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19 セラフィナの部屋にて①

 ジルの言ったとおり、最初の数日は「なぜ二人は交際を始めたのか」「お互いのどこがよかったのか」と尋ねられることもあったが、それもすぐに収まった。今では「掃除係の女性使用人が、公爵家のお坊ちゃんと物陰でキスをしていたらしい」という噂で持ちきりである。


(人の噂は本当に、移ろいが激しいのね……)


 密かな恋愛をおおっぴらにされてしまった渦中の二人にとっては大迷惑だろうが、セラフィナとしてはありがたいばかりだ。


 ジルと交際を始めた……ことにしてから十日たった今、セラフィナの周りには平穏が訪れていた。


 ジルとは一日に一度は必ず会うようにしているため、体調もずっと安定している。仲間たちも……からかいたい気持ちもあるのだろうがそれでも、応援してくれている。さらには、あの意味不明ないたずらも最近めっきり起こらなくなっていた。


(皆の反応はともかく、いたずらの犯人の意図はよく分からないわね……)


 ひょっとすると、犯人の目的はセラフィナとジルが交際することだったのではないか、という推理をしたので昨日ジルに教えた。セラフィナなんかよりずっと賢いジルは最初怪訝そうな顔をしたが、「可能性としては、なきにしもあらずだ」と一応セラフィナの推理を褒めてくれた。


 ……そう、最近のジルはめっきり優しくなった。


 元々優しい人だし、面倒見もいいとは思っていた。だが……これまではあきれたりつんけんしたりすることもあったのに、今はずっと穏やかな口調だ。

 眼鏡を外したときは、灰色の目を優しく緩めてこちらを見てくれたりするし……書庫を出て別れるときには、「明るいところまで送るよ」と言って、宿舎の近くまでついてきてくれたりもする。


 恋人のふりを徹底させるため、と言えばそれまでだろう。彼は効率主義者だから、無駄な行動はしないはず。それに、ジルがセラフィナに惚れ込んで告白した……という設定になっているのだから、ジルがセラフィナに対して愛情表現をするのは設定を裏付けるという点でも有効だ。


(……これは、勘違いしてしまいそうね)


 まるで、自分とジルは本当の恋人であるかのような錯覚に陥る。本当に、ジルの役者っぷりには驚かされてばかりだ。彼は自分について「特にこれといった才能はない」と言っていたことがあるが、案外舞台などに出れば人生が変わるかもしれない。


「……無自覚なのが、いっそうたちが悪いのよね」

「何か言った?」

「何も」


 こちらを見てきたジルに素っ気なく返し、セラフィナは彼の前に温かい紅茶のカップを置いた。


 今日は珍しく、ジルの方がセラフィナの部屋に来てくれた。いつものコート姿のジルがのっそりと現れたときにはさしものセラフィナも驚いたが、せっかく来てくれたのだから追い返すつもりはない。


「……前にお見舞いに行ったときも思ったけど、君って結構きれい好きだよね」


 紅茶のカップで手のひらを温めながらジルが言ったので、彼の向かいに腰を下ろしたセラフィナはふふんと胸を張った。


「私、これでも整理整頓は好きなのよ。……逆にジルは片付け、苦手っぽいわよね?」


 これまでに何度も司書室にお邪魔しているが、そこはお世辞にもきれいな場所とは言えない。不潔というよりものが多くてごちゃごちゃしている印象で、いかにも「片付けが苦手な人の部屋」という場所だった。


 セラフィナの指摘を受けて、眼鏡を掛けていないジルは嫌そうな顔になった。


「……誰にだって得手不得手はあるものだ。それに、司書室ならまだましな方なんだ」

「……そういえば私、結局ジルの部屋には一度も入ったことがないけれど……もっとひどい場所だったり?」


 一度だけ訪問はしたが、中には入っていない。「君の健康が一番だから、いつでも来ていい」と言われているし合い鍵も持っているが、結局お邪魔していないままだ。


「……いつかはなんとかしないといけないと思っている。でも、やろうと思ってもどこから手をつければいいのか分からなくて……」

「片付けが苦手な人は、そう言うわよね。……あ、そうだ。それなら、今度私が片付けの手伝いをしに行こうか?」


 合い鍵を持つ仲だし、一応交際中ということになっているのだから恋人の部屋にお邪魔して掃除を一緒にする……というのもおかしなことではないはずだ。


(……あー、でもジルのことだから、「貴族のお嬢様がすることじゃない」って言うかもね……)


 と思いながら自分の紅茶を口に含んだセラフィナだったが、なぜか向かいのジルはものすごく難しい顔をしていた。


「……どうしたの?」

「……いや。今になって、君に合い鍵を渡したことを後悔しているというか」

「そ、そうなの? それならすぐに返すわ」

「いや、いい。非常事態がいつ起こるか分からないんだから、持っていて」

「でも……嫌なんでしょう?」


 今すぐにでも合い鍵のある小物入れのところまで行けるように中腰でセラフィナが言うと、ジルはかなり沈黙した後にゆっくり唇を開いた。


「……前は、君が部屋に入っても構わないと思っていたけれど……今はちょっと、ためらってしまう」

「……。……やっぱり部屋に、恥ずかしいものを置いて――」

「違う! 本当にそうじゃないから……いや、もう今のは忘れてくれ」


 ジルにしては珍しく大声で言い返してから、彼は頭を抱えてうつむいてしまった。いつも若干早口にセラフィナを言いくるめてしまうジルらしくないが、それを今指摘するとますます不機嫌になりそうだ。


(こ、こんなときは話題転換! 私とジルに共通の話題の、本でこの場の空気を変える!)


「そういえばジルはこの本、読んだことがある?」


 なぜか落ち込んでいる様子のジルに声を掛け、ちょうどベッドの上に置いていた「英雄王の軌跡」を手に取って彼に見せた。「本」と聞いたからかジルはすぐに顔を上げ、セラフィナが差し出したそれを受け取ってしげしげと眺めた。


「……いや、初めて見るタイトルだな。見たところ新しそうだし……僕、古い本はよく読むけど新刊はほとんど手にしないんだ」

「そうなのね! 実はこれ、トリスタン――実家の私兵の息子が下級兵士として働いているんだけど、彼からお勧めされたの」

「……へえ」


 トリスタン、の名にジルは一瞬だけぴくっと小鼻を動かしたが、彼の興味はすぐに本に戻ったようでぱらぱらとめくった。

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