第6話 侍女としての一日
「先日故郷の事情で、辞めた侍女がいてな。ここを使ってくれ」
「……」
私には一室が与えられた。
ベッドや絨毯はもちろん、くつろぐためのテーブルと椅子、本棚には本もたくさん入っており、私には過ぎた部屋だ。なんだか遠慮してしまう。
「私にはもったいない部屋です」
「なぜだ?」
「私みたいな貧相な女に……」
「じゃあもし、君がここの侍女になったとして、自分以上に貧相な女が来たら『あんな女に部屋なんかもったいない』って言うのか?」
そう言われると、こう返すしかない。
「言わない……と思います」
「そういうことだ。だから遠慮しないでくれ」
「分かりました……」
ジェラルド様は椅子に座り、私も椅子に座る。
「せっかくだし、色々と聞かせてもらおうかな」
「はい……」
「私はジェラルド・レクスという。君は?」
わざわざ名乗ってから名前を聞いてきた。律儀な方だわ。
「私はニーシャ・アンフェル、です」
「アンフェル? ムゾン公爵のご令嬢だったのか」
「そうです。といっても実の娘じゃありませんが……」
「どういうことだ?」
「全て……お話しします」
私は何もかもを打ち明けた。
自分は帝国のヘドロ川に捨てられ、ムゾンに拾われたこと。
拾われてからは地下室に閉じ込められ、毎日毒を食べさせられたこと。
毒を操れるよう命じられたこと、猛獣と殺し合いをさせられたこと。
教育を受けさせてもらえたことも話した。悪い事ばかり話すのはフェアじゃないと思ったから。
この間、ジェラルド様は表情も変えずに私の話を聞いていた。
そして、もちろん皇帝暗殺を命令されたことも――
仮にも育ての親に対して、立派な裏切りである。だけど罪悪感はなかった。ムゾンに拾われてから、楽しいことより苦しいことの方がずっと多かったもの。
「これでムゾンを逮捕できるのでは?」私は聞いた。
「無理だな」
ジェラルド様は即答する。
「なぜです? 私という証人がいるのに!」
「君は娘といっても、おそらく戸籍登録などはされてないはずだ」
それはそうだと思う。あの男がそんなことをしてるとは思えない。
「君の証言だけでは、奴を追い詰めることは不可能だ。私は即位してから日が浅く、さほど後ろ盾もないし、一方ムゾン卿は確固たる権力を有している」
「そんな……」
私が全てバラしても、ムゾンを追い詰められないなんて。
「それじゃあ、あなたはまた狙われてしまうかもしれない!」
「かもしれないな。まあ、それを心配するのは私たちの仕事だからな。君が気にすることはない」
「はい……」
「それじゃ、今夜はおやすみ。色々あって疲れただろうし」
「はい……」
はいとしか言えない。
本当に色々あった。ありすぎた。
はじめての夜会に出て、皇帝暗殺を目論んで、その皇帝に侍女になれと言われて――なってしまった。
想像すらしなかった事態になっている。
私は着替えもせず、そのままベッドに入った。
そういえばこんな風にベッドで寝るのは初めてかもしれない。
初めて尽くしの今日だったが、初めてのベッドの感触はとてもぬくぬくして心地よかった。
***
次の日、私は目を覚ました。
こんなにぐっすり眠れたのも、生まれて初めてだったかも。
テーブルの上にいつの間に置かれたのか、侍女としての制服が用意されている。
毒を最小限に抑え、さっそく着てみる。
白を基調としたエプロンとスカート、なかなか可愛らしいデザインだ。
ちょっとはしゃぎたい気持ちになってしまう。
「うふふ、私も侍女ってわけね」
すると――
「なかなかよく似合っているぞ」
「ジェ、ジェラルド様!?」
いつの間にかいらっしゃった。
「一緒に朝食にしよう」
ジェラルド様がにっこり笑う。
「いいんですか? 私は侍女なのに、皇帝陛下と食事だなんて……」
「便宜上、侍女になってもらったが、客人のようなものだ。だから、あまり気にしないでくれ」
「はい……」
実際のところ、毒まみれの私には侍女らしいことはできない。料理をすれば毒料理になってしまうし、家具に触れば傷んでしまう。身の回りのお世話もしない方がいい。
少し寂しいが、ここはわきまえることにした。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます」
食堂で、ジェラルド様と二人きりになる。
テーブルの上には豪華な食事が並べられている。
「さ、好きなように食べてくれ」
「いただきます……」
パンとスープ、サラダ、さらにはお魚のムニエルまで並んでいる。
食器の使い方ぐらいは心得ているが、どんな順番で食べていいか分からない。
「好きなように食べればいいんだ。私もそうするから」
私の心を読んだかのように、ジェラルド様が微笑んだ。
「そ、そうします!」
私はパンから食べることにした。手に取って、そのままかじる。
口の中にふんわりとした触感とほのかな甘みが広がる。
「お、美味しい……!」
私は思わずこう漏らしていた。むしゃむしゃとパンだけを食べ続けてしまう。
次にスープを飲む。
体にずしんときた。液体なのに、スープに使われた具材が体に染み渡るような濃厚な味。
ほわぁ、と変な声が出てしまい、慌てて口を閉じる。
サラダを食べる。
シャキシャキとした歯ごたえがたまらない。ずっと噛んでいたい。いつも食べていた毒草たちとはまるで違うわ。
メインディッシュであるムニエルを食べる。
言葉にできないぐらい、本当に美味しい。
フォークを使ってあっという間に平らげてしまった。
手を付けたメニューからどんどん空にする状態になってる。
グラスに注がれたジュースを飲む。
なんて甘さなのかしら。
まるで天国に来てしまったよう。
どれもこれも美味しくて、私は思わず――
「……!? どうした、ニーシャ」
「いえ……ごめんなさい」
私は涙を流してしまっていた。
「あまりにも美味しくて……」
ジェラルド様は口元を緩ませる。
「後でシェフに伝えておくよ。きっと喜ぶ」
「はい!」
程なくして朝食が終わる。
「ニーシャ、体は大丈夫か? 毒ばかり食べていたと聞いていたから、普通の食事がかえって毒になるかもしれないとも懸念したが……」
「ええ、平気です」
私の中でさっきの食事が血肉になっていくのが分かる。
私は毒に適応しているが、普通の食事もまた食せるようだ。
「それを聞いてほっとした。では私は執務に移るから、君はくつろいでいてくれ」
「はい……」
私は自室に戻る。
毒にまみれた体質上、あちこちを出歩くわけにもいかず、読書をして過ごす。
昼食は運んできてもらえたので、一人で食べた。
夕方になり、私は宮廷内を歩く。
執務室の方に向かうと、まだ扉は閉じられていた。
朝から晩までずっと仕事なんだ……どんなことをしているかは分からないけど、皇帝って大変なんだなと私は思った。一日中ずっと美女をはべらせてるのかな、なんて思ってたもの。
夜更けになり、ようやくジェラルド様が執務室から出てくる。
私は一人になったところを見計らって話しかけた。
「ジェラルド様!」
「ニーシャか。夕食は済ませたのか?」
「いえ、まだです……」
ジェラルド様が訝しむ顔つきになる。
「どうして? もうすっかり日も暮れたのに……」
私は答えようとする。自分の顔がほのかに赤くなっているのが分かった。
「ジェラルド様と……一緒に食べたかったので」
私がこう言うとジェラルド様はフッと笑った。
「光栄だな。じゃあ一緒に食べよう」
「はいっ!」
朝と同じく、私はジェラルド様と夕食を共にした。
料理はとても美味しく、そしてとても幸せなひと時だった。
私の侍女としての初めての一日はこうして終わりを告げた。