第二話 魔法使いとの契約
ウマァーいッ!
香ばしく焼けたパンのサクサク感!
ごろっとした肉と野菜の入ったシチューが空腹に染みる!
「いやぁ! 助けてもらった上にこんなウマい食事まで! あざっす!」
テーブルに並んだ食事に舌鼓を打ちながら、俺はパンドラさんに心の底から感謝した。記憶喪失って事にショックを受けたが、美味いもんが美味いと分かるだけで幸せなもんだ。
「契約料としては安いものさ。遠慮なく食べると良い」
「契約?」
「ああ、君と私のね」
向かいに座ったパンドラさんは、食事を摂る代わりに手にした金の管の先っちょに口を付けた。
パンドラさんが手にしているのは、長く伸びた棒の様なものだった。
唇を付けた先から細く長い管が伸びて、その先端には小さなカップ状のパーツが付いている。カップ状のパーツからふわりと煙が昇る様子から、そこに火のついた何かが入っている事が分かる。
スッ、と息を吸う気配がして、先端から唇を離したパンドラさんが大きく息を吐く。
ゆったりと煙を吐き出すその仕草に、俺は思わず目が釘付けになっていた。
「君には私の召使になってもらう」
「はい?」
パンドラさんの形の良い唇が弧を描く。
蠱惑的な美人の笑みっつーよりも、悪さを思いついた悪人のそれだ。
「私は君の命を助け、食事を与えた。そして君はそれを受け入れた。契約の対価としては申し分ないだろう?」
「えぇ~……。俺、記憶喪失っスよ? そんな素性の分からん奴を雇っていいンすか?」
「構わないよ。素性不明だからこそ、君は良い暇つぶし相手になりそうだ」
パンドラさんは再び管に口を付ける。
うーん、ぶっちゃけ行く当ても無いしパンドラさんの召使になるのは構わんが、あまりにも俺はこの人の事も俺の事も知らなさすぎる。少しくらいは素性を知っておきたい。
いや、まぁ、素性どころか名前も分からん俺が言えたことじゃないが!
「召使は構わないっスけど、その、パンドラさんのご家族の方が良いって言うのかどうか……」
「気を使う必要はない。私一人だからね」
「一人? ここ、森の中なんスよね?」
「そう、ここは迷いの森……と言っても、君には伝わらないか」
おっしゃる通り、俺には迷いの森なんて言葉に覚えがない。
首をひねると、パンドラさんが煙と共に細く長い息を吐きだした。
「この館がある場所は、迷いの森と呼ばれている。ここはその森の最奥。私がひっそりと隠れ住むだけの場所さ」
一人でね。と付け足された言葉に頬を掻く。
どうしてこんな美人が、そんな人気のない場所で暮らしているんだ?
その疑問が顔に出ていたのか。
パンドラさんがフッとシニカルな笑みを浮かべた。
「この場が魔法の実験と研究には丁度良くてね。一人で没頭し続けて今に至るという訳だよ」
「なるほど」
今の会話の中で驚くべきは、魔法という言葉がすんなりと自分の中に入ってきた事だ。
よしよし。
どうやら記憶を失ったとは言え、世界の常識的なものまで忘れた訳じゃあなさそうだ。
パンドラさんの事を知れたので、俺は自分の胸をドンっと叩いた。
叩いた振動で傷が少しだけ傷むが、これくらい許容範囲内だ。
「パンドラさんには命を助けてもらってるし、召使くらい喜んで!」
「では早速、後片付けを頼んでも? あぁ、その前に名前を決めないとね。君を呼ぶのに不便だ」
「あー……、名前かぁ……」
名無しのゴンベーでは流石に不便もあるよなぁ。
名前、俺の名前、なんだったんだろう?
「――ネモ。あぁ、良い響きじゃないか。君は今日からネモを名乗ると良い」
金の管を手にしたまま、考え込んでいたパンドラさんが納得したように頷く。
「ネモ? なんか、可愛らしい響きっスね?」
「君に似合う名だよ。それではネモ、後片付けの後に掃除を頼んだよ」
「うぃース」
どうやらネモで決定した様だ。
今日から俺の名前はネモだ。
うんうん、確かに馴染みやすい良い名前じゃないか?
早速、食器の片づけをしようと席を立つ。
さてさて。一体、俺の家事能力はどれ程のものなのか。
お手並み拝見と行こうじゃないか!
幸いなことに食器洗いも片付けも、大して苦に感じることは無い。
これはきっと、記憶喪失前の俺が家庭的な男だったという証拠になるだろう。
いやぁ、家庭的な男って事で、めっちゃモテてたんじゃねぇのかな!?
てことは今頃、俺の彼女たちが俺を探しているのでは!?
「……ところで昨晩、周辺の村が幾つか襲撃されたそうだ」
なんてくだらない妄想をしながら手を動かしていると、背後からパンドラさんの声が響いた。
「怖ェー。盗賊かなんかっスか?」
「帝国軍による襲撃だそうだ」
「帝国……あぁ、帝国!」
まるで霧が晴れるかのように、帝国が何であるかを明確に思い出す。
巨大な武力によりあっという間に領土を拡大させ、大陸全土の支配も目前かと言うあの帝国!
一つ思い出せば次々に繋がっていき、あっという間に大陸の地図が脳裏に描かれる。
「ここら辺ってすげぇ辺鄙な場所っすよね? なんでわざわざ?」
振り返ると、パンドラさんの手の平には小さな銀の器の様なものが握られていた。
深さのあるそこに向けて、パンドラさんが金の筒を近づける。
ひっくり返された先端が、カンッと小気味良い音を立てて叩きつけられた。
「さて。その話はまた今度にしよう。終わった後は好きにするといい。ただし、遠くには行かない様に」
「へーい」
これ以上その話をする気はないのだと理解して、俺も素直に話を切り上げる。
召使デビュー戦だ。しっかり働こう。




