第18話 国境は戦場となりて嵐が吹き荒れる
王のいるテントの中に入る。
中は広かった。テーブルや、その上にはボードゲームまで用意してある。
飾りつけも豪華で、ちょっとした宮殿みたいだ。
とても戦争を仕掛けようという人間のテントとは思えない。
「余はイブル王国国王アゴン・イグナスである。さあ、来るがいい」
アゴン王に呼ばれ、私は近づいていく。
もう五歩歩いたら、毒ガスを撒く。
私は体内の毒を操作し始める。
「おっと、皆の者マスクをするように」
「え……!?」
アゴン王はもちろん、護衛たちがマスクを被る。
これでは毒ガスは通じない。
私は愕然とする。
「君のその見た目……君のことはムゾン殿から聞いているよ。ニーシャ……だったかな」
「えっ……!」
心臓がドクンと揺れた。
「汚水まみれのヘドロのような川で、毒に愛された少女を拾ったと」
あんな昔からすでに繋がっていたなんて。
「いくら毒を食べさせても死なないとか、気持ち悪いが何かの役に立つかもしれないとか、嬉々として話してたな。君も趣味が悪いなと言ったら、全くですと笑っていたよ」
「……」
今更ショックはない。
あいつはそういう奴だって分かってたから。
問題は、私の正体がバレていることだ。
「先日ムゾン殿が失脚したことは知っている。そして、彼に拾われた君がこうして余の前に現れた。おかげでだいたいのことが分かったよ」
一体何が分かったっていうの。
心臓がドキドキする。
「まず君は皇帝ジェラルドに保護されたようだな。それに恩義を感じている。いや、あるいはそれ以上の感情を抱いているのかも……」
当たっている。どうにか顔に出さないようにする。
「君の助力でムゾン殿は失脚、しかしムゾン殿が我が国と繋がっていることが判明した。だが、レグロアの若き皇帝にまだ一国全体をまとめられる統率力はない。そこで自国の危機を察した君は、単身余のもとまで乗り込んできた……というところか」
なにもかも当たっている。
恐ろしい。
多分、先ほどの兵士から報告を受けた時点で、全て察していたんだ。
「つまり、今レグロアに攻め込めば、間違いなく勝てる。君がわざわざ答え合わせをしてくれたのだ」
まずいことになった。
私が来たことで、「レグロアはまとまっていない」ということを教えてしまったようなものだ。
この私がレグロアにとっての“毒”になってしまうなんて。
こうなったら――
「うああああっ!」
私は毒を放出させようとする。
「捕らえろ!」
アゴン王が指を鳴らす。
「うぐっ!」
捕縛用の武器、マンキャッチャーで私は捕らえられてしまう。
長い棒の先端にUの字の金属がついたような武器で、返しもついており、これで押さえつけられたら身動きできない。
最初から準備していたんだわ。
「くっ!」
拘束されてしまえば、私なんか薄汚い小娘に過ぎない。
「ありがとう、ニーシャとやら。おかげで我が国の勝利を確信できた。レグロアは強大な兵力を持っているが、統率されていないのであれば怖くない。戦争というのは所詮“頭”で決まるからな」
頭というのは知略という意味はもちろん、“君主”という意味もあるのだろう。
どんなに強大な兵力も、優れた君主がまとめられなければ負けてしまう。
アゴン王がニヤリと笑う。勝利を確信している。
「明日にでも侵攻を始めてやる。帝都まで一気にな」
ジェラルド様たちはまだ侵攻までは間があると思っている。
今攻められたら終わりだ。
「とりあえず、君のことは拷問させてもらおう。明日までに知ってることを洗いざらい吐いてもらう。そうすればさらに我が国が有利になるからな」
「あうぅ、ああ……!」
震えが止まらない。
苦痛なんて慣れっこのはずなのに。
なにもかも暴かれ、これからどんな目にあわされるのか、それを考えると体の芯から震え上がってしまう自分がいた。
自分の意志でここまで来たのに、情けない。
つい、祈ってしまう。
神様、助けて。
いや、ジェラルド様、助けて――と。
その時だった。
「陛下、大変です!」
兵士がテントの中に飛び込んできた。
かなり焦ってる様子だ。
「なんだ。騒々しいぞ」
アゴン王は落ち着いた態度で答える。
「レグロア軍が攻めてきました!」
「……なんだとぉ!?」
私も驚いた。
「それも怒涛の勢いです! 大軍が津波のように押し寄せてきます!」
「大軍!? ……どうなっている!? ジェラルドに全軍を率いれるような力はないはず!」
ジェラルド様が軍を動かしたらしい。
敵が戦争を仕掛けようという矢先の絶妙なタイミングだった。
一体どういうことなの? 私にも分からない。
まもなくイブルの陣地に軍がなだれ込んでくる。
翼を広げた炎の鳥を描いた、レグロアの国旗が私の目にも飛び込んできた。
イブルの兵士たちは大混乱に陥る。
先制して圧勝するはずだった戦争が、後手に回って遅れを取っている。
「うぎゃあっ!」
「ぐえっ……」
「うわああっ……!」
悲鳴が上がる。
戦争なんて初めて見るけど、レグロア軍が優勢なのが分かる。
さすがのアゴン王も取り乱している。
兵士たちは浮き足立ち、私もいつの間にか解放されている。この隙を逃さず、私はテントから飛び出す。
「ニーシャ! ニーシャはどこだ!?」
ジェラルド様の声だ!
私はすぐに叫んだ。
「ここです!」
白馬に跨ったジェラルド様がやってきた。いつもの皇帝用の白い装束とは違い、銀色の鎧を着ている。
私を見るなり、いつもの優しい笑顔を見せてくれた。
「よかった、無事だったか!」
「はい……!」
「少し待っててくれ。すぐにこいつらを帝国から叩き出す!」
ジェラルド様が剣を掲げ、号令をかける。
レグロアの兵士たちは勇ましく応じ、イブルの兵に攻撃を加える。
私の元に、ケイティがやってきた。
親衛隊として彼女も戦っているようだ。
格好は修道服だが、さすがに胸当てなどの防具をつけている。
「ニーシャちゃーん、心配したよ~!」
「ありがとう、ケイティ」
知り合いに出会えて、私は胸をなで下ろす。
私はケイティに尋ねる。
「でも……これはどういうことなの? なぜ軍がこんなにも迅速に動いたの?」
「ニーシャちゃんが宮廷からいなくなったから、ジェラルド様とあたしたちで捜したのよ。そしたら馬車に乗り込んで、イブルの方へ向かってるって目撃情報があったから……」
そうか、誰かに見られてたのか。
「そうしたらジェラルド様、重臣を集めて、『ニーシャを助けに行く』って即断したの。もちろん、反対意見も出たけど、有無を言わせない迫力だったらしいわ。あまりの迫力に感動して涙を流す重臣もいたそうよ」
信じられないような話だった。
でも、なんだか分かる気もする。
もし私が重臣の方たちだったとしたら。
若くて将来有望だけど、まだまだ発展途上の皇帝が、突然重臣たちを黙らせる威厳を発したら、私も感動してしまうかもしれない。
この方になら国を任せられる。この方についていこう、と。
「そして、帝国軍もあっという間に動かしちゃったの! 早かったわ~」
周囲は戦場と化しているのに、ケイティはいつも通りのテンションだ。
やはりこの子は只者じゃない。
「もし、ニーシャちゃんがいなくなってなかったら、帝国は負けてたかもしれない。ニーシャちゃんの勇気がジェラルド様の底力を引き上げたのよ」
「……!」
私はただ独走しただけなのに、こう言われると照れてしまう。
ケイティは再び戦いに向かう。
周囲を見ると、メディックさんやクロウも戦っている。
あの二人は強い。次々に敵を倒している。
戦い争うことが“戦争”というのなら、これはもう戦争じゃなかった。
ムゾンなんかと手を組んで、空き巣を狙うようにレグロアを侵略しようとしていたイブル王国軍。
若き皇帝の発奮で一致団結し、帝国を守るために戦っているレグロア帝国軍。
同じ軍隊でも根っこの強さが違う。
勝負になんてなるはずがない。
すると――
「お、おのれ……!」
振り向くと、アゴン王がいた。
端正な顔立ちは見る影もなく歪んでおり、右手にはサーベルを持っている。
「この毒女め……我が軍にとんだ毒をもたらしおって……」
「何を言ってるの? 毒をもたらしたのは自分でしょ? ムゾンなんかと組んで、レグロアに攻め込もうとしなきゃこんなことにはならなかった!」
「うるさい! こうなったらせめてお前だけでも殺す!」
アゴン王が目を血走らせ、私めがけてサーベルを振り上げる。
私も毒を放出して、身構える。
私がタッチするか、斬られるか。
だが、私の前に誰かが立った。
「ジェラルド様!?」
ジェラルド様だった。
「私のニーシャに……手を出すな!」
一閃。
肩から胸にかけて大きく斬られ、アゴン王は血しぶきを散らしながら、仰向けに倒れた。
「ニーシャ!」
ジェラルド様の呼びかけに私はすぐに応じる。
「ジェラルド様!」
私たちは戦場で抱きしめ合った。
もう私の毒が、ジェラルド様の体を害することはない。
ジェラルド様の両腕と胸は、とても温かった。




