣の村人たちが町に行くためにしばしば利用する場所だ。

 その森には人々の往来のための道が存在し、そこそこ腕の立つ傭兵を一人連れていれば抜けるのは容易い。しかし、あくまでもそれは明るい光に満ちた日中の話。

 

 日没。この世界でそれは世界の支配者の交代を意味している。

 生者の世界から死者の世界へ。その瞬間、人々が普通に往来していたはずの場所が、一転して危険なスポットへと豹変することがある。この森もそんな場所の一つだった。


 しかし夕刻を過ぎたころ、その森を抜けようと駆ける二つの影があった。

 それは二つの馬車。それらは大貴族が乗るような意匠を凝らしたきらびやかなものではなく、機能性を重視した質素な作りをしている。前後に一定の間隔を保ったまま、二つの馬車は疾駆していた。

 その二つはほぼ同じデザインをしており、違いと言ったら二つくらいしかない。一つは車体が揺れるたびに聞こえる音の違いだ。前車は車体の軋む耳障りな音がするのに対して、後車はそれに加えて金属が擦れ合うような音が加わっている。

 二つ目は馬を操る御者の表情。怯えたように辺りをしきりに見渡す前車の男とは対照的に、後車の者は平然とした表情を崩すことはない。

 男が怯える理由、それは夜間に活動が活発になるアンデッドのみへ向けた警戒ではない。この森には最近別の脅威が存在するようになっていたのだ。

 そして、その脅威こそ、今宵彼らが出くわした者達だった。


「――おい! 馬車を止めろォ!」

「ひぃ!?」


 森に木霊するような野太い声。それは後ろの御者からではなく、彼らの進行方向から聞こえてきたものだった。御者はその声で竦みあがり、馬が急停止するよう手綱を繰る。車体を大きく揺らして停止した先に立っていたのは、不揃いな防具で身を固めた、十人程の男達だった。ほとんどが比較的容易く手に入る皮の鎧であったが、中には所々金属製のものを身に着けている者も見受けられる。

 たった一つ彼らに共通している点は、そこにいる誰もがそれぞれの得物を抜いていることだ。

 月明かりを反射し、それらが獰猛な光を放つ。


「中に積んである金目の物を全部置いていけ! そうすりゃあ、命までは取らねぇでやるよ」


 男たち――野盗の一団のリーダー格であろう大柄な男が前に進み出ると、手に持った剣を御者に突き付ける。だが、目の前で起こっていることが未だに信じられていないのか、その御者は顔を恐怖に染め上げながらも御者台から動こうとしない。


「……おい、聞こえなかったのか? さっさとしやがらねぇと――」

「――そこまでだ」


 御者に苛立ちを募らせる男の言葉を、静かな声が遮った。

 後方の馬車から金属鎧に身を包んだ人物が飛び降り、続いて同じような防具に身を包んだ三人の男が馬車から飛び出す。

 屈強。彼らの誰もが、その言葉がひどく似合う歴戦の猛者を思わせる肉体を誇っていた。

 突然現れた男達に困惑する盗賊たちを余所に、その中でも一際鋭い双眸を持つ男が口を開く。


「我らはその馬車の警護を任された、『シリウス』の者。道を阻むというのなら、その命を捨てる覚悟がある者とみなして斬り捨てるが、よろしいか?」

 

 男の言葉が言い終わるや否や、その後ろの三人がそれぞれ腰にぶら下げた長剣に手を掛ける。その構えから発される剣呑な雰囲気は、ただ剣を闇雲に振り回してばかりの盗賊たちとの実力の差を何よりも如実に物語っていた。

 

「シリウスって……あの傭兵会社シリウスか!? アースラに匹敵する上位会社じゃねぇか!」

「そういえばあの顔見たことあるぞ! 確かレインとか言う……最近シリウスで名を上げてる奴だ」

「マジかよ!? 最悪じゃねぇか!」


 口々に盗賊たちが相手の情報を仲間に伝え、どんどんその顔色が悪くなっていく。レインなる男の登場により、状況が一変したことを悟ったのだ。加えてその後ろにいる男達も、彼と同等の装備をしていることからなかなかの手練れであることは疑いようがない。

 

 恐怖に顔を引きつらせる男達。

 

 その光景に、レインの表情がぐにゃりと歪む。今までの毅然としたものが、猫が追い詰められた鼠を甚振いたぶるような嗜虐的なものへと豹変したのだ。

 これが知る人のみぞ知る、彼の隠された本性。自分よりも格下を心ゆくまで甚振ることに快感を覚えるという、決して褒められたものではない性質。

 彼が傭兵会社に入った理由も言うまでもなく、己の欲望を満たすためである。敵を悪と断じ、徹底的に痛めつけることで報酬を稼ぐ。彼自信、傭兵は理想的な職と考えていた。

 

 しかし彼にとっての鼠となった者達にはたまったものではない。

 盗賊のほとんどが狙う相手を間違えたことを悟り、逃げ出そうとした矢先。 


「お前ら何ビビってやがる! こっちにはあの人がいるだろうが!」


 前に出ていた大柄の男が仲間たちに喝を入れた。その声に応じるかのように、盗賊たちの後方、闇で満たされていた空間が、ゆらり、とくすぶる。

 

「結局俺の出番か……まぁ、お前らでは到底そいつに及ばないのは事実だがな」

 

 纏わりつく闇の残滓が払われるにつれて、その存在感が明らかになっていく。

 それは、二メートルに近い巨躯を持つ大男だった。いや、正確には違う。何故ならそれは人間ではないのだから。

 深雪のような純白の体毛に覆われた、巌のような体躯。獲物を狙う、敵意の込められた肉食獣を思わせる双眸。

 それは、狼型の獣人。

 その手には、常人には決して持ち上げることも不可能であろう巨大な斧。青銅の色合いは美しいが、装飾と言えるようなものは一切付いていない。それは宝刀などとは違い、武器という物の本来持つ意義――人を殺すこと――を全うするための逸品であるが故。


「なるほどな……」


 何かを理解した色を表情に表わすレイン。その品定めをするかのような視線は、突如現れた白狼に向けられている。


「首都に近いこの小さな森で、賊ごときがなぜこうも長らえるのかと不思議に思ったが……流れの獣人が味方していたか。しかし、なぜこんなところに? 国を追い出されでもしたか?」


「……それを貴様に教える必要があるのか?」


 話など毛頭するつもりがないと言わんばかりの口調に、レインはその精悍な面に笑みを浮かべた。それは決して友好的なものではない。己の実力を誇る者を屈服させ、その自信をへし折る。その彼にとっては至極ともいえるその愉悦に、思わず出た笑みだった。


「まぁ、いいだろう――今聞こうが、地に這いつくばらせて言わせようが、大した違いはないからな!」


 言うが早いかレインが地を蹴り、白狼目掛けて突進する。

 足をばねのように使うことで、余すことなく力をそのまま速さへと変換。反応させる間もなく、相手に肉薄する。

 その刹那の間に肉体の強化魔法を発動。誰でも習得できる類の魔法ではあるが、元々の高い筋力、敏捷性に拍車がかかる。

 既に相手の武器である大斧の間合いを抜けた。今から振りかぶろうが、もう遅い。

 この時点で勝敗は着いたようなものだった。


「オオオオッ!」


 一気呵成に振りぬかれた長剣の切っ先が、柔毛に囲まれる腹部に触れた瞬間。

 

 そこから烈火のごとく爆炎が迸った。

 剣に込められていた魔法が剣戟と共に炸裂したのだ。爆発の瞬間、その風圧を利用して後方へと宙返りし、レインは巻き込まれるのを防いだ。

 着地と同時に未だ濛々(もうもう)と立ち込める黒煙を至福の表情で見てとり、レインはあの獣人に致命傷を与えたであろうことを確信する。

 彼が誇る魔法武器を活かした、最速かつ最強の斬撃。不意打ちのような形になったが、盗賊相手にルールを守ってやるほど出来た人間じゃない、という自覚のある彼にとっては何の躊躇もない。


 が、黒煙が晴れた時、その確信は一瞬にして覆される。そこには微動だにせず佇む獣人がいたのだ。斬りつけたはずの腹部にも焦げた跡すら残っていない。

 今までこの一撃を耐えたものはいなかった。どんな相手であれ、レインの前に無残な姿をさらすことになるはずだった。


「馬鹿な……そんな馬鹿なことがあるか!」


 レインの叫びが森に虚しく木霊する。それは彼だけではなく、その後ろにいた者達の心境を代弁してもいた。彼らもまた自らの隊長の実力に絶対の信頼を置いていればこそだ。

 

 戦いにおいて、自らの実力への自信ほど脆いものはない。特に慢心に満ちたそれは、強者との戦いにおいてはあくたにも等しい。

 

「ああああああッ!」

 

 再び咆哮と共に狼型の獣人へと肉薄する。

 だが、喉を震わせるその声はもはや悲鳴に近い。

 そして――。


「――邪魔だ」


 ズドン、という腑の底に響くような轟音が、森全体に響き渡った。

 

「……え?」

 

 後方で戦いの成り行きを見守っていたレインの部下の内の一人が呆けたような声を漏らした。いや、それは彼らとは反対側にいた盗賊たちの誰かのものかもしれない。

 一瞬白狼の丸太のような腕が霞んだように見え、レインの姿が消えたのだ。

 恐る恐る視線を横にずらすと、巨木の根元もたれ、ずるずると崩れる彼の姿があった。生死は不明だが、意識がないのは間違いない。


「次は誰だ? 何なら全員でかかってきても構わないが」

 

 部下たちの顔がさっと青ざめる。

 その瞬間に彼らは理解した。理解してしまった。

 この場において、本当に狩られる側はどちらなのかということを。



 ■



「いやぁ、流石はバスクの旦那だ! 今回ばかりはちぃとばかしヤバいんじゃねぇかな、って思っていたんですがね」


 盗賊の頭であるリーパー――それが偽名の可能性は高いが――は、荷馬車を物色する部下たちを眺めながら賞賛の言葉をかける。その顔には喜々とした表情が浮かんでおり、その言葉が本心であることを物語っていた。

 その横に立ち、同じようにしてバスクもせわしなく動き回る盗賊を眺めるバスク。リーパーの場合は部下の監視という目的があってのことだが、彼の場合はただ単に暇なだけだ。

 

「あまり見縊くびるな。あの程度の男に遅れは取らん」


「いやいや、見縊ってなんか……だって相手はあの『シリウス』で有名な奴ですぜ? それを一瞬で沈めるとは誰も思いませんよ。というか、これならどっかの傭兵会社で十分やっていけますぜ?」


「何度も言っているだろうが。俺は誰かの下につく気はない……特に貴族と関わり合いになる仕事なんぞ、やりたくはないな」


「あぁ……」


 何かを察したように黙り込むリーパー。

 これがバスクが見つけた、この大柄な男の長所の一つだ。相手の気持ちを敏感に汲み取り、こちらを不快にさせることをしない。今もこのまま話を続けると、バスクの心の闇に触れると判断したからだろう。


(ガタイに似合わず、繊細な奴だ……なぜこんな男が盗賊なんてやっているんだろうな)


 バスクは口には出さず、褒めているのか馬鹿にしているのか自分でもよく分からない感想を抱く。

 これはこの男の優しさといえるだろう。いや、だからこそ盗賊が務まるのかもしれない。突き詰めてみれば勘の鋭さともいえる。


「……うん?」


 気まずい沈黙を紛らわすようにバスクが視線を横にやると、既に荷台から運び出された木箱の一つに光るものがあるのを見つけた。

 何かと思い近づき手に取ると、それは花の形をあしらった髪留めだった。青く、透き通るような鉱石で作られており、それが月光を反射しているのだ。


「こいつらは徴税のために動き回っていたんでしょうよ。大方、それは税を払えない者達から巻き上げたものといったところでしょうな」


「徴税? こんな真夜中にか?」


「つまり、合法なもんじゃないってことです」


 リーパーの説明でようやく合点がいった。この者達の主人は定められている税の他に、裏では領民からさらに税を搾り取っているということだろう。もちろんそれは違法行為であり、それが見つからないようにわざわざこの森を道に選んだのだ。

 そのような目にあっている者達を思うと、己が盗賊であることも忘れて胸が痛くなる。


「クズが……反吐が出るな」


 バスクが内に燃える怒りを吐き出すようにして呟く。それは彼の仲間である盗賊たちでさえも思わず身じろぎするほど凄まじいものだった。

 

「……そうだ、こいつらどうするんで? いつもどおりで?」

 

 話題を逸らすようにしてリーパーが倒れ伏す四人の傭兵、そして御者を指す。全員気絶させているが、当分は起きることはないだろう。


「あぁ、いつもどおり――そこらへんに放っておけ。このあたりならアンデッドの類が出ることもあるまい」


 リーパーは頷くと、近くにいた部下に指示を出す。

 この盗賊団はバスクが入ってから、二つの変化が起こった。

 一つは奪った相手の命を奪わなくなったこと。今のように気絶させ、めぼしいものを持ち運んだ後に近くに放るようにしている。

 そしてもう一つの変化、それは――。


「頭ァ! 向こうで見張りをしてたやつが戻ってきました!」


 森の中から部下の一人がこちらに駆けてきた。慌てている様子が離れているバスク達からもはっきりと分かった。


「んじゃ、ちょっと話を聞いてきますんで」

  

 そういうと、リーパーが部下の方へと走っていく。

 しばらくして戻ってきた彼の目には、欲望に燃えていた。明らかに興奮している。 

  

「向こうから向かってくる馬車が二台あるそうですぜ! もちろん、貴族のものです!」


 その言葉を聞き、バスクが頷く。貴族の馬車、というのが重要なのだ。

 もう一つの変化、それは平民の荷を狙わなくなったことであった。


「二台、ということはまた一台目が護衛に雇われた傭兵でしょうな。また頼みますぜ、旦那」


 バスクの反応も待たず、リーパーはすぐに部下の招集に掛かる。どうやら一日に獲物が二度訪れることが滅多にないことなのでかなり浮かれているようだ。

 そうはいってもバスク自身も内心では浮かれていたのだ。顔に出そうになる喜びを抑えつつ、リーパーたちの後を追う。




 もし彼の人生の中で最大の分岐点はどこだったかと言われれば、おそらくここであったのだろう。

 知らぬうちに、彼は果て無き戦いへと続く道を選んでしまっていた。

 この時から一時間も経たぬうちに、ゆくゆくは有名な盗賊になっていたかもしれない彼らを待ち受けていたものは――壊滅だった。




 

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