9-3 婚約契約書の提示
「母上。人身売買は奴隷契約と同じく法で禁止されていますよ。道徳観念上も倫理観念上も許されません」
私がオロオロしている間にオズバルド様が冷静にマリーベル様に突っ込んでます。それを聞いて落ち着いた私。
「あら。言葉の綾よ」
すっぱりと言い切るマリーベル様。……絶対本気でしたよね?
直感が告げている。絶対、本気で買おうとしてましたよ。
「そういうことにしておきましょうか」
「全く。オズバルドは誰に似たのか本当に頭が固い子ね。私でもベルでもない、頭の固さだわ」
ベルってベルトラン様の事でしょうかね。
マリーベル様が仰るには、顔はベルトラン様そっくりなのに性格はベルトラン様ともマリーベル様とも似ていないみたいですね。嫡男・アルベルト様、次男・イルブルド様のどちらかに似ていらっしゃるとか? 兄二人を尊敬していて其方に性格が似るとか、あるかもしれないですよね。
「父上と母上が常に楽しそうなのでアル兄上が苦労されて、イル兄上がそのアル兄上を宥めているのを見続けた結果が、私です」
成る程。つまりなるべくしてなった性格のようですね。
「まぁその辺にしておこうな。それでマリー。ネスティーを買う、と言ったその真意は?」
ベルトラン様が二人の仲裁に入りつつ私への説明を促す流れが綺麗ですねー。違和感無い。
「ああ、ごめんなさいね、ネスティーちゃん。あなた、自分で自分を買い上げてみない?」
またもや真意の分からないマリーベル様のお言葉。首を傾げた私にマリーベル様が続ける。
「あなた、父親に似ていることを他人事のように反応していた。そしてこの婚約が万が一解消出来るなら、仕事を紹介して欲しい、と言った。この二つの事柄からあなたとラテンタール伯の仲はあまり良くない、と判断したのだけど」
「……はい。正しいです」
母をご存知のマリーベル様が、私を父に似ていると仰った時に私は他人事のように「顔はそっくりのようですね」 と言葉を返しました。それだけで聡明なマリーベル様は気付かれた、という事でしょう。そして婚約解消後は仕事をしたい、と言う私。お兄様のことはあれこれ心配している私だから家族の情があることは気付かれたはず。父と上手くいってない、と結論が出たのですね。
「だから、あなたがあなた自身を買うの。そうすれば支援目的のお金を得るためにネスティーの望まない結婚は、しなくて済む。ベルに仕事を紹介されても、正直なところ数年働いた程度では、ネスティーの持参金には到底届かないと思うわね。まぁ出さないみたいだけど。持参金無しで支援金を逆に支払うような相手など、訳ありでしか無いわ。そんな相手と結婚するより、予想出来るネスティーの持参金くらいのお金を、我が家から出す。もちろん、貸すわ。あなた、返しますって言う子だろうし」
確かに。貰う謂れは無いですもんね。借金します。
そして、マリーベル様の仰ることを理解しました。ロイスデン公爵家に借金をして、私自身を父から買う。そうして私は父から自由を得る。で、借金した分をロイスデン公爵家に返金していく、と。
それはそれで魅力的ですけど。
一つは、ロイスデン公爵家から借りる……つまり借金をすることで、私の身はロイスデン公爵家に囚われた気がするので嫌。多分、ベルトラン様もマリーベル様もそんなつもりは無いでしょうが、私自身の気持ちの問題。肩の身狭そう。
もう一つ。此方の理由が大半ですが。
もう一つとして、あの父に、いえ、あの家族に、金を払うのが嫌なんですよね。彼方の思う壺なのが癪に障る。
「お気持ちは有り難いのですが。マリーベル様、私は寧ろ別のやり方を考えています」
マリーベル様にお断りをすれば、マリーベル様は不服そうな顔をしながらも渋々と頷いてくれました。どうやら私が父から追放されることを願っていることに気づいてくれたようです。
「では、話を戻そう」
ベルトラン様が仕切り直し、と呟きながら家令に合図して紙とペン(小説の影響なのか羽ペンではなくてボールペンです。結構文明発達してます)を受け取ると、サラサラとその場で書き出しまして。
無事に婚約契約書を提示して頂きました。
まさか、この場で作成してもらえるとは思ってなかった。
シンプルな契約書は、私が望んだようにラテンタール家に何があっても、お兄様に対しての後ろ盾になる、ということと、万が一婚約解消となった場合は私の仕事を紹介する、という内容の二つ。
そしてロイスデン公爵当主が書いたことを示す印章が押印されています。もちろんベルトラン様のサイン入りで。後は私のサインを書くだけなのですが。
「あの、ベルトラン様」
「なんだい」
「この、万が一という文言要ります?」
「王命の婚約だよ?」
それはつまり国王陛下が望まない限り、婚約解消にならない、ということですよね?
「内情調査が終わり次第、解消してもらえるのでは?」
というか、解消の王命が下ると思ってますが。
「おやネスティーは、我が家との繋がりは不要だと?」
「いえ、そりゃあ繋がりの要・不要ならあるに越したことはないですけれど。お兄様の後ろ盾になってもらえることが確約出来たので、別に子息様達と婚約を続ける必要もないですよね?」
「本当にはっきりと言うな」
苦笑したベルトラン様。不満そうなマリーベル様。殆ど会話をしなかった、一応婚約者のオズバルド様は、何故か目を見開いて私を見ていて、どう見ても驚いているようです。何がそんなに驚くことなのか分からないですけど。尋ねてまで知りたいわけでもないので、見なかったことにして。
「それでは、この婚約契約書は陛下に直接渡しておくよ」
私の分とロイスデン公爵家の分も直ぐに作成して、一通を私に下さったベルトラン様は、またおいで、と胡散臭い爽やかさで笑いました。うん、胡散臭さをわざと出して笑う辺り、私がベルトラン様に憧れたことを見抜いてますね。
さすが、出来る男は違います。
ホクホクした気分でロイスデン公爵家を後にした私。
馬車に乗ってからアズと向かい合わせで契約書を矯めつ眇めつ眺めながら……ふと思いました。
アレ? 結局、オズバルド様と交流してないよね?
……まぁいっか。
お読み頂きまして、ありがとうございました。