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9.

 それにしても、リタの演じる木偶っぷりの堂々さたるや、いかな名女優もかなわぬといったものであった。命令されたことを無表情で従順にこなし立ち振る舞うその様があまりにも堂に入りすぎていたため、今日こそ本当に母上の術下に置かれているのでは、と思ったことは一度や二度ではない。それでも、おののく余の部屋へやってくる木偶のリタは、扉を閉め振り向けばいつでも見慣れた笑顔を湛えており、余はその都度ひそかに胸を撫で下ろしたものである。


「なぜ、ぬしは母上の術の干渉を受けぬ?」

 母上は一族の中でも秀でた能力の持ち主であり、あやつりの術に失敗するなど、天に輝く星が一つ残らず墜ちたとしてもありえぬ。故に、なにかからくりがあるのではと推測した。

 こうした余の疑問に対し、リタはあっさり「ああ、半分だけかかってますよ、うっすらと心の表層だけ。だから、木偶っぽく見せられるんです」と答えた。

「半分だけとは」

「私はあなた方の血を半分受け継いでいますからね」

 それはつまり。

「――父上の、度の過ぎた戯れか」

「まあ、他にこのあたりで好色そうな吸血鬼はいませんからねえ――失礼、口が滑りました」

「いや、本当のことだ。むしろ、父がぬしとぬしの母上に迷惑を掛けたのだな。余が謝ったところで許されるべきことではないが、すまぬ」

「いいんですよう、おかげで縁故枠でこうして働かせていただいてますからね。母が私を産んだ際には奥方様からたくさん援助していただいたって、何度も笑顔でそう言って感謝していましたし、ありがたいことですよ。母を襲ったのがそこいらの、普通のろくでなしの人間だったらこうはいきません。狭い村で後ろ指指されて、それでも貧困から抜け出せずにいたでしょうよ。私がこうして生きているかさえ怪しいものです」

「しかし、」

「嘘じゃありません。村に居た頃はそれなりに嫌な思いもしましたけど、ここできちんとメイドとしてこうして働けて、その上クラウス様のお世話まで任せていただけて、私は幸せなんですよ」

 そう言い切ったリタの顔は、晴れた冬空の如く澄んでいた。

「ぬしの母上は、今もまだ村にとどまっているのか?」

「こちらのお屋敷に呼ばれた際、私と一緒に村を出て下働きをしておりましたが、昨年息を引き取りました」

「……そうか」

「ああ、そんなお顔なさらないでいいんですよ。皆さんの前に出ることがない裏方の者たちは術を掛けられませんから、母は働きながらよく仲間と笑い合ってました。村では見られなかったそんな母の明るい一面をこちらのお屋敷で初めて知ることが出来ましたし、その点でも感謝してます」

「……余とぬしらは死後の行く先は異なるであろうが、母上の魂の安寧を祈ろう」

「ありがとうございます。ではクラウス様の祈りの証として、先ほどからずっとお皿の上に残り続けているそのほうれん草をお食べください」

「それとこれとは話が別ではないか?!」

「いいからいいから。好き嫌いはよくありませんよ。誇り高き一族のお方なら、いつまでも嫌がってないでちゃんと召し上がれますよね?」

 黙り込むと、凄みのある笑顔にて「ね?」と強く念押しされた。余は渋々フォークを手にする。

「ほうれん草のソテーは、歯がきしきしするではないか……」

「いつまでも口の中で噛んでるから余計に気になるのですよ。よく噛むのはいいことですけど、いくら何でも噛みすぎです」

「うう……」

「料理長が気にしていましたよ、『クラウス様は自分の作る料理がお嫌いなのではないか』って」

「あのものの作る料理はどれも気に入っている! ――そう、伝えてほしい」

「承知しました。では、召し上がれ。今日はその不格好なフォークの持ち方までは厳しく言いませんから」

「うう……」

 完食するのに、実に小一時間かかってしまった。その上、だだをこねて子どもじみた振る舞いもしてしまった。ついさきほどまでの己の言動を思い返せば、血という血が沸騰せんばかりに恥じ入る心持ちである。

 されど、あの緑色の憎き菜がひとつまみも残らぬ皿を見て、リタは「ほら、クラウス様はやっぱり私の見立て通り頑張れるお子です!」と余の頭をぐりぐりぐしゃぐしゃと乱暴に撫で回した。

「子ども扱いするでない!」

「子どもじゃないですか、やーねえ」


 そんなやりとりを、幾度かわしたことであろう。


 幸せだった。

 余の子ども時代は、とても善き時代であったと振り返ることが出来る。


 無論、一族でこのように育った吸血鬼は、余の他におらぬだろう。皆、好きなものを好きな時間に好きなように好きな場所で食べ、嫌いなものは残し、当たり前に贅を尽くし、我が儘を誰に諫められるでもなく生きている。一族の誇り、それさえ見失わなければ、何を咎められることもない。

 決まった時間に食事をとり、目下の者へ気まぐれに術や暴力を行使することもなく、月下に淡く照らされた庭を歩き、丹精に育てられた花々を愛でる、そのような余の日々の生活と吸血鬼らしい怠惰な生活と、どちらが上でどちらがよいかは、余には到底計りかねる。ただ自分には、吸血鬼『らしからぬ』方が性に合っていた、ただそれだけである。

 余をそのように導いてくれたリタには、感謝しかない。


 月の光を浴びるのと同じ無造作具合にて、余はリタから与えられるものをごく当たり前に受け取っていた。

 その本当の価値を分かっていたのならば、もっとリタに余から還せるものがあったであろうか。


 子ども時代を経て成人したのち、リタなき世界で余は初めて寂しさとその意味を知った。されど、それは絶望と同一ではなかった。むしろ尊きものであるとさえ思えた。

 リタとの数多の思い出が、余の心をほんのりと未だ暖かく満たし、進むべき正しき道を照らしている故。

 そして、ひとり二人と増やした人間の使用人との交流もまた、余を楽しませている故。長く勤めてくれた者が、リタと同じに余の前よりいなくなることに未だ慣れはせぬものの、孤独という名の病に冒されて尽くしておらぬのは、ひとえに皆が余に仕えてくれていることがその理由であると言えよう。

 だらしなき馴れ合いを余は好かぬが、挨拶や会話を交わし、敬意を持ちつつ接し、相手への好意を抱くこと、反対に好意を抱かれること。それを、リタは『親しみ』だといつか教えてくれた。そう。

 余は、余の館の者に親しみを感じている。余がそう振る舞っているせいか、あちらからも同じように親しみを持って接せられていると、そう感じてもいる。――少々、余の扱いに対し疑問を持つこともあるが。

 我ら一族の永き歴史において、人間と親しく接した吸血鬼が存在していたという前例はおそらくなかろうが、それは大した問題にあらぬ。余の館内限定かもしれぬ『人と吸血鬼のまっとうな交流』は、小さき王国内でのみ運用される通貨のようなものであろう。その価値が正しいか正しくないかは、余と屋敷のもので決めればよいことだ。少なくとも、余は正しいと思っている。


 屋敷の皆も同じ考えであればと、そう思う。


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