12 勘違いしてはならない①
ある日、セラフィナはいつもより少し早い時間に第二書庫に向かった。ちょうど仕事関連で、調べ物をする必要があったのだ。
(調べ物が終わったらちょうどいい感じに、閉館時間になるくらいかな?)
メモ用のノートや筆記用具の入った鞄を揺らしながら第二書庫に向かったセラフィナだが――珍しいことに、入り口のところで同じく書庫に用事らしい若い男性二人組と並ぶことになった。
しかも、その片方は――
「……トリスタン?」
「えっ? ……お嬢様!?」
二人並ぶ男性のうち片方の背中を見て呼びかけると、彼は驚いたように振り返った。やはり、ラミレス家の私兵の息子であるトリスタンだ。
トリスタンが振り返ったからか、隣にいた青年もこちらを見た。セラフィナより五つは年上だろう彼は下級兵士のトリスタンと違い、豪奢な騎士団服を着ていた。
(……いや。あの装いは、ただの騎士団員ではないわ……!)
短く刈った茶色の髪に溌剌とした黒色の目を持つ彼はゆっくり瞬きし、隣のトリスタンを見た。
「お嬢様って……どう見ても使用人だけど、おまえの知り合いか?」
「え、ええ。ラミレス家のご令嬢のセラフィナ様です」
「……ああ、おまえの実家のご主人か」
騎士の男は納得したようにうなずくと、ぽんとトリスタンの背中を叩いた。
「んじゃ、ちょうどいいじゃん。俺は一人でいいから、おまえはお嬢様のお側にいろよ。そっちの方がいいだろう?」
「し、しかしお嬢様は王宮使用人で、私は今閣下の……」
「いいっての。ここまで来てくれたのはありがたいから、本を選んでいる間くらいはおまえもゆっくりしてろよ。てかこれ、命令だから、命令」
「……かしこまりました」
提案ではなくて命令として下されたからか、トリスタンは渋々ながら引き下がった。男はうなずくと、「じゃーな」と手を振って書庫に入っていった。
その場には、セラフィナとトリスタンだけが残される。
「……ええと。あの方は、騎士団員よね?」
「はい。シメオン・クレベルソン閣下です」
「……えっ? ひょっとしてあの、『不敗の軍師』様……!?」
思わずセラフィナは、書庫のドアの方を凝視してしまった。
国王ヴィクトルの部下として革命戦争を戦い抜いた、三人の英雄がいる。
小領主の娘であるルセリア・ディアスは冷遇される王子ヴィクトルを支えた女性で、「奇跡の聖女」と呼ばれている。戦時中は衛生兵隊長として戦地を駆け回った彼女はヴィクトルと相思相愛で、皆の祝福の中結婚式を挙げて王妃となっている。
恐るべき剣術でヴィクトルの敵をなぎ倒したとされる「百人斬りの剣士」ことクローヴィスは平民だが、国王たちとは固い友情で結ばれていた。だが彼は戦争中に命を落としたとされている。
そして、ヴィクトルの幼馴染みであり、優れた用兵術で戦いを勝利に導いた「不敗の軍師」でもあるシメオン・クレベルソンは近衛騎士団長に就任し、戦友である国王夫妻を支えているとのことだ。
ラブラブ夫婦のヴィクトルとルセリア、そして故人のクローヴィスはともかく、シメオンは現在二十七歳でありながらまだ結婚の話がなく、使用人仲間の中では「もしかしたら……」と伝説の軍師に見初められることを夢見ている者もいる。
(私も噂で聞くだけだった方なのに、まさかこんな形でお会いできるなんて!)
「どうしてトリスタンは軍師様とご一緒していたの? 騎士と兵士は活動内容が違うでしょう?」
「そうなのですが、庭園の警備をしていたら人目を避けてこそこそ移動される閣下を見つけまして。どうやら陛下のご用事で第二書庫にある書物を取りに来られたそうなのですが、ご存じの通り人気のある方なのでこっそり移動してらっしゃったそうなのです」
「……ああ、それでトリスタンが付き添っていたのね」
なるほど、それなら下級兵士が騎士団長の側にいてもおかしくないだろう。
納得するセラフィナだが、トリスタンは怪訝そうな眼差しを向けてきた。
「……俺と閣下のことはよいとして。聞きましたよ、お嬢様。ここ数日、体調を崩して休まれていたとか」
「うっ……!」
「どうして教えてくださらなかったのです……いえ、理由は分かりますよ。旦那様たちを心配させまいというお気持ちゆえですよね」
トリスタンに優しく言われ、逆に罪悪感が増してきた。
彼の言うとおり、セラフィナは体調を崩したことを両親に教えていないし、もちろんトリスタンにも伏せていた。言えば間違いなく心配させてしまうし……しかも体調不良の原因が呪術であることも教えられない。
そして……いろいろな理由があり、ジルの匂いを嗅ぐことで体調不良が落ち着くことは、絶対に言えない。両親もそうだが、トリスタンはきっと怒ってジルを責めるだろうから。
(嘘をつくのは申し訳ないけれど、私だけじゃなくてジルの問題にもなってしまうし……)
「……うん、そうなの。お医者様からも、経過観察と診断されているし……このことは、お父様たちには言わないで」
「……」
「お願い、トリスタン」
「……分かりました」
やれやれと肩を落としたトリスタンは、制帽を被り直した。
「俺としても旦那様や奥様の不安の種になることは、伏せたいですからね。……でも、無理はなさらないでくださいね。お嬢様が体を壊したなんてことになれば……」
「うん、分かってるわ」
優しくて心配性なトリスタンにそう言ったところで、第二書庫の建物のドアが開いた。出てきたシメオンは、薄っぺらい本を一冊だけ手にしていた。
「っかー! あの司書、まじで一言多いんだよなぁ! ネチネチネチネチイヤミも言ってくるしよぉ……」
「ご用事はその一冊だけですか?」
「ああ、うん、目的達成だ」
シメオンは本をぽんぽん叩いてから、セラフィナの方を見てきた。
同僚たちの中にも熱心なファンがいるほどの色男なシメオンは、優美で穏やかなトリスタンと違い男らしさにあふれている。「ちょっと粗雑な感じが素敵なの」と、とろけた目で語る仲間がいた気がする。
「えーっと、君もここの利用者? 悪いな、お先に」
「いえ、お気になさらず」
噂の軍師様に気さくに声を掛けられたので慌ててそう言うと、シメオンはにっと笑ってセラフィナの顔をのぞき込んできた。
「てか君、可愛い顔してんじゃん? よかったら後で、庭の散策でも――」
「閣下、そろそろ戻った方がよろしいかと思います。もうすぐ退勤者がこのあたりを通りますので……」
「げっ、そうか。じゃ、帰ろうかね」
トリスタンが真顔で忠告したためシメオンはあっさり応じ、セラフィナに「またな!」と言って去っていった。トリスタンはため息をついてからセラフィナに一礼し、シメオンの後を追っていく。
(軍師様って本当に、気さくな方なのね。これはもしかしたら本当に、王宮使用人との恋があり得たりするかも?)
それはそれで素敵なロマンスになるだろう、と考えながらセラフィナは第二書庫のドアを開けた。