8-7 ロイスデン公爵家にて
「では、此処からは婚約の経緯を話そう」
柔らかい雰囲気のまま公爵様がそのように仰る。
聞き間違いか、と思いつつ目を瞬かせる私。
「今、なんと……?」
「戸惑うのも無理はないが、ラテンタール嬢ならば話しても構わない、と判断したのだよ」
どうやら聞き間違いではなかったみたいです。
「婚約の経緯を、私にお話下さる、と?」
「うむ。……アズとやら。君は誰に仕えているのかな」
また公爵様の雰囲気が変わりました。先程私が感じた刃物を喉元に突き付けられるような感覚がアズに向けられています。振り返りたいのに振り返れません。
「お嬢様お一人です。私の雇い主は前ラテンタール伯爵ですし、報告する相手は宰相補佐様を経由して亡き奥様のご実家ではありますが、私がお仕えするのはお嬢様お一人だけです」
私だって自分に突き付けられて怖かったのに、アズは普段通りの声で淡々と答えてます。アズ、嬉しいけど怖くないの⁉︎
「……成る程。良い主従だ。それならばそのままラテンタール嬢に付いていても構わないだろう」
成る程、返事次第ではアズを外すつもりだったのですね。
「婚約するまでの経緯について、話せる内容と話せない内容がある。君に話すのは話せる内容のみ、だ。そこは理解出来るな?」
笑みを消し淡々と語り出した公爵様。私は頷きました。それを見た公爵様が言葉を続ける前に背後をチラリと。向かいで座る私の視界にも見えました。オズバルド様です。オズバルド様がゆったりと歩いて来ました。
うーん……。小説の表紙イラストは、もう少しだけ成長している姿だったし、冒険者という設定だからなのか、もうちょっとガッチリしていたんで、改めてこう見ると何だか前世で言うところのヒョロっとした感じに見えて残念です。
いや、ガッチリとした筋肉ムキムキが好きというわけではないんですけども、あの表紙イラストがそのまま頭に残ってますからね、現実は違うとなるとちょっとガッカリしただけです。まぁオズバルド様が悪いわけではないですもんね。私が勝手に期待しただけ。失礼なことです。反省。
それに、ロイスデン公爵家の殿方は皆さま細身だと噂されています。実際、目の前の公爵様はそうですし。だから小説と現実の此処は別なのでしょう。
「オズバルド、この娘は面白い。良い縁かもしれない」
笑みを浮かべる事なく公爵様が淡々とオズバルド様に仰ってます。この擦れ具合の声を聞く度に思います。色気ってこういうこと? と。バカなことを考えていると自分でも分かりますが、だって、この声、気を抜くと蕩けてしまいそうな自分が居るんですよ! バカなことを考えでもしないと公爵様に引きずられそうです。いや、それは本望ですけども!
一応、婚約者の前で、その父親とはいえ、他の男性に蕩けてました! なんて醜態を晒したくないんです。
だって、そんな醜態を晒したら、アズに叱られるじゃないですか!
私の専属侍女であり、家庭教師であり、マナー講師であるアズですよ? 私を何処に出しても恥ずかしくない、伯爵令嬢として育てます! と勢い込んで叱咤激励の日々を過ごして来たんです。……アレをもう一度繰り返すのは嫌。
叱咤激励の日々だったのは、所謂飴と鞭を使い分けるも何も、飴になるのはアズの褒め言葉だけだったので……。いや、褒められるのは嬉しかったですけども、やっぱり単純な子どもだったので物で釣られる方が出来たと思うんです。アズも私にご褒美として物を出したかったのでしょうが、そんなことも出来なかったですしね。
だってアズって休みがなかったから外出出来ないので、私にご褒美の品も買えなかったわけで。アズが私に「何もあげられなくてすみません」 とよく謝っていたことを思い出しました。
でも、私の専属侍女として雇われている以上、私の側を離れられなかったんですよね……。ってアレ?
アズは一日たりとも休んでません! 今、自分でアズの休みが無いってサラリと流しましたが、休みが無いじゃん!
それってダメよね?
コレ、アレだわ。ブラックってやつ。
アズにとって私の専属侍女って、ブラックな就職先じゃないの⁉︎
マズイ、マズイわ! コレではアズが私の専属侍女を辞めたいって言ってもおかしくないし、そうじゃなくてもいつ倒れるか分からないじゃない! なんで気づかなかったの、私ってば! こうしちゃいられないわ。ロイスデン公爵家を出たら速攻でアズと休日について話し合いましょう。そうしましょう。
「……嬢、ラテンタール嬢?」
私は呼びかけられてハッとします。顔には出てない(と思いたい)はずですが、考え事をしていたので公爵様に呼びかけられていたことに気づかなかったようです。うわぁあ、失態ぃっ!
「何か?」
此処は聞いてなかったけど聞いてましたよ、何ですか? って感じだ。
「聞いてなかったね?」
あ、見抜かれてる。さすが公爵様。
「はい、聞いてなかったです。うっかり公爵様に見惚れました」
此処は嘘をついておこう。どうせこの嘘も公爵様にはバレるだろうけど、考えていた事を話す気はないし。公爵様は、ちょっと呆れたように溜め息を微かについたので、やっぱり見惚れていたという私の嘘には気付かれたみたいですね。
でも、直ぐにニヤリと笑いました。
なんですか! その笑みは!
出来る男のイタズラっ子みたいな悪い笑み!
ドキドキとキュンが同時に心臓を撃ち抜きましたよ!
お読み頂きまして、ありがとうございました。