第四話 記憶喪失者の帰郷
「……寝つきが良いのは、うらやましい事だ」
即座に眠りについたネモを見下ろし、パンドラは目を細めた。
灰色の瞳で暗闇の中、じぃとネモを凝視する。
静かに腕を持ち上げて、ネモの胸元にキセルを持った手を伸ばす。
キセルがふわりと淡い光を放つ。
温かさを感じさせる暖色の光でネモを照らしながら、パンドラはネモを隅々まで見つめた。
頭の上から足先までを往復し、視線はネモの心臓の上で止まる。
「やはり複数か。十や二十ではきかないな」
闇の中、パンドラの瞳には確かに見えていた。
ネモの胸元で光る、無数の玉の塊が。
※ ※ ※
「おはようございまーす」
身支度を整えて屋根裏から降りてきた俺は、パンドラさんの姿を探す。
「パンドラさーん?」
家の中を探すもパンドラさんの姿は見あたらない。
朝からどっか出かけてンのかな?
取り合えず朝食でも作るかと、これまたパンドラさん作のキンキンに冷えた箱に手を伸ばす。
なんでも魔法によって常に冷たい状態に保たれていて、食物が腐りにくくなっているという。
箱から漂う冷気にぶるりと小さく震える。
食材を選んでいると、不意に背後からギィと小さな音が響くことに気が付いた。
振り返ると、部屋の隅に付けられた扉が僅かに開いている事が分かる。
こんな所に扉があったかと近寄って、取っ手に手を掛けた。
「おぉ……?」
軽く引いて中を覗くと、扉の先には地下に続く階段が続いていて目を見張る。
おぉ、こういうの魔法使いの家っぽいな。
もしかしてパンドラさんはこの先に居るのだろうか?
「パンドラさーん?」
声は階下に吸い込まれ消えていく。
先の見えない暗闇に、ぞくりと背筋に寒気が走る。
けれども好奇心というものは恐怖に勝るもので、俺はそろりそろりと足を進めていた。
階段を一段踏むごとに、ギィギィと音が鳴る。
踏み板が割れやしないかとビビりながら進むと、案外すぐに終わりに着いた。
壁に取り付けられた扉は半開きで光が漏れている。
慎重にそっと押し開けて、目に飛び込んだ光景に俺はアッと声を上げてしまった。
「パンドラさん!?」
扉の先には四方を背の高い本棚に囲まれた、こじんまりとした個室が広がっていた。
本棚に囲まれる様にして、分厚い本や紙の束が積み上がった机が一つ。
机の上の、僅かに空いたスペースに長い脚が乗っている。
踏ん反り返る様にして椅子に座ったパンドラさんが伸ばした脚だ。
俺の声に反応したのか、閉じられていたパンドラさんの目蓋がゆるりと持ち上がる。
「ン……、ああ、君か。おはよう」
「お、おはようゴザイマス」
何事も無かったかのようにパンドラさんが起き上がる。
長い脚が持ち上げられて、スリットの深い部分まで見えそうになって、思わず目を逸らした。朝から刺激が強すぎるのは良くないと思うンすよ、俺。
足を降ろしたパンドラさんは、組んだ両手をグッと高く伸ばして背筋を伸ばす。
「久々に調べものに没頭してしまったな。君のお陰だよ、ネモ」
「え、あ、それは良かった、です?」
「あぁ、良かったとも。朝食の用意は?」
「すぐにしまーす!」
ピッと敬礼のポーズを取って、俺は急いで元来た道を戻る。
どうやらこの地下の個室は、パンドラさんの研究室も兼ねているらしい。
なにか貴重な物とかあったら怖いし、下手に入らんようにしておこう。
急いで冷たい食料保存箱から食材を取り出し、調理を開始する。
パン焼いてベーコン焼いて卵焼いてサラダ用意して。
台に付いた、つまみを捻るだけで火が付く装置のお陰で調理も非常に楽ちんだ。
これ、金持ちに売れば絶対めちゃくちゃ儲かるだろうなァ。
「君はどこか良いご家庭のお抱え料理人なのかもしれないね」
「へへへっ、お褒めにあずかり光栄で~す!」
プレートに盛り付けた朝食をぺろりと食べて、パンドラさんはご機嫌な様子でコーヒーに口を付けていた。
「しかし残念ながらそうでは無い事は明らかだ」
「無いっスかー」
「君の身元が判明したからね」
「身元って! 俺の正体って事っスか!?」
「いや、残念ながら君がどこから来たのかという事だけさ」
カップをテーブルに置いたパンドラさんが、首を縦に振る。
なんでも魔法で作り出した犬に俺の血痕と匂いの残滓を辿らせたところ、森から一番近い村に辿り着いたという。
おぉ! 案外あっさりと俺の正体が判明してしまったな!!
「昨日、話しただろう。森周辺の村が襲撃されたと」
「えっと、じゃあ俺はその襲撃された村の住民で、怪我をしていた?」
「直接確かめた方が早い。早々に家事を終わらせておくように。終わり次第、向かおう」
「うっス!」
村まで行けば、記憶も戻るかもしれない!
残りの仕事を急ぎで終わらせ、まだ日が中天に達する前に俺とパンドラさんは家を出た。
外に出れば、パンドラさんの家が森の中にぽつんと開いた空間に存在している事を知る。
背の高い木々に囲まれて、枝葉の間から差し込む陽射しが頼りなく周囲を照らしている。
響いてくるのは鳥の鳴き声だけで、不気味なほどに静かなものだった。
俺はこの森に倒れていたって話だが、景色に全く見覚えがねぇな……。
先を歩くパンドラさんの後を追ってしばらく。
草木が開けて光が射す、森の終わりが目に見えた。
「着いたな」
立ち止まったパンドラさんが、視線で俺に先を促す。
軽く頷いて足早に先に進む。
村は帝国兵に襲撃されたというくらいだ。
死屍累々。
家屋は破壊され、燃やされているに違いない。
悲惨な光景を覚悟した俺の視界に飛び込んだのは……。
「え……」
――そこには何も無かった。
家屋の面影も、広がっていたであろう畑の面影も、村人の住んでいた痕跡も。
何一つそこには残されてはいなかった。




