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18 甘くないけれど甘い時間

 セラフィナとジルは、「書庫に通っていたセラフィナに一目惚れしたジルが告白して、交際することになった。だがセラフィナの方も、実はジルにかなり惚れ込んでいた」という設定にした。

 それではジルの方に負担があるのではとセラフィナは思ったのだが、「僕は別にそういうことは気にしない」とあっさり言われたので、この案を通すことになった。


 案の定、城門前でセラフィナがジルに抱きついたシーンはその場にいた騎士たちに見られており、あっという間に噂が広まった。だがきっとそうなるだろうと覚悟していたため、翌日に使用人仲間から追及されたときも、「実はそうだったの」とはにかみながら返すことができた。


「セラフィナって結構、兵士や騎士たちの間で人気があったんだよ。貴族のお嬢様なのに気取ったところがなくて可愛いって」

「……え、そうなの?」


 昼休憩中に仲間に言われたので思わず聞き返すと、皆は笑いながらうなずいた。


「そうだよ。それが、自分たちが手をこまねいている間に第二書庫の司書にかっさらわれるなんて……一体何人の男たちが枕を涙で濡らしたことかしらねぇ」

「あたし聞いたんだけど、セラフィナの恋人がどんな人なのか探るために、今朝第二書庫に人だかりができてたっぽいよ」

「えっ、何それ!」


(そんな、私と交際しているって設定にしたせいで、ジルが……?)


 フォークをぎゅっと握りしめたセラフィナがうつむくと、仲間たちは「大丈夫だよ」と優しく声を掛けてくれた。


「第二書庫の司書……ジルだっけ? その人って、無茶苦茶頑固で融通が利かないっていうじゃん。だから野次馬が来ても、『本に用事のないやつは来るな』って追い返したらしいよ。セラフィナとのなれそめを聞かれたり暴言を吐かれたりしても、『うるさい』の一点張りらしくて」

「暴言も吐かれているの……」


 うかつだった、とセラフィナはため息をついた。


 二人が交際しているという噂になれば、合法的に彼の匂いを嗅いで精神安定ができる……と思ったのだが、予想以上にジルへの風当たりが強くなってしまった。


(ジル、怒っていないかしら……?)


 仲間たちは、励まそうとしたのにかえってセラフィナを困らせてしまったと気づいたようで、慌てて身を乗り出してきた。


「いや、きっと大丈夫だよ! 心配なら……そう! これから会いにいったら?」

「うんうん。午後の仕事まで時間があるし、様子を見に行きなよ」

「もし邪魔するやつらがいても、私たちが盾になるから!」

「そこまでしてもらって……いいの?」

「当たり前じゃん! 友だちの恋なんだから、応援するに決まっている!」


 よい仲間を持てて幸せだ……と思ったセラフィナだが、同時に彼女らを騙していることによる罪悪感も湧いてきた。


(交際したことにすれば万事うまくいくと思ったけれど、想像以上に胃にくることが多い……)


 とはいえ仲間の提案に乗ることにして、食事を終えたセラフィナはすぐに第二書庫に足を向けた。


 昼休憩時間だから、書庫内には数名の利用者の姿があった。だが皆奥の方で調べ物をしているようなので、そっと司書室のドアをノックしてジルを呼ぶ。


「ジル……いるかしら?」

「セラフィナか。いるよ、入りな」

「お、お邪魔します……」


 すぐにドアを押し開け、中に身を滑り込ませる。なんだかとても悪いことをしている気がするが、ここの主はジルで彼の許可があっての行為なのでとがめられることはない……はずだ。


 椅子に座って蔵書リストを書いていたらしいジルはこちらを向き、デスクに置いていた眼鏡を掛けた。


「……ひょっとしたら夕方よりも前に来るかも、と思っていた。君の方は、なんともない? 体は大丈夫?」


 早速野次馬の話をされると思いきや、彼は存外優しい声でセラフィナのことを問うてきたため、思わず息を呑んでしまう。


(な、何かしら。ジルが……いつも優しいけれどいつもよりもっと、優しいような……?)


「わ、私は大丈夫よ。仲間たちも……その、応援してくれているし」

「へぇ……」

「私はともかく、問題はあなたの方よ! 聞いたわ。今朝、あなたのところに押しかける人たちがいたって……」

「ああ、そんなのもいたね。書庫自体に用事はないようだからお引き取り願ったけれど」


 ジルはさして興味なさそうに言い、立ち上がった。司書室を出るのかと思ったら彼が向かったのは奥の壁際で、棚を開けてそこに入っていた缶を手に戻ってきた。


「まあ、そこに座ってこれでも食べなよ」

「これは……?」

「クッキー。君、こういうの好きだろう?」


 ぱかっと開けたそこには確かに、おいしそうなクッキーが行儀よく並んでいた。ジルは甘い物好きではなかったはずだし、おそらくクッキーは一枚も減っていない。


(……もしかしなくても、私のために買ってくれた……とか?)


「あ、ありがとう……いただくわ」

「うん、どうぞ。……それで? 僕がむさ苦しい連中に囲まれたことを聞いて、慌てて飛んできてくれたってところかい?」

「そ、そんなところよ」


 厚意に甘えてソファに座りクッキーをちびちびかじると、少し離れたところからこちらを見ていたジルがほんの少し唇の端を持ち上げて笑った。


「……早速恋人に心配してもらえて、嬉しいな。恋とか愛なんてくだらないって思っていたけれど、なるほど。これは確かに、日々の糧になるかもしれない」

「もう、からかわないの! 私はその……ジルに迷惑を掛けちゃったかと思って」

「僕のところに突撃してきた連中と君とは、無関係だ。あいつらがやりたくてやったことの責任を、君が負う必要はない」


 ジルはすっぱりと言い切り、デスクに広げていた資料や紙を肘でどけてそこに頬杖をついた。


「ま、どうせ最初くらいだよ。人の噂なんて、三日も経てば飽きられる。どうせ三日後には、どこかの誰かが不倫をしたとか酒に酔って堀に落ちたとかって噂に移り変わるさ」

「そう、かしら……」

「そう思わないとやっていけないだろう」


 ジルはさして感情を込めずに言ってから、「それで?」と少し身を乗り出してきた。


「せっかく君が来てくれたんだし……ついでに、やっておく?」

「な、何を!?」

「いつもの、あれ。……今は僕も半分休憩時間みたいなものだから、呼ばれない限りはカウンターに出なくていい。ここでやってしまうか?」


 ……おそらく彼が言いたいのは、セラフィナの体調安定のためのジルの匂い嗅ぎだろう。

 確かに、お互い休憩時間だしここはプライベートな司書室だから誰かに見とがめられることはないし……もし見られたとしても、「恋人同士がくっついていちゃついているだけですが?」と割り切ってやればいい。


(でも、なんだか……すごく含みのある言い方というか、誤解を招かせるためにわざと言っているように思われるというか……)


 抗議の気持ちを込めてじろっとジルをにらむが、彼は涼しい顔で「どうするの?」と尋ねるだけだった。


「……そうね。ついでだし、やってしまいましょうか」


 ジルの方が頭がよくて舌もよく回るのは理解しているので口論するのを諦めてうなずくと、ジルは立ち上がってセラフィナの隣に腰を下ろした。


 ……ふわ、とクッキーよりずっと甘くて心の落ち着く香りが届いてきて、思わずうっとりと目を細めてしまった。


「……ふ。今のセラフィナ、とろけた顔をしてる」


 ジルはセラフィナの顔を見て小さく笑うと眼鏡を外し、セラフィナの膝の上にあったクッキーの缶も取ってテーブルに置いてしまった。


「さ、どうぞ。セラフィナにとって負担のない姿勢で近づいてきたらいいよ」

「……ありがとう」


 なんだかんだ言って優しいジルに甘え、セラフィナは彼の左の肩口に顔を寄せて大きく息を吸った。


(……ああ、いい匂い。疲れた体に、染み渡っていく……)


 目を閉じてすーはーと深呼吸していると、ジルの体が少し動いた。続いてボリボリと何かを噛む音と振動が伝わってきたので、彼がクッキーを食べているのだと分かった。


「……甘いな。君たちってこういうのをよくぱくぱく食べられるよね」

「……んー? クッキーのこと?」


 心地よい香りに包まれてぼんやりしていたセラフィナが舌っ足らずに問うと、ぴくりと肩を震わせた後にジルがうなずく気配がした。


「そう。……一枚食べただけで、口の中が甘ったるい」

「んー、そうね。……でも、甘くて、おいしいの……」

「そうか」

「ジル、私のために買ってくれたのよね? 私が、甘いものを好きなの、分かってるから……」

「えっ? ……そ、そうだよ。ここは何もないから、君が来たときにもてなすものでも置いておこうと思って……」

「そうなのね。嬉しい。ありがとう、ジル。いつも……本当に、ありがとう」


 なんだか、少しだけ眠い。十分だけでもいいから、午後の仕事の前にうとうとまどろんで英気を養いたい。


「……僕が好きで、やっているんだよ」


 まどろむセラフィナの耳元に誰かの優しい声が聞こえて、髪をそっとくしけずられたような気がした。

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