10 残された災い
町に残った化物の残党を狩り終えるまでにニ、三日かかった。全部で何頭の黒狼がいたのか定かではないが、仕留められたたくさんの死がいは町の広場にうずたかく積まれ、焼却処分された。竜の身体は炎に燃えなかったため、やすりで分断して町から離れた湖の底に沈められることになった。
そうして、ようやく町は化物の襲撃から解放された。人々の勝利である。
今回の襲撃で町の人口は四分の三にまで減り、市街への被害も大きく残った。特に竜の暴れまわった地区は破壊された建物が多くあり、復旧には長い時間がかかりそうだった。それでもこうして町が新たな一歩を踏み出せるのは、竜を倒し人々を救った英雄がいたからだ。
クリスはかろうじて一命を取り留めていた。竜との戦いによる傷はあまりに深く、助かる見込みは絶望的だと思われていたが、彼の驚異的な回復力によって復活を果たした。それからは町を救った英雄としてもてはやされ、知らない人はいない超有名人となった。竜との戦いを演じた場所に銅像を建てるだとかいう話も上ったくらいだ。
そのクリスとともにエリーのことも一挙に広まった。彼女は竜を滅ぼすためにやってきた女神だとか、町を助けるために天界から遣わされた天使だとか、実は人間じゃなくて化物だとか、会議室の机を叩き割った犯人だとか──色々なうわさが飛び交った。町にとって異邦人であるエリーの話の種は尽きることがなかった。もちろん、いずれにしても人々に英雄視されていたことは言うまでもない。
町は多くのものを失った代わりに、新たな歴史と伝説を得て、やがて日常を取り戻していった。
──ところが、エリーの戦いはまだ完全には終わっていない。
「……私です。クリスさんはいますか?」
エリーはクリスの宅を訪れていた。
戦いの傷が癒えるまで絶対安静、というお達しがなければ、今頃この彼の自宅は英雄をたたえる人々で千客万来だっただろう。
「お、エリーか、よく来てくれた。もう一度改めてお礼を言いたい。あんたがいなければ、この町は竜に滅ぼされていたよ」
クリスは自らエリーを出迎え、部屋に招き入れた。
狭苦しいところですまんな、と彼は椅子を勧めた。
「町が助かってよかったですね。クリスさんのお怪我はもうよろしいのですか」
「ああ、すっかり治ってしまった。自分でもびっくりするくらいだよ」
クリスはあれだけの傷を負って生死の境をさまよったというのに、たった数日でピンピンしていた。
「そうだ、お前はイリスと言ったか」
エリーの首掛けポシェットから妖精の少女が顔を出しているのに気付き、クリスは言った。
「ふん、なによ? 気安く呼ばないでちょうだい」
「お前も町に力を貸してくれたらしいな。生き残りの中で『狼に追いかけられていたら妖精が来て助けてくれた』と言ってる人が何人もいたぞ」
「あっそ。それはよかったわね」
イリスはどこかそっけない態度を取った。普段の彼女なら今の話を聞いてうっとうしいほど自慢したがるだろう。だが、今日はそのイリスも、エリーも口が重かった。
「……どうした? あんたたちは町を救った英雄なんだから、もっと誇ってくれてもいいんだぞ。明日の戦勝記念の祭りには絶対に来てくれとみんな言っていた」
嬉しそうにクリスは語った。
彼のほがらかな顔をじっと見つめながら、エリーはようやく口を開く。
「実は貴方にお話があって来ました」
「……ほう? 都合が悪くて祭りに来られないとかか? それなら安心しろよ。なにせ祭りの中心はあんたたちなんだからな。こっちが都合に合わせるさ。ああ、それと欲しいものがあるなら遠慮なく言ってくれ。すぐに用意を──」
と、クリスが立て続けに話すのをエリーはさえぎった。
「この町の南東で、ある集落が壊滅したという話はご存知ですか」
「……ん? そういえば、前に防衛隊の中でも話に上がってたな。化物に襲われたとかいうヤツか」
「ええ、そうです。ではこの町の北東の地域が化物に襲われたという話は?」
「いや、それは知らないが……」
「では、この町のはるか西方の集落が──」
エリーは次々にクリスを尋問する。
さすがにクリスも困惑して、聞き返した。
「待ってくれ、あんたはつまり何が言いたいんだ? 最近は物騒だからもっと気をつけろってことか?」
「いいえ、そうではありません。私が今言った場所は全て、竜による襲撃を受けたところなのです」
「……ほう」
この町にこれだけの損害を与え、まるで歯が立たなかった竜が他にもまだいるのか、とクリスは息を呑んだ。
考え込む彼に、再びエリーが尋ねた。
「いま私が挙げた地に現れた竜は、全て別々の個体です。ならば、それらの竜は一体どこからやってきたのか、貴方はご存知ですか? 竜は一体どうやって生まれてくるのか……貴方にはそれがわかりますか?」
思ってもみないことを訊かれ、クリスは思い悩んだ。
「そりゃどっかの山にでも竜の巣があって、そこからやってくるんじゃないのか」
「それは違います。竜は繁殖行為を行いません」
「繁殖しない……? それじゃあ竜ってヤツはどうやって……」
「クリスさん。竜は、人間を苗床にして生まれてくるのですよ」
「……ど、どういうことだ?」
「竜に種を植え付けられて運よく生き残った人間が、次の竜に変化するのです」
「な……」
信じがたい事実を聞かされ、クリスはとっさに言葉がでない。
竜はどこからやってくるのか。竜はなぜ人里を襲うのか。この町を襲った竜の目的はなんだったのか。どうして瀕死の自分は生き残ったのか──。
そこまで考えが及んだところで、クリスははっとした。
「まさか……その種ってのが……」
「そうです、クリスさん。貴方は〝竜の血〟を浴びて生き残りました。貴方のその身体にはすでに〝竜の種〟が植え付けられています。あれだけの怪我をすでに完治させた驚異的な回復力がなによりの証です。貴方は二、三日もしないうちに凶暴な竜へと生まれ変わるでしょう」
エリーが持ってきた重苦しい話とは、つまりそれのことだった。
クリスの視界は真っ暗になる。倒れ込むように椅子へもたれかかり、天井を仰ぎ見た。
「俺は……俺は、どうなるんだ……?」
「〝竜化〟が始まったらもう止まりません。意識は竜の種に支配されて破壊の限りを尽くします。周りの人間を喰らったのち、やがてはこの町を襲った竜のような完全体に成長します」
クリスはエリーの話が嘘だとは思えなかった。なぜなら、竜との戦いののち目が覚めてからは、体内に言いようのない不安と恐怖と違和感が渦を巻いていたからだ。ここ数日、食欲は自分でもおかしいと思うほど旺盛だった。ときたまふとした拍子に破壊衝動に駆られることもあった。看病してくれた弟のクロムをわけもなく突き飛ばしたときに、その自分の異常な攻撃性に気付いていた。
クリスはまばたきをすることも忘れて、部屋の一点をじっと見つめていた。
そんなクリスに向け、エリーはそっと語り出した。
「クリスさん、私も竜の種を受けた元人間です。完全に竜化したあとで、永い時が経ってから、再びこのような人の姿になりました」
「……まぁ、あんたがただの人間じゃないってことは気付いてたが……」
「この町の東側に大平原がありますよね? かつてはそこにとある都市国家が存在したことをご存知ですか」
「いや……あそこには一夜にして滅んだ国があったとかいう、おとぎ話しか知らないな」
「ええ、それは事実であり、真実です。そして、その滅亡した都市国家こそがこの私の出生地……。ここまで言えば、もうわかりますよね」
「まさか……その都市はあんたが……」
竜となって滅ぼしたのか、という言葉をクリスは呑んで、相手のエリーの顔をまじまじとのぞきこんだ。化物の身体になって表情も感情も欠落したエリーの顔からは、悲しんでいるのか泣いているのかもわからなかった。
「人が竜になるとはそういうことです。自分が生まれた故郷も親しんだ人も何もかもわからなくなって、ただひたすらに破壊の限りを尽くす……」
だから……と、エリーは一呼吸おいて、確たる声でこう言った。
「摘める芽は摘んでおかなければなりません……私のような悲しみをもう二度と繰り返してほしくはないから。クリスさん、私は今日、貴方を殺めるためにやって来たのです」
エリーの言葉に慈悲はない。人を襲う化物になる前に、ここで死んでくれと言っている。あるいはそれこそが最大の慈悲なのかもしれない。
「そうか……。そういえば、あんたはいつも突飛なことを急に言い出すよな。あの作戦会議のときもそうだった。机を叩き割った上、ボスのところへ行くだなんて、驚いていないヤツはいなかった。……だが、そのおかげで場は収まり、無駄な人間が死ななくて済んだ……」
クリスは静かに目をつむった。硬く握った手のひらを机の上に置き、それからしばらく口を開かなかった。彼は今、自身の体のうちで確かに芽生えつつある何かを感じながら、町の人々のことを考えていた。
そして、人々を救った英雄は、今再び人を救うべく決断を下した──。