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09 死闘の果てに



「先ほどの基地でイリスさんがポシェットから出てこなかったのは、正解でしたね。もし妖精なんかが飛び回っていたら、あそこの人たちはきっともっと驚いていたはずです」

「おバカ! びっくりしてたのは、あんたが急に机を叩き割ったりなんてするからでしょ!」

「あれは……ちょっと申し訳ないことをしてしまいましたね。ですが、余計な犠牲を出してほしくないのです。それにボスが本当にアレだった場合、他の人が巻き込まれると厄介ですし」


 単身で前線基地を後にしたエリーは、イリスが閉じこもるポシェットを首から下げ揺らしながら、死臭のただよう町の中を移動していた。

 イリスがポシェットから出てこようとしないのは、町の至るところから黒狼がひっきりなしに襲いかかってくるからだ。住民の姿も絶え、防衛隊員も見当たらないこの一帯は、化物モンスターのはびこるまさに魔境と化していた。


「イリスさん、敵の親玉がどこにいるか教えてくれませんか?」

「……その前に、次の右手の小路からオオカミがくるわ」


 イリスの予知どおり、黒狼の数頭が飛び出してきた。それにエリーは瞬時に打撃を叩き込む。黒狼の身体は吹き飛んで建物の壁に激突していった。

 エリーが町の北西部に歩を進めるたび、道中を襲ってくる化物モンスターの数は明らかに激増している。


「クロワッサンくんを置いてきてよかったですね。この辺りは危険が過ぎます」

「それを言うならあのガキンチョはクロムでしょ!? っていうか、あたしだってこんな超絶ヤバいところ来たくないのよ!」


 ポシェットの中からイリスは猛抗議をした。激しく帰りたがっている。


「ですが、イリスさんがいないと敵の居場所も道もわかりませんからね。頼りになるのは貴女だけですよ、イリスさん」

「えっ……そ、そう? まぁそれならしかたないわね、あたしがナビゲートしてあげるわっ」


 といって袋の口からひょっこり顔を出すイリス。

 この無駄に自尊心だけは強い妖精の扱いを、エリーはそれなりに心得ていた。

 そのイリスの予感をもとに先を急ぐ。


「エリー、あの煙が上がってるところ! あの辺になにかがいるわ……!」


 イリスが町並みの奥を指差した。

 周囲の建物は外壁が破壊されていて、どこも血とがれきで散らかり放題の室内を無惨にさらしている。ただの黒狼が暴れまわっただけではこうも建物まで崩れることはないだろう。エリーはがれきに埋もれている人間の手を発見したが、腕から先の身体はなかった。

 死の臭気はどんどん強まっていって、この先に何か強敵が潜んでいるような気配がした。戦って死んだと思われる町の男の身体がそこらに散らばっている。地面を汚した血や体液はまだそれほど乾いてもいない。

 ふとエリーは数軒先の建物が崩壊する音を聞いた。


「エリー! なにかいるよ!」


 イリスが叫ぶ。

 前方に粉塵が巻き起こる中、注意して目を凝らしたエリーがようやく敵の姿をとらえた。

 建物の外壁を蹴倒しながら出現したのは、人間をゆうに越える巨体に岩のようなうろこをまとった化物モンスター──竜だ。それこそがこの町を襲った群れのボスである。


「やはり町がここまで被害を受けたのは、竜のしわざだったのですね」


 首長の身体にがっしりとした太い四肢、くちばしのように突き出た鼻先、長く重たげな尾。後頭部からは硬質な背びれが隆起し、それが尾の先端まで続いている。そして頭の頂点には自らの存在とその強さを見せ付けるかのように、猛々しい一本角が君臨している。どうやら翼は生えない種のようだが、そのぶん頑丈なうろこがびっしりと体表をおおっていて針を通す隙間もない。

 その竜の血だまりのような深紅の瞳がエリーを獲物として映し出した。


「ちょっとエリー! アレは思ってたよりヤバいよっ、逃げたほうがいいんじゃない!?」

「私は大丈夫です。イリスさんは逃げていてください」

「えっ、エリー! でも……」

「竜族を根絶やしにするのは、その竜に種を植え付けられた私の使命です。さぁ、イリスさんは巻き込まれないうちになるべく遠くへ」


 エリーはポシェットからイリスを取り出し、放してやった。

 その間に竜は鼻息を荒くして、こちらに向け前進をし始めた。黒狼のようにすばやいことはないが、一歩一歩が地面を揺らしレンガを砕く突進だ。対するエリーは軽く腰を落として竜を待ち構える。突進をその身で受け止める気のようだが、本物の竜の巨体と迫力の前ではあまりに頼りない。


「エリー、止まってちゃだめよっ、このまま突っ込みなさい!」


 と、耳元でイリスの声が聞こえた。先ほどまであれほど逃げ帰りたがっていたイリスだが、エリーの髪につかまったままだった。


「イリスさん? 何をしているんです」

「ふん、あんた一人じゃアレはキビシいでしょ。だからあたしが最後までナビゲートしてやろうじゃないの。ほら、さっさと突っ込みなさい!」

「イリスさん……」


 ありがとう、とだけエリーは短く答え、言われたとおり竜に向かって突撃した。唯一無二の相方の助言に一切の疑いは持たなかった。

 駆け出したエリーの動きに反応した竜は身を起こし、後ろの二本足で立ち上がる。竜は基本的には四足歩行だが、獲物を狩るときは二足になり、両前足の鉤爪を武器として振るうことができる。その振りかぶった前足で、竜は向かってくるエリーを勢いよく踏みつけた。

 どすん、という大きな地響きと地震のような揺れが辺りに広がる。竜の全体重を乗せた踏みつけだ。路の敷き詰められたレンガは粉々に砕け、地面は歪んで陥没した。この攻撃の下敷きになっていれば、骨のかけらも残らなかっただろう。

 エリーはたくみに竜の踏みつけをかわしていた。


「横ががら空きよ、ぶちかましなさい!」


 イリスの予知をもとにして見事に竜のふところへ潜り込んだエリーは、すかさず竜の側面から渾身の打撃を放った。下っ腹を鋭くとらえたエリーの右こぶしは、しかし鋼鉄を叩くかのようにびくともしなかった。


「エリー! 後ろへ跳んで!」


 竜が強靭な尾による振り払いで反撃をよこすと、エリーは大きく退いて逃れた。

 両者の間に距離が空く。

 体勢を整えた竜は再び地を鳴らしながら突進してきた。


「やはり生身では無理のようですね。相手が重すぎます」

「そうね……〝竜化〟しないとまともなダメージを与えられないわ」

「あまりコントロールできるかわかりませんが、やるしかありません」


 といってエリーは身体の力をすっと抜き、集中をし始めた。すると、直立したエリーの身体は徐々にこわばってゆき、首筋や腕の体表が赤みを帯び始めた。

 エリーはかつて〝竜の血〟を浴びた人間だ。身体に秘めているのは眼前に迫る化物と同じ、竜の力である。それを開放するための〝竜化〟が始まっているのだ。しかし、完全に竜化しきってしまうとエリーもコントロールができなくなって、まさに目の前で暴れている竜と同じになってしまう。そうならないよう、エリーは竜化を腕まででとどめた。

 その身体はそれほどうろこじみているわけでもない。ただ明らかに体表は硬質化していて、エリーの普段は黒ずんでいる瞳も血を溜めたような緋色へ変わっていた。


「来るわよ、エリー!」


 そこへ敵の竜が突っ込んでくる。今度は四足のまま、頭部の猛々しい一本角を突き立てた突進だ。生身ならたとえエリーとて無事では済まされない。それを竜化したエリーの腕ががっしりと受け止めていた。

 竜の角先とエリーとで力の押し合いが繰り広げられる。だが、相手の巨体に対して圧倒的に重量で劣るエリーは、竜の突進を止めきることはできなかった。土ぼこりを巻き上げながら、エリーの身体は後方の建物まで突き飛ばされていった。

 崩れる建物と舞い上がる粉塵の中、先に脱出したのはエリーだ。


「大丈夫ですか、イリスさん!」

「……げほっ、げほっ……、あたしは大丈夫っ……それよりあんた、さっさと準備なさい! 次は特大級のが来るわ!」


 イリスに言われるのと同時、エリーは粉塵の中に強大なマナの集まりを感じた。あれは間違いない、竜が魔法を放とうとしているのだ。エリーもとっさに右手をかかげて体内のマナをありったけかき集める。

 視界が薄ら開けてくると、立ち上がっている竜の巨躯きょくが見えた。竜もエリーの姿を認識すると、すかさず大きく口を開き、その口腔から燃え盛る火炎を吐き出した。

 瞬間、眼球が焼かれるかのような強烈な放射熱を感じた。灼熱の業火が周囲を煌々と照らし上げながら、大気をほむらで貪り尽くしながら、轟と音を上げてエリーの視界いっぱいに広がった。

 避けるという選択肢はない。エリーはかかげた右腕を降り下ろすと、集約していたマナを一気に解き放ち、眼前に迫る熱のかたまりに向けてぶちかました。

 それは風か嵐か、竜巻か。荒々しい風のうねりが竜の炎を蹴散らした。そして周囲のがれきを乱暴に巻き上げて、竜の本体に襲いかかる。暴風をもろに受けた巨体は後方の建物群にまで吹き飛んでいった。


「エリー、大丈夫!?」


 エリーはその場に膝をついた。身体から力が抜けていく。

 それは渾身の魔法を放った反動だった。エリーの魔法は体内のマナを持ち出して消費するぶん、代償が大きいのだ。特に、マナをひり出した右腕はしばらく使い物にならない。


「立ちなさいエリー! すぐに次のが来るわ!」


 見ると、相手の竜は健在で、がれきの山の中から身を起こしている。そして、今にも次なる火炎を放とうとしている。もう一度同じ規模の攻撃が来れば、エリーに迎撃する術はない。

 そのときだ。

 力を溜めている竜の横から、突如として一本の矢が飛来した。それは戦況を覆す一矢となる。全身が鋼のうろこでおおわれている竜、その唯一の急所──竜の目玉を矢は射抜いた。

 地響きのような悲鳴を上げて竜がひるむ。

 建物の屋根の上に立って弓を引いたのは、クリスだ。


「おいあんた! 俺がヤツを引きつけるから、馬鹿な真似してねぇでさっさとここを離れろ!」


 クリスはエリーに向けて叫んだ。

 彼はエリーが前線基地を抜け出したことを知ったのち、すぐさま弓と矢を引っつかんで大急ぎで後を追いかけてきたのだ。敵の親玉のところへ行く、などと冗談じみたことを真顔で言っていたエリー。彼女を放っておくことがクリスにはできなかった。

 そのクリスに、片目から赤黒い血の涙を流した竜が標的を変える。頭の一本角を突き立て、クリスの立つ建物に突進した。

 竜の体重の丸ごと乗った衝撃が建物に襲いかかる。レンガ造りの壁面は積み木のように崩れ、屋根の部分もたちまち崩落した。クリスの身は放り出され、地面の上を転がった。


「ぐあっ……!?」


 腰に痛みがじんと響いてすぐに起き上がれないクリスを、竜の緋色のまなこは逃がさなかった。人間が羽虫を払うがごとく、竜は凶悪な鉤爪のついた前足を悠々と振るった。

 しかし、その鉤爪はクリスには届かない。

 クリスの目前には、竜の一撃を受け止めるエリーの姿があった。


「な、なにをしてるんだあんたっ、竜の攻撃を受け止めるなんて!」


 エリーは片腕で竜の攻撃を防いでいた。右の腕はだらりと垂れ下がっていて満足に扱えない。それに対して相手のほうがやはり力に勝るようで、竜の前足を抑えるエリーの腕は小刻みに震えていた。


「竜は、私が倒さなければならないんです」

「馬鹿言ってないで離れろっ、殺されるぞ!」


 竜はエリーを右の前足で圧倒しながら、同時に左の前足を振り上げた。

 その竜の左前足がエリーを叩きつぶす。かろうじてそれを受け止めたエリーは、しかしあまりの重さに耐え切れなくなって、踏みつぶされてしまった。


「おい、大丈夫か! おい返事しろ!」

「平気です、これしき……!」


 周囲のがれきががらがらと崩れ、粉塵が舞う中、エリーは左腕の一本で竜の両前足を受け止めていた。足元が沈み、身体がきしむ。


「くそっ……今助けてやるぞ!」


 クリスはとっさに矢をつがえ、射撃の姿勢を取った。狙うは竜のただ一点、眼球である。

 至近距離で放たれた矢は正確にそこを射抜いた。

 途端に再び竜の馬鹿でかい咆哮が地を震わせる。

 逆上した竜は、長い首を伸ばしてクリスを噛み殺しにかかってきた。

 クリスは、それでも退かない。目の前で蹂躙されているエリーを残して逃げるなどできはしない。彼は迫りくる竜のあぎとを前にして、再び矢をつがえた。死を覚悟した彼には文字通り一矢を報いる決意があったのだ。

 竜の大口がクリスの頭にかぶりつく瞬間、彼は命がけの矢を放った。

 それは竜のもう一つの弱点──体内を貫いた。


「はっ、どうだ俺の矢の味は!」


 今まで聞いたこともないような咆哮を上げ、竜はのたうち回った。いかに体の外側は鋼のように頑強であろうとも、内側はやはり生き物のそれである。口腔から投射された矢は竜の喉奥に深く突き刺さっていた。

 生物の頂点に立つ竜族おうじゃが、たかだかちっぽけな人間むしけらによって痛手を負っている。この竜にも激情というものがあるのなら、そんなことを思っていたに違いない。

 竜は怒り狂って、クリスをその強靭な前足で押し倒した。


「ぐっ……! い、いいかっ、絶対に逃げろよ! 俺がどんな目にあっても、あんたは絶対に逃げてくれ!」


 クリスは叫んだ。それが彼の断末魔になる。

 次の瞬間には、動けないクリスの体に竜のあぎとがかぶりついた。

 凶悪な牙がクリスの首筋に突き立てられ、鎖骨を小枝のように乱暴にへし折り、首の動脈が引き裂かれ、おぼれそうになるほど大量の鮮血があふれ出す──クリスの体がまさしく食い殺される瞬間だった。

 しかし、その竜の無防備な頭蓋にエリーの左こぶしが突き刺さったのも、ほぼ同時だった。


「……はぁ、……はぁ、これでおしまいです……」


 怒り狂った竜がクリスに襲いかかった隙に、エリーは拘束から抜け出していた。そして、比較的うろこの薄い竜の後頭部へ思いきりに叩き込んだ。竜化したエリー渾身の打撃は、竜の頭蓋をたやすくぶち破って、その脳髄にとどめを刺した。

 竜は血だか体液だかわからないどす黒い液状のものを大量に吐き出して暴れ、やがてどおっという大きな音を上げて地面の上に転がった。その後はぴくりとも動かなくなった。最強の生物とはいえ、最期はあっけないものだった。

 ふらつきながら立ち上がるエリー。

 その脇には、自らが流した血と、竜の血にまみれたクリスが倒れ伏していた。




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