第5話 皇帝陛下の温かい手
「何を言ってるの……?」
私は皇帝に言葉を返す。
「何度も言わせるなよ。握手をしよう」
「なんでよ!?」
「私は面白いと思った人間とは、必ず握手をすることにしてるんだ。ぜひお前と握手をしたい」
「私はあなたの命を狙ってるのよ」
「そんなことは問題じゃないさ」
皇帝は笑顔だ。嘘を言ったり、何か策を弄してる様子もない。本当に握手したがってる。
「私に触ったら……死ぬわよ!」
「え?」
私は何を言ってるんだろう。
「私はね、毒を宿した女なの! 本当よ! あなたなんかちょっと触れただけで殺せるんだから! だからこうして殺しに来たの!」
「なるほど。じゃあ握手しよう」
「話聞いてた!?」
つい声を荒げてしまう。
「もちろん聞いてた」
「だったらなんで握手するの!?」
「実は皇帝というのも毒物を警戒して、幼い頃から毒に対する耐性をつけるために訓練をしてるんだ。だから耐えられるかもと思ってさ」
見積もりが甘すぎる。私は食事に混ぜる毒だとか、そんな生易しい毒じゃない。なにしろ十数年、ずっと毒だけを食べて生きてきたんだもの。年季が違う。
「無理よ……死ぬわ」
「その時はその時だ」
「なんで!? あなたは皇帝でしょ!? 自殺するようなことしていいと思ってるの!?」
殺そうとしている相手に説教までしてしまう。
「よくないが、私は皇帝だ。自国の国民と握手もできないで、なにが皇帝だ?」
妙な迫力がある言葉だった。
「さあ、握手しよう」
私は――握手することに決めた。
ただし、毒を最小限に抑えた状態で。
だって、殺せるわけがない。
生まれて初めて、私の素性と毒性を知りつつそれでも「握手しよう」と言ってくれた人間を――
皇帝の手は温かった。
「本当だ、手がかぶれてきた」
私の手がじゅくじゅくと皇帝の手を侵食する。
なのに、皇帝は私の手を離さない。ずっと握ってくれている。なんなのこの人、頭がおかしいの?
なのに、どうしてなの。
私の目からは――涙が止まらない。
「うっ、ううっ……うっ……!」
私の涙は強い毒性を持つ。
床に落ちるたび、ジュワッと音を立てる。
先ほどまでは暗殺者気取りだった私だが、すっかり殺意は消え失せていた。
それどころか握手してもらえたことが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「握手をして、『感激です』なんて言われたことはあったが、さすがに泣かれるのは初めてだな。皇帝冥利に尽きるよ」
皇帝がおどけてみせる。
一方、私は観念した。
「私は……あなたを殺しに来ました」
「さっきも聞いたな、それ」
「だけど、もう……殺せません。どうか、私を……殺して下さい」
皇帝は剣を携えている。剣の心得もありそうだ。無抵抗の私の首を斬るなど造作もないことだろう。
しかし、皇帝は私の言葉など聞こえていないといった素振りで床を見る。
「涙で、床がえぐれてる。本当に毒人間なんだな」
皇帝が何やら考え込む。そして、言った。
「そうだお前、私の侍女にならないか?」
「へ?」
私は素っ頓狂な声を上げてしまう。この人は何を言ってるんだろう。
「侍女というのは、誰かに仕えて身の回りの世話をする女性のことで……」
「それぐらい知ってます! なんで私なんかを……」
「毒人間なんて面白いし、しばらく傍に置くのも悪くない、と思ってさ」
「ちょっと待って下さい! 私はあなたを殺そうとして……!」
「しかし、殺せなくなったんだろう?」
「それはそうですけど……」
「だったら侍女になれ。別に何かを求めるわけじゃない。国で一番偉い人間が面白がって、せっかくだから宮殿暮らしをしろと言ってるだけだ。気楽だろう?」
「はい……」
いつの間にか皇帝のペースに乗せられている私がいる。
「決まりだな。今からお前……いや、君は私の侍女だ。よろしく頼む」
「はい……!」
この瞬間から、私にとって皇帝は“ジェラルド様”になった。