5-4 伯爵家追放
「ご令嬢は、オズバルド様が嫌い? それとも苦手?」
不意にヘルムさんに尋ねられて目を瞬かせました。どういうことなのか、と首を傾げればヘルムさんが真剣な顔で私を見ながら続けます。
「ほら、オズバルド様の婚約者だと死ぬ、っていう夢を見たんでしょ?」
ああ……と尋ねられた意味を理解しました。
「夢が現実になるのかは分かりません。婚約者だったから死んだというわけではなく、あの夢はオズバルド様と婚約していた私が死んだというだけ。
多分、婚約をしてなくても、他の誰かが婚約者でも同じだったと思います。
ヘルムさんが見ての通り、私、痩せっぽっちでしょう? いつ死んでもおかしくないというか。
実はロイスデン公爵家を訪ねただけで息切れを起こすくらいの体力なんです。
此処から出られない、というのは閉じ込められているという意味も有りますけど、体力が無いという意味もあるんです。
それとうっかり見つかってしまうと暴言を吐かれるとか暴力を振るわれるとか。だから出ないようにしている、という意味もあります。
尤も外に出なくても余程気に入らない出来事があると私にそれを発散するかのように来ますが、それは滅多に無いので出ないと暴言を吐かれることも暴力を振るわれることもないので、やはり出ないのが一番なんです。
そして体力が無いし、怪我も多くて身体を動かしづらい私ですから、いつ死んでもおかしくないでしょう?
だから好きとか嫌いとか苦手とか、そういう感情があって夢を見たことを話したわけではありません。ただ、公爵様にはお伝えしておく方がいいと思ったからお伝えしたまで、です」
「そっか。なんかオズバルド様が嫌われているのかなって言ってたから」
ヘルムさんが安心したように言いますが、抑々、好悪の感情が育つ程交流してませんから、何とも言えないです。
それに。
小説の主人公としてのオズバルド様は、嫌いでは無かったですね。好きというよりは、主人公、というだけの感覚でしたけど。
あの小説内で好きだったキャラは居たと思いますけど、前世の記憶を思い出したとはいえ断片的なので、好きなキャラが誰だったのか覚えていません。
アズが小説に出ていたことも、公爵様がアズの貴族時代の名前を口にしたから思い出しただけですし。
だから好きだったキャラのことは思い出せないですが、オズバルド様のことは好きでもないけど嫌いでもない、というのが現状ですね。
「正直にお伝えするのであれば、好き嫌いの感情が育つ程、交流をしていないので……仮の婚約者、という立場のお方としか言えないです」
私が本音を晒せばヘルムさんは目を丸くした後に、大声を上げて笑いました。
大声を上げてもアズだけなので別に構いませんが。ラテンタール伯爵一家はオズバルド様が居るのに此方に来ないだろうし、他の使用人が来るなんてクリスとフォール以外は殆ど無いですし。クリスもフォールも自分の仕事で忙しいからアズが居るなら来ないですし。
ラテンタール伯爵一家のために他の使用人が来ることは有っても自主的には無いからヘルムさんの笑い声を気にする人は居ないでしょう。
「それもそうだよなぁ。確かに。ご令嬢は俺より十歳くらい年下だから子どもみたいに思うけど、でも確りしているよね」
「ありがとうございます? ヘルムさんは十歳年上なのですね」
「多分? 俺自身の記憶で一番古いのが三歳の誕生日ってやつなんだけど。そこから……二十年くらい経つから多分、そんなもんだと思う」
突っ込んで訊ねる事はやめておきましょう。
何となくヘルムさんが自分から話すのでなければ聞かない方がいい気がします。
ふとアズを見れば、黙ってますが、ヘルムさんに対していつまで此処に居るんだ、という目でジッと見ています。
アズ、目で語らないで……怖いよ。
そういえば。
「アズ、そろそろ昼食の時刻でしょう? 行ってらっしゃい」
時計なんて高価な物はこの小屋には無いですが、感覚で覚えました。
尚、貴族の屋敷に時計が無い家というのは余程の貧乏ということになります。つまり、本来ならそれだけ普及率が高くて安価な品物なんです。この小屋からすれば高価ですが。
「ですがお嬢様、この男、いえ、使用人と二人きりと言うのは」
「それならヘルムさんもアズと一緒に本邸に行ってもらえばいいよ。……そういえば昼食で思い出したけど、今日は料理長は遅かったの?」
「はい。今日も遅かったですが、今日は昨日より早かったですね」
「ふぅん。いつも思うけど、料理長って何をしているのかしらね。厨房で下拵えは他の料理人にやらせてもいいのは分かるし、洗い物を見習いの人がやるのも分かるけど、だからといって遅く現れるのは違うと思うのよね。
私は会ったことがないけれどアズの話を聞くに、なんでそんな人を後妻は雇ったのかしらね。
遅刻が続くなんてクビだと思うのだけど」
「それは私も思っております。ですが、後妻はクビにすることは有りません」
「よっぽど美味しいご飯を作るのかしらね?」
「いえ。まぁ料理長にはなれる程度の腕前なのかもしれませんが、クビにしても困らない程度の腕前だと思います」
アズが言うなら、料理長は味付け上手とかってわけではないんだろうけど。なんだって散々使用人をクビにしてきたくせに、料理長はクビにしないのかしら。
まぁ後妻がクビにして来た使用人が、お母様を慕っていた使用人ばかりだったから、と言ってしまえばそれまでなんだけどね。
「ご令嬢」
「はい」
「その料理長って遅刻しているの?」
「アズの話によれば。私は向こうに行かないから」
「そっか。公爵様から言われている怪しい使用人は、その料理長ではないけれど、気になるなら調べてみようか?」
ヘルムさんの申し出を考えます。
気にならないわけじゃないです。よく遅刻しているみたいだし。それを咎められていないみたいだし。その上料理長として突出した何かがあるわけでもないみたいだし。
でもなぁ。
「気にはなりますけど、調べてもらって怪しさがいっぱいでも、私にどうこうする権利も権限もないですし。正直なところ、私とアズに不利益が無いなら別にラテンタール伯爵一家に不利益があっても構わないですし。……要らないです」
お断りしました。
ヘルムさんは私の返事の何が気に入ったのかまた大笑いした後で
「俺は気になるから勝手に調べるね。そうしたら公爵様に報告はするけど」
と宣言しました。
まぁ勝手に調べるのも此方は困らないですし。
「どうぞ。公爵様にもご報告されるならそれでいいのではないでしょうか。単にアズから聞く料理人が働く時刻にいつも遅れる料理長って、なんでクビにならないのかなって思っただけですから」
「分かったー。じゃあ勝手に調べて公爵様に報告する。結果を知りたかったから尋ねて」
「そうですね。気になったら尋ねます」
ヘルムさんは一つ頷くとアズと連れ立って小屋から去って行きました。
いつも思いますが、ヘルムさんって風みたいな人ですね。サッと来てサッと居なくなります。
お読み頂きまして、ありがとうございました。