10-5 間話・望んでない婚約者〜オズバルド視点
「聡明、という事でしたが具体的には?」
落ち込む私を慰めるように肩をポンと叩いたアル兄上は、再び父上と母上を見る。
「家令に命じておいたのよ。ネスティーちゃんを出迎えるに辺り、いつものレッドカーペットではなくて、紫色にして頂戴ねって」
母上の言葉にアル兄上が目を丸くする。私もそんな事をしていたなんて思わなかった。
「ちょっと、母上、それは悪戯にしては度が過ぎてますよ! 気付かずに踏み付けていたのなら可哀想です!」
アル兄上が慌てて今更ながらの抗議をする。母上は片手を上げてニコリと口元だけで笑んだ。
「いいえ、気づいたわよ、ネスティーは。
我が家を訪れる者は王族以外は皆、怖気付くか緊張する。ネスティーちゃんも、絶対そうだったはず。
でもね、家令を真っ直ぐと見つめて指摘したそうよ。
当主であるロイスデン公は王命の婚約が気に入らないのか、それとも自分を試しているのか、と。家令は直ぐに試すよう命じられた、と答えた。彼女は頷いたから直ぐにレッドカーペットに交換した、との報告を受けたわ。
侍女が彼女の背後に居たけれど、彼女はその事を一切口にしなかった。あの悪戯について信頼しているだろう侍女にすら話さなかったのは、事を大きくしたくなかったから。
もしも侍女に話していたなら、自分の侍女がロイスデン公爵家に抗議をするような性格だと分かっていたのだと思うわ。それは、ロイスデン公爵家から侍女に何らかの咎めがあることを考えたのかもしれないし、わざと悪戯をした我が家の醜聞になると考えたのかもしれない。或いは何も考えず、咄嗟に侍女には話さないことを選択しただけかもしれない。
でも兎に角、そういった判断が出来た時点で聡明だと言える。それが大切なことよ」
母上は楽しそうに微笑んだ。
「それは確かに賢いですね。何も考えていなかったとしても自分だけのこと、という形で処理しようとしたのは間違いない。大事なことです。あれこれ喋ってしまうのは、人としても貴族という身分にある者としても、信用を失いますから」
アル兄上は何処か考えるように評する。
「それに、私とマリーの外見を気に入ったようだけど、盲目的になってないのも好ましい。私が愛人にでもなるか尋ねた瞬間に、私への憧れの感情を消したことも清々しかった」
「父上⁉︎」
ちょっと、冗談でも彼女に愛人などと失礼だ!
大体、元々母上の婚約の候補者の一人だった父上は、母上と結婚出来ないならロイスデン家から出て行く、と宣言して母上がそこまで言うのなら、と結婚してもらったと私達に惚気る程に母上が好きでしょうに! 未だもって!
「私の顔に惚れている者やロイスデン公爵家の地位や権力や財産に惹かれている者は、愛人でも良い、と平気で近寄って来るからな。
ネスティーもそういう令嬢かと思って仕掛けたんだが、嫌悪感を隠さない視線を向けられて、私の顔は彼女の中で美術品を愛でるような鑑賞対象だ、と気付いたよ。私もそういう人と偶に出会うが、年齢を重ねた人が多かったからね。まさか成人もしてない令嬢が、そういう人だと思わなくて、益々気に入ったよ」
父上はとても楽しそうだ。母上も楽しそうだし、まぁ両親が気に入ってくれたならこの婚約は続行出来そうだ。
「そんなに聡明な子なのに虐待されているんですか」
アル兄上が訝しそうに父上を見る。母上が「そのことなんだけど」 と何かを思い出したように言葉を紡いだ。
「昔、ラテンタール伯爵がまだ爵位を継ぐ前だった頃ね。婚約者が居て、その婚約者がオーデ侯爵令嬢、つまりネスティーちゃんの母だったんだけど。ネスティーちゃんの母である彼女と友人だった、と話したでしょう?
一度、彼女に婚約者のことを尋ねてみたことがあったの。彼女はその時、彼は自分の見た目をとても気にしていて、美しくない相手を嫌う困った所がある、と。それ以外は、幼馴染でそれなりに敬意を持って接している、と会話をした記憶があって。でも昔だったから忘れていたんだけど」
母上は溜め息をついて。
「ネスティーちゃん、父である伯爵に髪の色も目の色も顔の造りも良く似てるのよ。だから、伯爵はネスティーちゃんが嫌いなんだと思う。嫌いだから虐待していることを何とも思ってないんじゃないかしら」
父上もアル兄上も私も母上のその話に言葉を失ってしまった。なんていう事だろう。自分にそっくりな娘を可愛がるのではなく、嫌うなんて。
自分の見た目に引け目を感じていたとして、だからといって彼女を虐げて良い理由になどならないのに。
「その、私は会ったことはないのですが、領地に行って王都に来ない嫡男のガスティール殿も?」
「私も会ったことはないから分からない。ネスティーちゃんは、兄であるラテンタール伯爵子息のことをとても慕っているようだったわね。まぁ仮に子息も伯爵に似ていたのなら、ネスティーちゃんと同じことになっていたと思う。
伯爵みたいな人間はね、嫌いな者を遠くに追いやるのではなくて、近くに置いて自分が上だ、と優越感に浸りたいの。だから跡取り教育で領地に送るなんてしないと思うから、多分伯爵に似てないのよ」
アル兄上の恐る恐るとした確認の問いかけに、母上が予想だけど、と前置きして答えてくれた。
「ああ、ラテンタール伯爵は、随分と卑屈な男だったからな。上の人間には頭を下げっぱなしで下の人間には尊大。だが世間の評価も気にするから、自分に自信がない所を着飾ることで補おうとする。……領地経営に精を出すなり人脈の幅と視野を広げて伯爵自身の意識を変える努力をすれば良いのに、それが出来ない。
多分、ネスティーにきちんと教育を受けさせているのは、ある程度の年齢になって結婚させる時に教育不足を指摘されないためだろう。
実際、ネスティーは自分で持参金無しどころか支援してもらえる所へ嫁に出される、というような事を口にしていた」
自分達が贅沢をするために、彼女を犠牲にするという考え方が理解出来ない。私は、結婚する気などなかったし、婿入りも考えていなかったから、この王命による婚約を望んでなかったけれど。
彼女を知ってからは、この王命による婚約が成立して良かった、と心から思っている。
彼女は望んでないみたいだけれど、私は彼女をあの家から救いたいし、私が彼女を甘やかしてやりたい。
「普通の令嬢ならば送らない生活を送っているのに、よく歪まないでいられましたね」
アル兄上の言葉に「それは」 と父上が告げる。
「おそらくあの侍女が居るからだろう。元伯爵令嬢できちんと教育を受けていた娘だ。親からの愛情も知っている。だからネスティーをきちんと育てられている。ネスティー自身も亡き母と慕う兄の記憶があり、あの侍女がいるからこそ歪まなかったのだろうな」
父親達からは愛情がもらえなくても、離れていて会えない兄と亡き母上から愛された記憶が、彼女を真っ直ぐな人にした、ということか。確かにあの侍女も彼女を主人としてよく仕えている。私が彼女の立場だったら、卑屈になったり性格が悪くなったりしていなかっただろうか……。
私は彼女ではないから分からないけれど。彼女と立場を入れ替えることも出来ないけれど。せめて彼女があのままで生きていけるように、私は支えたい。
なんだか願いばかりが増えていくな。
今まで欲しいと思えば大抵手に入ったし、何か願っても大抵叶って来ていたし。
だからなのか、叶わない願いを抱くこともなかったのに。彼女に会ってからは、もっと彼女を知りたい、とか。甘やかしたい、とか。支えたい、とか。
そんな今の信頼も無い形ばかりの婚約者の私では叶わない願いばかりが、増えていく。
「まぁ先ずは、ラテンタール伯爵家への出入りが自由になったから、横領疑惑が確定するかしないか証拠を探す。
ラテンタール伯爵子息とネスティーには悪いが、もしも疑惑が確定したならば、伯爵家は褫爵の憂き目に遭うのは必定。
子息は継ぐ家が無くなってしまうが、ネスティーは彼の後ろ盾になって欲しい、と私に望み、私はそれを受け入れた。どんな形であれ、子息の後ろ盾にはなろう、と思う。
疑惑が晴れればいいが……。
だが虐待は確定だろう。証拠か証人は必要だろうが、ネスティーを見て、虐待されていると確信出来るからな。
となると、横領疑惑が晴れても虐待の罪で咎めはある。おそらく、男爵位まで降爵されるだろう。
さて、降爵の憂き目に遭っても継ぐ家があることと、褫爵の憂き目に遭って継ぐ家が無くなるのと、子息にとってはどちらが良いのだろう。出来れば子息に会って、その辺を確認してみたいな」
父上が以上だ、と終わりを宣言して、私とアル兄上はサロンから下がった。
彼女は、自分のことはあまり構う気がなかったことが心配だ。もし伯爵家が褫爵の憂き目に遭って貴族令嬢ではなくなったら、どうするのだろうか。
心配ばかりしてしまう。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
今話にて、第一章【婚約締結編】終了です。
第二章【伯爵家追放編】まで暫くお待ち下さい。




