メリザンドの幸福
メリザンドの才能
という続編書きました。
蛇足かもしれませんがもしよろしければそちらもお付き合いいただけると嬉しいです。
その日、公爵家は軽くパニックになっていた。急遽、皇帝陛下の御子をご当主様の嫁に迎えるらしい。その方はとんでもない悪女だと噂されている。その証拠に、皇女の身分ではなくあくまでも《側妃の娘》として扱われている。
使用人たちはみんな、どんな悪女が来るかと戦々恐々としていた。
実物を見るまでは。
「…」
馬車から降りてきたのは、可憐な花のような人。ウェーブのかかった金髪、宝石のような赤い瞳。その瞳をキラキラさせて公爵邸を見上げる様は、どこか子供っぽくて年齢相応には見えない。
そして、可愛らしいその姿に反してその体は…華奢どころか、明らかに痩せすぎていた。
一目でわかる。彼女は満足な食事を与えられていない。
使用人たちは、彼女がポヤポヤとした笑みを浮かべて自己紹介しようとするのも早々に切り上げさせて食堂まで手を引いて連れて行った。
そして、パン粥を作り提供する。彼女はそれを目を輝かせて食べた。
「…奥様。美味しいですか?」
「奥様。私ですか?」
「はい」
「すごく美味しいです!パンなのにカビ生えてない!」
その言葉に使用人一同が絶句する中、この家の当主が部屋から出てきた。
「あ、ご当主様!あの、奥様は…」
「悪いが監視魔法で全部見ていたし聞いていた。…予想以上に酷いな」
「予想とは?」
「理由は知らないが、彼女が虐待されているのはちょっと色々聞きかじって知っていたんだ。避難の目的で娶った。お前たちには実際に見て判断させようと教えていなかったが」
「ああ…」
けれど、と当主がこぼす。
「これほど酷いとはな。パンにカビが生えてないと喜ぶ人間、俺は初めて見たぞ」
「私共も初めてですよ。奥様は大切に保護させていただきます」
「そうしてくれ」
「…あの!」
当主と、彼女の専属に抜擢されたベテランの侍女が話し込んでいると彼女が手を挙げた。
「…どうした?」
「メリザンドは、旦那様にご挨拶したいです!」
「あ。すまない、先に挨拶しないとだったな。この公爵家の当主、アルテュールだ」
「メリザンドです!これから末永くよろしくお願いします!」
ろくな教育も受けていない彼女は、それでもぺこりと頭を下げて精一杯の挨拶をする。そんな彼女に、アルテュールは跪いて手を取った。
「我が妻よ。これから貴女を幸せにすると誓う」
それは彼の本音。可哀想なこの子を、せめてここでは幸せにしてやりたいと思ったのだ。この子の避難先になろうと願い出た結婚だが、公爵家としてはこの子の処分に困っていた皇帝に恩を売れた。ならばこの子に思わぬ利益をもらった自分は、この子にここでの生活を思う存分楽しんでもらい幸せを提供したい。
そんな彼の気持ちが通じたのか、メリザンドはさらに目を輝かせた。
「旦那様!メリザンドは旦那様のために何が出来ますか!」
「え」
「メリザンドは、引き取ってくれた旦那様に尽くさなければなりません。なにをしますか?」
つくづく、哀れなことだと思う。だからこそ。
「そうだな。それなら、まずはパン粥を食べられるだけ食べて欲しい」
「はい!」
「そのあとは、昼寝をしてゆっくり休んでくれ」
「…ふむ」
「そして目が覚めたら、一緒に庭の花を見に行こう」
メリザンドは目を瞬かせる。
「それでお役に立ちますか?」
「ああ。俺は癒しが欲しいんだ」
「癒し」
メリザンドは言葉を飲み込むようにこくこくと頷いた。
「頑張ります!」
「ぜひそうしてくれ」
こうしてメリザンドの、公爵家での日々が始まった。
メリザンドはアルテュールの言葉通り、パン粥を食べれる限り食べた。全部は無理だったが、半分も食べられたので上等だろう。
そしてアルテュールの言葉通り、お昼寝することにした。メリザンドの侍女となったタバサに手を引かれ、メリザンドの私室として用意された部屋に行く。
そして床の上で寝ようとして、慌てたタバサにベッドで寝るようにと説明されて生まれて初めてのベッドを満喫する。
「ふわー…ふかふかですね!」
「はい、奥様」
「ではおやすみなさい」
言って数秒で寝るメリザンドに、タバサはどこかホッとした表情を浮かべた。タバサもすっかりと、メリザンドに同情してしまっていた。
「ご当主様が奥様を引き取ってくださって、本当に良かった…」
少し力を入れて握れば、それだけで折れてしまいそうな細い腕。せっかく可愛らしい顔立ちなのに、これでは台無しだ。髪だって、もっとお手入れしたらすごく輝くはず。宝の持ち腐れは良くない。奥様の良さを私が引き出さなければ。そして、虐待の記憶をさっさと幸せで上書きして差し上げよう。
「でもまずは、ゆっくり休んでくださいね。奥様」
タバサの表情は、たまに実家に帰ると甘えてくる歳の離れた幼い妹を見るときのそれと同じだった。
初めてのベッドでぐっすりと眠り、メリザンドが目覚めたのは三時頃。
「はっ!」
パッと起きたメリザンド。タバサは笑顔で話しかける。
「おはようございます、奥様」
「おはようございます、タバサ!旦那様とお花を見に行きます!」
「はい。ではご当主様の執務室に行きましょう」
「連れて行ってくれますか?」
「もちろんです」
タバサがアルテュールの執務室へメリザンドを案内する。
「こちらですよ。ノックしてから入ってくださいね」
「のっく…?」
「ドアを軽くトントンと手で叩いてください」
「こうですか?」
メリザンドがやってみる。上手くできた。
「…入っていいぞ」
ドアの前でのやり取りもこっそり聞いていたアルテュールだが、なんでもない顔をしてメリザンドに許可を出す。
「旦那様、失礼します!」
「お昼寝は出来たか?」
「ぐっすりと眠れました!」
「それは良かった」
「お花を見に行きますか?」
アルテュールはついさっきまで取り組んでいた書類を片付け、メリザンドに手を差し伸べる。
「では、ご一緒願えますか?我が最愛の妻よ」
芝居掛かったセリフにも、メリザンドは目を輝かせる。
「もちろんです!えっと…最愛の旦那様!」
そこまで言ってアルテュールの手を取って、えへへと照れ笑いをするメリザンド。可愛い妻に、アルテュールは微笑んでその手を引いた。
「どうだろうか。庭の花は気に入ったか?」
「はい!とっても綺麗です!」
アルテュールと手を繋いで、庭の花を歩いて見て回るメリザンド。体力のないメリザンドがそろそろ疲れてきた頃に、その場に簡易的な椅子とテーブルが設置された。
「…?」
「ここでお茶の時間にしよう」
「お茶の時間」
「おやつを食べながら、紅茶を飲むんだ」
「おお…ボーナスをもらえるタイム」
そしてタバサが紅茶を淹れ、他の侍女たちがお茶菓子を持ってくる。
「おやつです!」
「今日はな、東国のお菓子で水まんじゅうというものがあって、それにしたんだ。向こうでは緑茶が主流だが、紅茶にも合うから試してくれ」
「…緑茶。緑の紅茶ですか?」
「まあだいたいそんな感じかな。あれはあれで美味しいから、今度試してみるか?」
「はい!」
また瞳が煌めいた。目は口ほどに物を言う。
「緑茶の茶葉は追々手に入れるとして…水まんじゅうは食べられそうか?」
「はい、いただきます!」
メリザンドは一口水まんじゅうを食べる。一口が小さいので、どうかなとアルテュールやタバサ達が見守る中、メリザンドは歓声をあげた。
「これすごく美味しいです!食べやすい!」
「そ、そうか。よかった」
メリザンドの喜びように、お腹の調子が戻る頃には甘いものをたくさん食べさせようと決めたアルテュール。
「美味しい!美味しい!」
ニコニコ笑顔のメリザンドに、タバサは感動で目に涙を溜める。
「…あれ?もう無くなってしまいました」
「おかわりするか?」
「いいんですか!?」
メリザンドは結局、三つも水まんじゅうを食べた。
おやつを食べ過ぎたので、夕飯のパン粥はあまりお腹に入らなかったメリザンド。だが、本人はご満悦なので誰も何も言わなかった。
お風呂に入ると、タバサはメリザンドの背中やお腹に大量の青痣を見つけて泣きたくなった。今までどんな酷い環境に置かれていたのか…。
優しく洗ってやり、流し、湯船でゆっくりした後タオルで拭いて魔法で髪も乾かし、さて寝るかというタイミングで。
「タバサ」
「はい、奥様」
「今日はありがとう。とても楽しかったです」
言うとすぐに寝落ちしたメリザンドに、タバサは何かが胸に込み上げてきたがそれを飲み込んだ。
皇帝、許すまじ。
それは侍女が口にして良い言葉ではない。
代わりに。
「私も楽しかったですよ、奥様。明日もたくさん、色々なことを楽しみましょうね」
笑顔でドアを閉めたタバサ。メリザンドの寝顔は穏やかだった。
メリザンドが公爵家に嫁入りして二週間。メリザンドは青痣はまだほんの少しだけ残っているが、食事も普通に取れるようになってすっかり元気に過ごしている。睡眠も問題なさそうで、おやつも食べているおかげで少しは肉付きがマシになってきた。
そうなると肌も髪も爪も段々と綺麗になってくる。傷んだ髪は思い切ってばっさり切って、おかっぱにしてみたがこれがまた可愛い。
公爵家の使用人一同、すっかりメリザンドの虜になっていた。
また、アルテュールもメリザンドに思っていたより傾倒していた。
「メリザンドは今日も可愛いな」
「旦那様は今日もかっこいいです」
少し幼い印象のあるメリザンド。どちらかといえば夫婦の会話というより兄妹の会話に聞こえてしまうが、アルテュールはそれも楽しんでいる。
「今日は水大福というものを用意してみた。水まんじゅうとの違いも楽しんでみてくれ」
「おお…!ありがとうございます!」
二人のお茶の時間もすっかり恒例となり、公爵家に嫁いでから様々なおやつを楽しんでいるメリザンド。
「メリザンドは、この公爵家に引き取ってもらえて幸せです」
「俺も、メリザンドと夫婦になれて幸せだ」
「よかったです。でも、そろそろ次のステップに入りたいです」
「次のステップ?」
メリザンドは瞳を輝かせる。
「公爵夫人のお仕事したいです!」
「え?ああ…」
メリザンドに任せられる仕事があるだろうかと必死に思案するアルテュールに、爆弾が落っこちた。
「子供を作るのが義務だと聞きました!それしたいです!」
「ごふっ…ごほっ」
「旦那様?大丈夫ですか?」
「…だ、大丈夫だ。誰からそんなこと聞いた?」
「んーと、旦那様のお知り合いの女の人?」
誰だとタバサに目線を送れば、口パクでご当主様の従妹だと言われて胃が痛くなるアルテュール。
「あー…うん、それは…そうだな、じゃあ、健康的な身体になったら考えようか。今はまだ、身体が耐えられないだろう。…その、夫婦だしいつかはとは思ってるが、まだ早いから。な?」
「むぅ…ならもっとはやく健康になります」
「ぜひそうしてくれ」
アルテュールはいつも余計なことをする従妹にいいから黙ってろと念を送りつつ、やる気満々のメリザンドが健康体になったらどう説明しようかと頭を悩ませた。
メリザンドはそんなアルテュールの悩みなど何もわからないが、アルテュールのお嫁さんになってから幸福なことばかりだから何かお返しできたらなぁと呑気に考えていた。
そんなメリザンドの幸福は、これからどんどん積み重なっていくだろう。
ショタジジイ猊下は先祖返りのハーフエルフ〜超年の差婚、強制されました〜
という連載をやっています、もしよろしければよろしくお願いします。