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4  荒ぶるセラフィナ

「……ほんっっとうに、最悪!」

「今日は荒れてるな」

「仕方ないでしょう! まさかっ……! あんな屈辱を、味わわせられるなんて……!」

「てか、もう立派な器物損壊じゃん。警吏に言ったら?」

「それこそ証拠がないから、木の枝に引っかかっただけ、で終わりそうなのよ……」

「だよなぁ……」


 今日のセラフィナは、荒れていた。いつもなら「書庫ではお静かに」と嫌そうな顔をするジルも、今日ばかりはセラフィナがテーブルに突っ伏して嘆きたいように嘆かせてくれていた。


 今日の午後、セラフィナは王妃の接待に同席する予定になっていた。トリスタンと立ち話をした後、早めに現地に到着したので庭を散策したりベンチに座って休憩したりしていたのだが――


 セラフィナと同じように少し早めに到着した同僚が、セラフィナの後ろ姿を見るなり悲鳴を上げた。


『ちょ、あんた! スカート、破れているわよ!』

『えっ……う、嘘!?』


 慌てて後ろに手をやれば……ワンピースのスカート部分に大きな切れ込みがあって、しかもそこから下着がちらちらのぞいているではないか。


 早めに降りていたのが、不幸中の幸いだった。慌てて部屋に戻って替えのワンピースに着替えたため、汗だくではあるが遅刻はせずに済んだ。だが、もし時間に余裕がなかったら……そして替えのワンピースが洗濯中だったらと思うと、今でもぞっとする。


「君のスカートを切った人物は、相変わらず分からないんだよね?」

「ええ……。途中で人混みの間を通ったし、庭を歩いたりベンチに座って休憩したりもしたわ。同僚に声を掛けられるまでの間のどこで切られたのか、全然分からないの……」

「人混みの中で揉まれていたら、少しスカートを引っ張られても分からないかもしれないし、そのときだろうな」

「そ、それじゃあ何!? 私は下着をちらちら見せながら庭を散策する痴女になっていたということ!?」


 うわぁ、とセラフィナが頭を抱えると、ジルはかわいそうなものを見る目でセラフィナのつむじを見下ろした。


「……過ぎたことを悔やんでも仕方ないし、君は被害者だ。それに、刃物を持って城内をうろうろしているというのなら捕縛の対象になるはず。駄目元でも警吏や騎士団に言ってみようよ」

「ジルも一緒に来てくれるの?」


 思わず顔を上げて問うと、ジルが眼鏡の奥の目を丸くした――ような気がした。


「は? なんで僕が? 関係ないでしょ?」

「いや、でも今、『言ってみよう』って、誘うような感じで言うから……」

「……。……まあ、そうだな。もし一人で行くのが不安なら……一緒に行ってやってもいいよ。僕みたいなのでも、いないよりはいる方がましだろうし」

「そんなことないわ。……ありがとう、ジル」


 セラフィナが素直に礼を言うと、ジルはふうっと息をついてから立ち上がった。


「……まずは、気持ちを落ち着かせなよ。ここなら人も来ないし、思う存分泣けばいい」


 ここ、というのは司書室のことだ。ジルはひどい顔色で現れたセラフィナを見て、いつものテーブル席ではなくて司書室に呼んで話を聞いてくれたのだ。


「……泣かないわよ。でも、もうちょっとここにいたいわ」

「うん、そうしなよ。僕はあっちで本の整理をするから」


 ジルは席を立ち、司書室を出て行った。彼の足音が遠のき、セラフィナは顔を上げてあたりを見回した。


(……司書室に入るの、初めてかも)


 ここは、ジルの仕事部屋だ。いつも彼がこもっている司書専用の部屋なのはもちろんだが……うかつに足を踏み入れてはならない、神聖な場所に思えていた。

 古びたテーブルの上には修理前の本が積まれており、蔵書情報が記された分厚い紐綴じの資料などが本棚に詰め込まれている。


 第一書庫ほどではないがそれなりの広さのある第二書庫を、ジルは一人で切り盛りしている。彼は、「来館者はゼロに近いし、暇でいい」と言うけれど、あれだけの書物を一人で管理するのはたやすいことではないだろう。


 ちり紙で鼻をチーンとかんでくずかごに捨ててから、顔を何度か両手で揉む。下着チラ見せ痴女の称号を得てしまったが、せめてジルの前では笑顔でいたい。


(……よし。そろそろ出ようかな)


 司書室を出ると、いつものテーブルの前にジルがいた。こちらに背を向けているが、本を手にしているようだ。


「ジル、部屋を貸してくれてありがとう。もう大丈夫よ」

「ん? ……ああ、それならよかった」


 ジルはセラフィナの方を見てからそう言い、手にしている本を持ったままこちらに来た。


「それ、蔵書じゃないの?」

「違う。なぜか僕の名前が書かれているんだ」

「……ジルのじゃないのに?」


 気になったので、近づいて彼の手元をのぞき込んでみる。近くで見て、これは蔵書ではなくてむしろ紐綴じのノートのようなものだと分かった。


(あ、本当だ。ジルの名前があるけれど……)


「ジルの書く字じゃないわね」

「ああ。僕はもっと字が汚い」

「それはそうかもしれないけど……」


 そう言いながら何気なく手を伸ばすと、ジルは本を渡してくれた――が。


「いっ……!?」

「ど、どうした!?」


 セラフィナがいきなり悲鳴を上げてノートを取り落としたため、ジルが驚いた。ばさりと音を立ててノートが落ちるがジルはそちらには目もくれず、ノートが触れた右の人差し指を左手で包み込むセラフィナを心配そうに見てくる。


「何か……あったのか?」

「え、ええと……ノートに触れたら、冬の妖精のいたずらみたいになって」


 冬の妖精のいたずらとは、秋から冬くらいに起こる現象のことだ。ものに触れたときなどにぴりっとした痛みが走ることで、起きにくい人と起きやすい人がいるようだが誰しも人生で一度は経験したことがある。とはいえ今ひとつ原理が分からないため、「冬の妖精にからかわれたのだろう」と言われていた。


 今はまだ秋の初めだが、セラフィナはどちらかというと冬の妖精にからかわれやすい体質だった。ジルにもそう教えたことがあるため、彼は納得した様子でノートを拾った。


「……ひとまずこれは僕のじゃないし、落とし物箱に入れておこうか」

「いつからあったのかしら?」

「分からない。でも、ジルという名前の人間は愛称も含めるとこの城にそこそこいるし……別の人のものである可能性も少なからずある。……正直、ちょっと気持ち悪いけれど」

「今すぐ燃やしちゃう?」

「馬鹿なことを言うなよ。……まあ、もし持ち主が現れなかったら燃やしてやるけど」


 ジルはそう言うと、ノートをぽいっと落とし物箱に入れた。あの箱には書庫利用者が忘れていったものが入っているが、あまりに長期間入っているものはジルが処分しているそう。ただ、それが金などだった場合はさすがに届け出ているという。


 ひとまずセラフィナの気持ちは落ち着いたし、今度二人の仕事が休みの日に一緒に警吏に相談に行こうということになったので、セラフィナは安心して書庫を出たのだった。

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