8-4 ロイスデン公爵家にて
「これは」
微かに呟いた私に気付いたのか、それとも招かれているのに一向に扉の中に足を踏み入れない私を訝しんだのか。後ろからアズがそっと「お嬢様……?」 と不思議そうに声をかけてきた。私は右手を挙げて彼女を制した後、扉の向こう側にジャストな位置で立つ家令殿……いや、家令を私の中の精一杯で冷ややかに見つめた。
「王命による婚約を当主であるロイスデン公は気に入らないのかしら。それとも私を試しているのかしら」
アズが背後で息を呑んでいる雰囲気が伝わってきたことから、声音も冷ややかになれたのかもしれない。
小娘の視線程度ではやはり動じない家令は、私の視線を受け止め流してから頭を下げた。
「ご無礼を。あなた様を試すよう承りました」
「そう。それで?」
「少しだけお待ち下さい」
同時に従僕が再び扉を閉めた。
その間にアズが「何か?」 と焦って問いかけてくるが私は首を振った。
いくら、筆頭公爵家という、臣下の中で最上位の家門で、しかもその公爵家の中での事とはいえ、迂闊なことは言えない。というか、私が試されたことを知ればアズは怒るだろうし、その方法を聞けば「いくら力の無い伯爵家の令嬢とはいえ、お嬢様を蔑む気ですか!」 などと家令に喰ってかかるのが目に見える。そんなトラブルを起こす気はない。
だから首を振ることで話すことを拒否した。アズは「畏まりました」 と少々不服そうだけどそれ以上は尋ねない。それで良いと思う。
黙って待つこと十分ちょっとか。
再び扉が開いて、丁寧に頭を下げた家令の姿を無視して家令の身体を押して入ってやった。ビクともしないことは分かっている。それでもこれくらいのことはしてやってもいいだろう、と抗議の意味も込めている。私にこんな態度を取られても仕方ない、と理解しているのだろう、家令は何も言わない。
足元は紫色のカーペットが無くなり、前世では貴人が歩く時によく利用されていた赤色のカーペット……所謂レッド・カーペットに変更された。まぁこれが本来の色なんだろうけど。あまり詳しくはないから何とも言えないけど、床って大理石なのかな。酸性に弱い石らしいから内装に向く素材なんだっけ。それは兎も角。
レッド・カーペットの上ならば堂々と歩ける。
まぁ日本人だった時だと恐る恐るだったかもしれないけど、今は一応貴族の端くれだし。
それにしてもさっきは本当に驚いた。アズから貴族は表情を変えてはいけません、と叩き込まれてなかったら動揺が顔に出ていただろうし、何だったら叫び声まであげて失態を晒していたかもしれない。
それで私の評価が落ちようがラテンタールの評価が落ちようが、別にいいんだけど。亡きお母様とその頃は仲の良かったお兄様の評価に繋がってたら……悔やんでも悔やみきれない所だっただろう。
だってさ。
中にどうぞ。
って招かれて、誰が足元に禁色って言われる紫色のカーペットがあると思うよっ! 思わないでしょう。危うく踏みそうになって、気づいて良かったとしか言えない。
禁色というのは、王家しか使用出来ない色を意味する。
前世でも紫色は高貴な人しか使用出来ないとか、黄色は王しか使えないとか、歴史を振り返ればあったけれど、この国でも禁色があって、それが紫色。
国旗も薄いけど紫色に染められた物が使用されていて王家しか使えない色が禁色であり、紫色。
いくら王家と親戚でも、臣下である以上ロイスデン公爵家でも使用出来ないのに、まさか私を迎え入れるのにレッド・カーペットならぬバイオレット・カーペットが足元に敷かれているなんて思わないしっ。
しかも、あの家令、ちゃっかり敷かれてない所に立ってたし。多分扉開けた従僕二人もあのカーペットは避けられていたのだろう。よく見てないから分からなかったけど。
アレ……気づかないで足を出してたら、踏んでた。それってつまり、国王陛下並びに王家の皆様を足蹴にするような者で、下手すると謀叛だのなんだのと捕まってもおかしくないわけで。
それなのに、私に対して紫色のカーペットを使用したのだ。多分、本当は王家の誰かが来た時に迎え入れるようのカーペットなんだろうけど、それを出して来ること自体、もう私を値踏みしてるわけでしょ。試しているわけでしょ。
私、十二歳だけど、成人前だからといって細かいことは気にするな、と鷹揚に済ませられることと済ませられないことがあって。この試し行動は確実に細かいことは気にするな、と鷹揚に済ませられないケースなわけで。
つまり、アレに気づかないで足を踏み出してたら、私は捕えられていてもおかしくなかったわけで。
だから、私との婚約が“王命”なのに、こんな事をしてくるなんて、それほど私が気に入らないのか、私を試しているのか、どちらかしかなくて。家令曰くロイスデン公爵サマは私を試したかったらしいけど、その試しに引っかかっていたら、ロイスデン公爵サマは私をどうするつもりだったんだろう……と身震いする。
そしてこんな恐ろしい試し行動をされた、なんて、アズに言えるわけがない。
アズは怒るだろうし、家令に抗議してくれるだろうけど、ロイスデン公爵家内の事とはいえ、禁色を使ったなんて、ロイスデン公爵家の名誉に傷を付けるようなことでもある。騒ぎ立てられるわけがない。
そんな諸々を瞬時に考えられたわけじゃない。
アズに言わなかったのは、言ってはマズイ事になるって直感だっただけ。
で、その直感の理由を今度こそきちんと招かれ家令の後を着いて歩きながら、ようやく考えついたわけだけど。
考えれば考える程、恐ろしいことこの上ない状況だった、と冷静に思い返してみても身震いする。
案内された庭の白い丸テーブルとそれに合わせたイスに座って、沢山の目を奪われる程の百合を眺めて気持ちを落ち着かせ……られるかっ! 落ち着くわけないからっ!
それにロイスデン公爵本人の思惑が分からないので、供された紅茶と菓子にも手が出せない。迂闊な事をしたくない気持ちが強い。
ロイスデン公爵家の侍女さんが淹れてくれるのを間近で見ていたし、毒とかそういう警戒をしているわけじゃない。でもあんな試し行動されて、呑気にお茶に手を伸ばせる程、豪胆じゃないし信用出来ない。
お読み頂きまして、ありがとうございました。