第一話 記憶喪失の男
――どうして、こんなことになってしまったんだ!
悪夢の様な光景が作られたのは、本当に突然の事だった。
片田舎にある僕の住む村は、大陸の支配を企む帝国の軍勢によって蹂躙された。
村人が寝静まった夜に行われた襲撃は、一瞬で村を混沌の渦に叩きこむ。
燃やされ、壊され、殺されて。
自分の住む村が破壊されていく光景に、僕は激しい嫌悪感と恐怖を抱いた。
剣が振り下ろされ、老若男女関係なく斬り殺されていく。
月明かりの中、帝国兵の着込んだ漆黒の鎧と血濡れの剣が照らし出されていた。
このまま此処にいたら殺されてしまう!
脳裏に過ったのは、村を離れて暮らす妹の姿だった。
両親を亡くした僕にとって、家族と言えるのは妹だけだ。
まだ成人前の妹を残して死ぬわけにはいかない……!
その一心だけで、僕は崩壊する村から走って逃げだした。
燃え盛る炎の反射を受けて、赤く光る森の中へ。
迷いの森と言われるいわくつきの森だけど、そんな事を気にしている場合じゃない。
悪夢から逃げる様に走り続けるも、帝国兵は僕を逃がしてはくれなかった……。
足を縺れさせながら逃げる僕にあっという間に追いついた帝国兵の影が、僕の頭上を覆う。
ブォン、と何かが音を立てて振り下ろされる気配を感じた。
それが剣であったと理解したのは、背中に猛烈な痛みが走った直後の事だった。
「ア゛、アぁぁぁッッ!」
痛い、痛い、痛い……!
斬られた箇所が焼けた様に熱くて、ジンジンと激しく痛む!
体から力が抜けて、立っていられない……!
「ラナ……、ラナ……っ!」
勝手に流れてくる涙を拭う事すら出来ずに、ただただ妹の名前を口にする。
ドンッと胸に鋭い痛みを伴う衝撃が走る。
僕の目が勝手に大きく見開かれて、口の中から血が溢れ出。
終わりを理解する暇も無く、僕の意識は。
ブチッ……。
……。
――カチッ。
頭の中で、何かが切り替わる様な音を聞いた。
あぁ、チクショウ。
目の前が暗い。体が重い。痛い。寒い。チクショウ。
誰か灯りをつけてくれ。
真っ暗過ぎて、どこを歩いているのかも分からないじゃないか。
そもそも足を動かせているかも分からない。歩けてンのか、俺?
「面白いな。その状態で歩き、結界内まで入ってくるとは」
前の方から声が響いた。
少し低めの、聞いた事が無い女の声だ。
誰だ? そう聞きたくても、唇が動きやしない。
喉もひりひりと張り付いた様に痛くて、そう言えば碌に呼吸も出来やしないぞ。
「蘇生魔法の類の気配も無し。君、ゴーレムか? いや、それにしては血が生々しいな」
知らねぇよ……!
なんだこの女、おっかねぇ。
くそっ、ただでさえ調子がおかしいってのに、こんな変な女の相手なんて……。
「ああ、動かない方が良い。私が運ぼう」
突然、全身から力が抜けた。
ぐらりと足元が揺らいで、立っていられなくなる。
ふわりとした浮遊感に包まれたと思った次の瞬間、意識がぷつりと途絶えて消えた。
滲む視界に見知らぬ天井が映し出される。
二、三度瞬きすると、鈍い頭痛に襲われて唸るような低い声が漏れた。
「おはよう。良く眠れたようだね」
ぬっ、と視界一杯に女の顔が広がる。
心臓が大きく跳ね上がり、思わず叫び声を上げてしまった。
「うおぁっ! だっ、誰だよっ!?」
「元気そうで何よりだが、命の恩人に向かって随分と不躾じゃないか?」
「命の、恩人……?」
身を乗り出して、俺の顔を覗き込んでいた女が離れる。
恐る恐る身を起こしながら、女の全身を見た。
全身真っ黒な女だった。
腰まで伸びた艶やかな黒髪に、体のラインを強調するように張り付いた黒地のドレス。スリットから覗く足はすらりと長く伸び、黒のハイヒールに包まれた足先までが美しい。
血色が悪いと思う程に色白な肌が、余計に女の黒さを際立たせていた。
視線を上げて顔を見れば、整った顔立ちに埋め込まれた灰色の瞳が目に付く。
少したれ目気味の瞳と、口元の黒子が色っぽいと素直に思う。
年齢は、二十五、二十六と言ったところだろうか。
……その姿に見覚えは、やっぱりなかった。
「君は私の館の近くで倒れていてね。中まで運ばせてもらったよ。森に放り出す訳にもいくまい?」
「館、森……」
「凄まじい傷だったよ。背中に大きな切り傷、そして胸には穿たれた傷。出血は致死量で死んでいるかと思ったが、存外君は逞しいのだね」
言われて自分の体を確認する。
上半身全てが包帯に覆われている事に今更気が付いて、気恥ずかしさが込み上げる。
ズキズキと痛むと思ったら、そんな大怪我をしていたのか……!
「す、すみません。助けてくれて、ありがとうゴザイマス……」
知らなかったとはいえ、命の恩人に対して随分と失礼な態度を取ってしまった。
「気にしなくて良いさ。意識が無いも同然で、前後のやり取りも覚えていまい? 私はパンドラ。君は?」
「あっ、俺は、……俺は?」
ン? ンンン?
待ってくれ。おかしいぞ。
俺は、誰だ――!?
「あっ、あれ!? 俺、誰だ!? 嘘だろ!? 名前っ、名前が出ない! つーかっ、何も思い出せねぇっ!」
名前はおろか、自分の顔すら思い出せないんだが――!?
「記憶喪失だな」
「そんな冷静に言われましても!」
「なに、良くあることだ。気にする事じゃない」
「記憶喪失ってよくある事なの!?」
顔色一つ変えず、パンドラさんはサイドテーブルの上から手鏡を取って寄越した。差し出された手鏡を受け取って覗き込むと、そこには平平凡凡とした男の顔が映っていた。
極端に崩れてもいなければ、極端に整っているという訳では無い顔。
深い海を連想させる蒼い瞳だけは特徴的かもしれない。
軽く伸びた茶色の髪は、何だか自分に似合っていない様な気がしてむず痒い。
むしろ思い切り掻き上げて、額を出した方が合うな。
「……これ、俺、なんスよね……?」
「鏡に映っているのは、少なくとも私から見た君と同一の顔だよ」
という事は、間違いなくこの顔は俺の顔なのだろう。
何とも不思議な感覚だ。
現実と認識が噛み合わない。気持ちが悪ィな……。
「さて、確認も済んだ事だ。食事にするとしよう」
伸びてきたパンドラさんの手によって、鏡が遠ざかっていく。
俺はパンドラさんに向かってぺこりと頷いて、漸くベッドから這い出たのだった。
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