第3話 皇帝暗殺を命じられる
私は相変わらず地下室に閉じ込められていた。
毒薬を食べ、毒を操る訓練をし、時々けしかけられる猛獣を倒す。その繰り返し。
そんなある日のことだった。
ムゾンが久しぶりに地下室に訪れる。彼も私の間合いのようなものは知っており、決して近づいてはこない。
一応この男は私の父親だが、今まで一度も私に触れたことはない。とんだ父親がいたものよね。
「ニーシャ、お前に仕事を頼みたい。まず、これを着ろ」
床に衣服が置かれる。紫色のドレスだった。
今まで私に与えられていたのは白い布切れのような服だけ。何か魂胆があるのは分かっていてもやはり嬉しい。
私はいそいそと着替える。
「よく似合っているぞ」
ムゾンが心にもないこと言う。
「どうも」
私も答える。
「で、お仕事って?」
「お前には皇帝を暗殺してもらう」
「皇帝……」
さすがに少し驚いた。
ずっと地下室にいたとはいえ、私も教育は受けたから皇帝のことは知っている。
私がいる国はレグロア帝国といって、皇帝が統治する国家だ。
つまりムゾンは国で一番偉い人を私に殺せと言っているのだ。
「今度帝国宮廷で大規模な夜会が開かれる。そこには皇帝も出席する予定だ。お前も貴族の令嬢として出席してもらう。当然、ボディチェックなどはされるが、お前には一本のナイフも必要ないから問題ない」
そりゃそうね。剣やナイフより、素手の方がよっぽど武器になる。私が毒を最大に発揮して触ることができれば、おそらく死なない生物はいない。
「そしてお前は皇帝が少数の護衛だけで動いているところを見計らって、奴を殺せ」
ずいぶん大雑把な作戦だわ。
だけど細かな作戦なんて立てたところでいくらでも予定外のことは起きるだろうし、なにより私にはこんな作戦を実行できる能力がある。皇帝に触りさえすればいいのだから。
しかし、この作戦には決定的に欠けているものがある。それは暗殺後の私のこと。
「皇帝を殺した後、私はどうやって逃げればいいの?」
一応聞いてみる。
「逃げる? 野暮なことを聞くな」
こういう返事が来ることは分かっていた。
この作戦に私の逃走なんて含まれていない。皇帝を殺した後は私が殺されて、それで終わり。
つまり、私は捨て駒だということ。
「こんな時のためにお前を育てていたんだ。せいぜい恩返ししてくれ」
ムゾンが冷たく笑う。
こんな時のために、というのは大嘘だろう。この男は珍獣でも飼うつもりで私を娘にしたに違いない。毒薬を食事にしたり、猛獣と戦わせたりして面白がってただけだ。
それで、ちょうどいい使い道を思いついたから私を捨て駒にしようとしているに過ぎない。
しかし、私も別にムゾンに逆らうつもりはなかった。皇帝暗殺という役目を与えられたんだし、それを全うするのも悪くないと思った。多分私は皇帝を殺した後に、衛兵だとかに殺されるんだろうけど、この世に未練はないし。
だから私はこう答えた。
「分かったわ、お父様。期待に応えてみせます」
ムゾンは満足そうに微笑んだ。
「お前のような娘を持って、父として誇りに思うよ」
心にもないことを。せいぜい「飼い主として」とぐらいしか思ってないくせに。
だけど、こんな男でも一応は父だし、育ての親。命令ぐらいは聞いてやろうと決めた。
夜会のスケジュールはだいたいこんな感じらしい。
まず、貴族の男性と女性が自由に誘い合って、踊ったりする。軽食も用意されている。
その後、皇帝がやってきてみんなの前で挨拶をする。
皇帝も談笑に混ざり、おそらく夜会が終わる前に中座する。
私が皇帝を殺すとしたら、中座した時だろう。多少の護衛は連れてるだろうけど、自信はある。
毒にまみれた人生、皇帝を殺してピリオドというのも悪くない。
そんな思いが芽生え始めていた。
***
夜会当日。
私はドレスに着替える。
普通の令嬢なら専門のスタッフなんかに着付けや化粧をしてもらえるところだけど、猛毒兵器の私がそんなことしてもらえるはずもない。自分でやらないと。
手鏡で自分の姿を見る。
髪の毛。元は黒髪だったんだろうけど毒のせいか紫がかってる。艶もほとんどないわ。肌は色白、といえば聞こえはいいけど青白い。長年毒ばかり食べてたから、血色が悪いのも当然だわ。その気になれば体内の毒を操って、黒くすることもできるけど。栄養どころか毒を食べて生きてたから体つきも貧相だ。なんだかため息が出てくる。
これじゃ夜会じゃ誰にも相手にされないだろう。だからこそ自由に動けるのだけど。
さっさと皇帝を殺して、さっさと殺されよう。
出かける間際、ムゾンが声をかけてきた。
「初めての夜会、楽しんできたまえ」
「ええ」
ムゾンに拾われて以来、初めて外に出た。
夜会には馬車で向かう。なるべく毒は抑えているが、備え付けのシートに座ると、ほんの少し腐食させてしまった。
初めて乗る馬車は快適で、ちょっと楽しかったわ。
やがて馬車は帝国の宮廷に到着する。
美しくて、大きな建物だ。屋根には国旗が掲げられ、翼を広げた炎の鳥の図柄が勇ましい。こんなところに私みたいな毒まみれの女が入っていって、しかも皇帝を殺すことになるのね。なんだか夢みたい。ただし悪夢の方だけど。
周囲にも参加者の貴女や貴公子がいる。みんな私と違って華やかな綺麗。とりあえずドレスを着てきましたって感じの私とは大違いだわ。ちょっと恥ずかしくなる。自分の中にそんな感情があることにも驚く。
宮廷内のホールに向かう。
さあて、最初で最後の夜会、大いに楽しませてもらいますか。