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第十三話 兄と妹

 鬱蒼とした森を抜け、背の高い木々の間から村へ出る。

 変わらず人の気配は無く、辺りはしんと静まり返っていた。


 慎重に周囲を見渡しながら散策をする。

 更地になったそこらかしこに雑草だけが生えている。

 この光景を、もしも記憶がある状態で見たとしても故郷とは思えないんじゃないだろうか……。そんな不安が脳裏を過った。


 かろうじて残る焼けた家屋の残骸を眺めながら、ゆっくりと歩を進める。

 代り映えの無い光景が続く中、不意に足が止まった。

 焼け落ちて、原形を留めない家屋の跡。

 俺の足はその場に縫い付けられたかのように止まってしまった。


 何の感慨も湧かないまま、ただぼうっと立ち尽くしている。

 雨粒が地面を叩く音だけが木霊する中、小さく水たまりを蹴る音を聞いた。


 ハッとして顔を上げ、音が鳴る方を向く。

 視線の先、くすぶる雨の中、見知らぬ女性が立っていた。

 深く被ったフードで顔は見えない。

 重ね着をしているが、小柄で細身である事は分かる。

 そのシルエットは女性と呼ぶよりも、まだ少女と呼ぶべき年齢なのかもしれない。



「……兄さん?」



 鈴を転がすような声を響かせて、少女が一歩前へ出る。

 俺は戸惑いながら、被っていたフードを降ろした。


「やっぱり! 兄さん! 良かった! 無事だったんだね!」


 わっと声を上げて、少女はフードが脱げるのもお構いなしに俺に向かって駆けてきた。脱げたフードの中から、頭上でひとくくりにされた赤味がかった茶色い髪が露わになる。


 涙と笑顔を同居させる顔には見覚えが無い。

 けれども喜びを全身で表すその姿は、胸に来るものがあった。


「探したんだよ、兄さん! 村が襲撃されたと聞いてから、ずっと……!」


 少女の言葉に何も返すことが出来ない。

 兄さん? 俺が? 君の?


「あっ、怪我はない? 今までどこに隠れてたの?」


 髪の色と似た色の瞳が俺を見上げてくる。

 潤んだ瞳は歓喜に溢れていて、彼女が嘘を言っているとは言い難い。


 本当に俺は、この子の兄、ということなのか……?

 妹である少女を前にしても、何も思い出せないこの俺が?


「兄さん? どうしたの、さっきからずっと黙って。どこか怪我してるの……?」


「あ、いや、違うんだ……その、俺、は」


「俺……?」


 戸惑う俺に、目の前の少女は怪訝な顔を浮かべる。

 何かがおかしいと、この時ようやく感じたのだろう。


 事情を説明しなくては。

 そう思って口を開こうとした、刹那。

 俺は真正面を向いて動きを止めた。


 呆けた様に自分の向こう側を見つめる俺を怪訝に思ったのか、少女もまた振り返る。


「ひっ! なっ、なに、あれ……っ!?」


 ぶるりと体を大きく震わせて、少女は恐怖に声を荒げた。



 視線の先には、やけに毛深い中肉中背の男が立っていた。

 数にして、十体くらいだろうか。

 その頭部は猪のもので、被り物の類では無い事は生気の通う生々しい地肌を見れば一目瞭然だった。

 アレは人では無い。

 魔物だ。

 手には鉄でできた刺々しい棍棒が握られている。

 棍棒は血に濡れていて、ざわりと背筋が震えた。



「まずいよ、兄さん! なんかあれ、変だよ! 逃げよう!?」


 少女が俺の袖を掴んで引っ張るが、俺の足は地に根が張ったように動かない。

 真正面の魔物も俺達に気が付いたのか、棍棒を高く掲げて駆けてくる。

 青褪めた顔をした少女を背に庇い、俺は手を真正面に伸ばした。


 すっかり体に馴染んだ無属性の魔法が、魔物を一瞬で消し去る。

 取り残された幾つかの棍棒だけがカランと音を立てて地に転がり、それで終わりだった。


「兄さん……? あなた、シリウス兄さんだよね……?」


 震える声を上げながら、少女が一歩二歩と後退る。

 怯えと戸惑いが浮かぶ顔つきを見つめながら、俺は初めて耳にしたシリウスと言う名を噛み締める。

 無味無臭のそれは、俺のものでは無い。

 酷く悲しい確信めいたものが、はっきりとした輪郭を持って浮かび上がる。


「……悪い。記憶喪失なんだ。何も覚えてない。君の事も、家族の事も、自分自身の事も全部だ」


「そんな……」


「帝国軍の襲撃から逃げて、森の中で倒れたところをある人に救われたんだ。もうその時には記憶が無かった。俺がこの村の出身者だって事は分かったけど、何も思い出せないまま今日に至ってる」


「本当に……何も思い出せないの? 私の事も? 父さんや、母さんの事も?」


「あぁ、何も。ごめん、本当に、何も……」


「謝らないで。兄さんは悪くない。兄さんは、余程のショックを受けたんだよ……」


 沈痛な面持ちを浮かべて、少女が俯く。

 ようやく再会できた兄が記憶喪失となれば、落ち込まない訳が無い。


「兄さん……。私は、あなたの妹のラナ。私こそ……村に戻るのが遅くてごめんね……」


「……ッ」



 その名前を耳にして、心臓が激しく脈打つ。


 ぐわんぐわんと激しく脳が揺さぶられ、その場でたたらを踏んでしまう。


 雪崩れ込むような激情の前に、激しい頭痛を覚えた。



「うぁあ……ラナ……、ラナ……っ!」


 勝手に流れてくる涙を拭う事すら出来ずに、ただただ妹の名前を口にする。


「兄さん!? どうしたのっ、大丈夫!?」


 慌てた様子でラナが俺に寄り添い、背中を優しく撫でてくる。

 その手の平の温かさに涙が止めどなく溢れ、俺の口からは嗚咽が溢れた。


 これは俺の意志じゃない。

 妹との再会を心の底から喜び、安堵する兄シリウスの意志だ。

 だからこそハッキリと理解できた。


 俺は、シリウスではないんだ。


「悪ぃ……。大丈夫、本当に、大丈夫なんだ」


 どうにか呼吸を整えて、涙を手の甲で乱暴に拭う。

 戸惑いながら身を離すラナは、今もまだ不安げな顔を浮かべていた。


「ラナは……今まで、どこか出てたのか?」


「うん。魔法の修業で遠方まで。その間にこんなことになって……戻ってくるのにも時間が掛かっちゃった……」


「そっか。じゃあ、そのお陰でラナは巻き込まれないで済んだんだな」


 ラナが巻き込まれなくて良かったと素直に思う。

 自然と湧いた安堵に胸の内が軽くなる。


「うん、でも兄さんが……村の皆がこんなことになって……私一人だけ無事なんて……!」


 ホッとしたのも束の間、精神的な苦痛に顔を歪め、ラナは顔を俯かせてしまった。

 どうかそんな事を思わないで欲しい。

 君が無事である事だけが、『()』の願いだったのだから。


「そんな事、思わなくて良い。ラナが無事なら良いんだ」


 今度は俺はラナの背中を優しく撫でる。

 自然と口を吐いて出た言葉に、俺は自分でも驚いた。


「兄さん……ありがとう。記憶が無くても、やっぱり兄さんは兄さんだよ」


 顔を上げたラナは、泣き顔でにっこりと笑った。

 その表情に俺は胸に鈍い痛みを感じていたのだった。


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