無用のカテゴリー
春、新入社員がやってくる季節。あたしの職場にも3人の新人がやってきた。当然のように、歓迎会という名の馬鹿騒ぎの時期だ。
今年の幹事のチョイスは、なかなかいい。呑める人も呑めない人も楽しめるメニューの豊富さがいい。20人弱の人数だと、たいていはチェーン店の居酒屋で飲み放題コースだから、呑めない人からは不満がでることしばしばだった。会費は5000円で、新人は無料。高めの飲み会だが、今回は不満はすくなそうだ。あたしは、乾杯用にウーロン茶を頼んだ後は、豊富な日本酒をメニューの上から順に味見していた。
「なあ、お前。二次会行くか?」
営業成績トップの同期が聞いてきたから、行かないと答えた。あたしは、カラオケとか苦手だからだ。
「じゃあ、ちょっと俺につきあってくれないか?」
あたしはいいけどと答える。
「カラオケ・ファミレス以外であんたのおごりならね」
「了解」
彼はそういって、他の席に呼ばれて行った。
一次会が終了したのは午後9時。ここからはカラオケで二次会ということだった。あたしは何人かに二次会抜けて飲みに行こうといわれたが、予定があるから今日はここで終わりと断った。
そして、携帯にメールが来た。
『部長につかまった。悪いけど、ココに先にいってて』
と地図が添付してある。
さすが、トップセールスマン。部長のお気に入りはたいへんだなぁと思いつつ、あたしは指定された店までぼちぼち歩く。
『バッカス』という名のその店は、名前ほどダサくない。むしろおしゃれだった。店内はほどよい薄暗さ。テーブル席はカップルで埋まっていたので、カウンターの端に二席確保して、彼が来るのを待った。
中性的な顔のバーテンダーがご注文はと尋ねるので、待ち合わせだからというとにっこり微笑んでミント水です、どうぞとお水を出してくれた。
あたしは、酔い覚ましに彼が来るまで、ちびちびと水を飲む。30分待っていたが、現れる気配がないのでメールをしようと思ったら、あわてた様子で彼がやってきた。
「悪い、またせた。何飲んでるんだ?」
「ミント水」
「なんだよ。先に飲んでればよかったのに……とりあえず、何飲む?」
レミーマルタンのレッドとあたしは答える。彼はなれた様子でレミマルレッドとサファイアと言った。
「サファイアって何?」
「ジンだよ。お前こそ、レミマルとか手加減ねぇな」
「高いの?」
「まあ、いい酒だ……ってお前、洋酒飲めるのか?カクテルじゃなくていいの?」
「洋酒は、まだレミーマルタンしか飲んだことないから、とりあえずと思っただけなんだけど。ダメなの?」
「いやいや、別にいい」
とりあえず、それぞれに出された酒をちびちび呑む。あたしは、なんだ?この沈黙と思いつつ、彼を見た。難しそうな顔をしている。仕事の時は、あまり見ない表情だ。あたしは、面倒くさくなって切り出す。
「何悩んでんの?」
彼はグラスを口にもっていきかけて、一瞬かたまった。それから、グラスをもてあそぶようにゆらしながら重い口を開いた。
「その……お前……同性愛ってどう思う?」
「なんだそりゃ……」
あたしはくだらないこと聞くなぁと思ってそう言った。彼は、やっぱ、偏見あるよなとつぶやいた。
「偏見?ああ、それ一般論。あたし的に恋愛において性別は無用のカテゴリー」
彼は驚いたような顔でこっちを見た。あたしはレミーマルタンをちびちび飲みながら、持論を展開してみる。
「だいたい、恋に堕ちたら、もうその人のことしか考えられないでしょ?だから、みんな勇気をふりしぼって告白するじゃない。そこにあるのは、『大好きな人』であって、好きな異性じゃないし。同性愛が気持ち悪いって言う人は、自分の好みのタイプじゃなかったら、相手の勇気なんて無視して『あのブサイクがさぁ』とか『あのキモイ奴にぃ』とかいいながら、告白されたことを自慢して周りに吹聴するんだよね。それで付き合う相手には理想を押し付けたり、浮気したりして……まさに、偽恋だなとあたしは思う」
彼は少し考え込む。
「でも、そういうもんじゃないのか。普通」
「だから、あたし的にって言ってるじゃん」
「じゃあ、お前、同性から告白されたらどうするんだ?」
「うーん、今のところされたことがないからわからないけど。普通に対応するよ」
「普通にって?」
「好きな人がいたら、いるからって断るし。友達以上になれないなと思えば、そう答える。告白されて舞い上がるほど好きなら付き合う」
「同性だぞ」
「だから、あたしは恋愛に性別というカテゴリーは不要だって考えてるっていってんじゃん。ついでに人の恋愛ごとに嘴はさむほど、バカじゃないつもりぃ」
そういって、あたしは空になったグラスをとんとテーブルに置く。
(さて、おかわりしようかな。それとも他のヤツを呑んでみるか?)
などと考えながら、カウンター内を物色する。
「ねぇ、おかわりしていい?」
「あ……ああ……」
あたしはおかわりをもらう。彼はじっと手の中のグラスをみて考え込んでいた。
「じゃあ、もしお前が同性に告白したとして……時間をくださいって言われたら、どう思う」
待つよと即答する。
「待つのか?フラれたとか思わないか?」
「なんで?」
「なんでって……一種の断り文句だろう。これって」
「そうなの?」
あたしはおかわりのレミーマルタンを、またちびちびと呑みはじめる。
「そうなのって……そうじゃないのか?」
「考えるってことは、可能性はゼロじゃない。ただ、自分が相手を想っているほど、相手も自分を想ってくれるかはわからないってだけじゃん?答えはいつか出るわけだから、それまで待つしかないじゃない?」
彼はグラスにのこったサファイアをいっきに煽る。そして、そうだよなとつぶやいた。
翌日、昼ご飯を食べてから喫煙室に行く。さすがに、呑みすぎて少し頭痛がした。そのせいか、午前中は仕事があまりはかどらなかった。
普段、食後の煙草は一本だけど今日は三本吸って、気合いれなおそうとあたしは思った。丁度、三本目を吸いはじめたとき、四月から企画部に異動した同期が声をかけてきた。
「久しぶり」
「うん、久しぶり。企画部どう?」
「まあ、自分の希望だから……がんばってる……」
「……のわりには、元気ないね。そっちも新歓?」
いやと彼は首を横に振った。
「あのさ……お前、同性愛とかゲイとかに偏見ある?」
唐突な問いだったが、あたしは別にないと言った。
「相談したいことがあるんだけど……時間取れる日ある?」
「今日は空いてるよ。そっちは?」
「オレも今日は定時にあがれる。終わったらメールするけど、いい?」
「いいよ」
彼はありがとうといって喫煙室を出て行った。
仕事は定時に終わらなかった。あたしの方が残業になったから、彼にどうする?とメールした。新宿の『Plumeria』で待ってると地図つきの返信が来たので、了解と返し、できるかぎりサクサクと仕事をやっつける。
なんとか一時間の残業ですみ、午後7時を少し過ぎてからあたしはお店についた。彼はカウンターの隅の入口の近くに座っていた。全体的にかなり照明を落としてあるが、カウンター内はかなり明るく華やかだ。蛍光ブルーのライトでまぶしく光る大きな水槽もあって、熱帯魚らしきものがふわふわと泳いでいる。
「ごめん、お待たせ」
あたしはそう言って彼の隣に座る。なんだか、妙な視線を感じて、気づかれない程度に店内を伺うと男性客ばかりだった。もしかして、もしかするのかと思ったとき、ゴツイひげ面のマスターが大丈夫よとこっそり笑った。
「あなたのことは、ミスティにしとくから」
「ミスティ?って」
「うちのお店は女性禁止なの。だから、あなたは今からミスターレディってことよ」
なるほど。いわゆるハッテン場ってことかと、あたしは納得してうなずいた。
「マスターっていえばいいのかな?それともママ?」
と尋ねると、どっちでも大丈夫よと笑顔で返された。
「それじゃあ、マスター。サファイアちょうだい。あと、灰皿も」
オッケーィとマスターは軽い口調で返事をくれた。彼の方は、すでに何か飲んでいる。琥珀色から推察するに、ブランデーかなとあたしは思った。
「ごめんな。オレ、ここしか店知らなくて……」
あたしは問題ないと煙草を出して一服する。なんだか、いろんな視線を感じるがそれは無視することにする。
「で?相談って?」
あたしは、一服すますとサクッと本題に入った。
「実は……告白されたんだ……」
「女の子に?」
「違う。ストレートの男」
あたしは事情がよく呑み込めないまま、質問を続けた。
「それでなんて答えたの?」
「時間が欲しいって答えた……どう答えたらいいかわからなくて……」
彼は深いため息をつく。あたしは、サファイアを一口飲む。するりと口の中を通って癖がない。
「オレ、ゲイだってばれててからかわれたのかな……」
「うーん……その相手って、交流があんまりない人?」
「いや、友達」
「どれくらいの友達?」
「どれくらいって?年齢?」
「違う。違う。いつからの友達かってこと。学生時代からとか、会社に入ってからだとか、そういう意味」
彼はああ、そっか、そうだよなとつぶやく。
「高校からの付き合いだよ」
「なるほど。今でもよくつるむような相手」
彼はこくりと頷く。
「じゃあ、相手の性格知ってるのよね。ある程度は?」
「ああ、知ってる。自分の決めたことはきちんとやるヤツだし、信頼できる。仕事とかかなりできるし、他人の悪口も滅多にいわないよ。ただ、女の子はとっかえひっかえって感じだったから……なんでいきなりオレなのかって……」
「ああ、あれか。嫌われるくらいならお友達でいたいって話か。ところがいきなり相手が告白してきたと、そういうことね」
図星だったのか、彼は悲しそうな顔をした。すっかり後ろ向きだ。
「それなら、そんなの決まってるじゃない。あんたを真面目に好きだからでしょ」
わかってないわねぇとマスターが割り込む。
「相手はノンケよ。そのうえ、女の子とっかえひっかえなんてヤツよ。簡単に答えがでるわけないじゃない。あたしだって悩むわよ」
あたしは、軽くため息をついて煙草に火をつけた。
「恋愛を性別なんて余計なカテゴリーで考えるからややこしくなるんだよ」
「そういうけどね。世の中の偏見って怖いんだから。あたしなんて、親から勘当されたわよ。いろいろ痛いのよ。同性同士って」
「恋愛なんだから、周りが痛いこというのは、普通でしょ。だいたい、マスターだって勘当されても自分を欺けないから、ここにいるんでしょ?痛いけど、乗り越えたから店かまえてるんでしょ?違う?」
マスターは目をまるくした。そして、苦笑いを浮かべる。
「確かにそうね。だけど……いいえ、だから痛い思いしてほしくないなって思うんだけど」
「それ普通に誰でも考えることだよ。男とか女とか関係ないよ。マイノリティだからって自分をまげて生きなきゃいけない道理はないし、マジョリティだからって痛い思いしないわけじゃないでしょ?突き詰めれば、自分の気持ち次第じゃない。ましてや好きな人に好きだと言われて、怖がってたら幸せにはなれないでしょ。世間体とか偏見とかを一人で乗り越える人もいるよ。もちろん、無理な人もいるけど。今回の場合は、好きな人に好きだと言われたんだから、悩むより自分の気持ちをはっきり言えばいいだけじゃないの?躊躇してることも全部」
あたしは一気に持論を吐き出す。もう、面倒くさい奴らだよと心の中でため息がでた。
「世間体とか偏見とか、そういうものから完全に自分を守れる人なんていない。自分に似ている人となんとか、どうにかして生きていくしかない。世の中、そんなもんだとあたしは思うよ。で、あんたは幸せになりたいの?なりたくないの?」
あたしは、彼を問い詰めた。彼はうつむき加減で、幸せになりたいよと力なく言った。
「なら、なればいいのよ。向こうが乗り越えてきたんだから、今度はあんたが自分を欺くことから逃げないで乗り越える番じゃないの?」
彼ははっとしたように、顔を上げる。あんたすごいわねぇとマスターが感心したように言った。
「別にすごいことないよ。あたしはあたしが思ってることを言っただけ。決着つけるのは彼にしかできない。決めるのも、選ぶのも結局は自分。だったら、傷ついても後悔しても自分を欺かないほうが幸せになれるって思うよ」
「やっぱり、あんたすごいわ。男前だわ」
マスターは愉快そうに笑った。
「よし、壮行会しましょ。あたしのおごりよ。じゃんじゃん呑みなさい!」
あたしはなんだかわからないまま、おごってくれるという言葉に従った。彼も何かを決意したようにお酒を煽った。
週末は二日酔いで、ぐだぐだだったあたしは、月曜日がひどく憂鬱に感じられた。完全に呑みすぎたと反省しながら、今日は食堂で昼ご飯を食べることにした。こういう日は蕎麦だ。
丁度そこに、二人の同期がやってきて、同席した。あのさぁと小声で営業成績トップの彼が言う。
「俺たち付き合うことになったから」
あたしはああそうと気のない返事を返して、疑問符を頭に浮かべる。
「俺たちって……あんたたちのことよね?」
企画部の彼が照れくさそうに微笑む。あたしはため息をつき、そりゃ、おめでとうとなげやりに言って蕎麦をすすった。
「あのさ、お礼したいんだけど、何がいい?」
「お礼とかいらない。相談料ならちゃんとお酒おごってもらったしね」
二人はお互いに視線を交わして、くすりと笑う。なんかムカついたので、あたしは言った。
「どうしてもっていうなら、ゴディバのチョコ10粒で手を打つわよ」
そんなんでいいのかと営業の彼がいうと企画の彼は、ゴディバは高いんだよと突っ込む。息ぴったりじゃない。まったく……。
「ああ、そうだ。Plumeriaのマスターがいつでも呑みにおいでって。はい、これ名刺」
ピンクのかわいらしい紙に店名とマスターの名前が入っていた。
裏を返すと嫌なことが書いてある。
【今度はあたしの相談にのってね。ミスティちゃん❤】
……行くのはよそう。
【終わり】
バッカス……【ギリシャ・ローマ神話の酒と酒宴の神】
Plumeria プルメリア……【科・属名: キョウチクトウ科インドソケイ属】花言葉は「気品」「恵まれた人」「日だまり」「内気な乙女」