23.
今時期のような冬深い頃、風雪による嵐はつきものである。一夜をやり過ごしたとて、日を置かずに吹雪の晩は幾度も訪れる。否、夜ならず昼までも。幾日も風が吹きやまず、玻璃を四六時中カタカタと神経質に鳴らすこともそう珍しくはない。なんとも厚かましい、招かれざる客である。冬の間、山に降り積もった雪は春の訪れとともに融け水となり、川を駆け下り大地に注ぎ、肥沃な畑作りには欠かせぬものとなるとは言え、毎年人死が出ると聞くほどの、まことに厳しき季節である。
ある日、余宛てに届いた手紙の一つひとつに目を通していたところ、ひときわ厳しい嵐を予感させる一通が届けられていた。
封蝋にあしらわれた薔薇の紋章は、本人の気質をよく表しているように思う。鋭く尖ったとげをびっしりと纏い、何人たりとも寄せ付けぬ激しい魂。
「ルドルフ」
「なんでしょう旦那様」
「我が妹――ハーミアが、屋敷に来るそうだ」
妹は、その瞳の色そのままに、苛烈な炎の如き性質の持ち主である。人に近しき思想を有する余とは、何もかもが真反対と言えよう。
されど妹のハーミアは、母上よりも余に懐いていた。余も、ハーミアをかわいがった。性質の大いなる違いはあれど、ハーミアと余にとってそれは断絶には至るものではなかった故。
ハーミアは幼き頃から母上の眉をもひそめさせるほどの残虐性を持ち合わせていた。
気に入らぬことがあれば、無表情のまま自分に宛がわれていた木偶をなぶった。機嫌が良くても木偶に危害を及ぼした。――むろん、そのどちらでもない時にも。
木偶は術を掛けられている故、痛みに反応することはないが、腕にフォークを深く刺されたまま常と変らぬ動作をする、首が文字通り皮一枚で繋がった状態で給仕を続け、声一つ上げぬまま絶命するなど、余には看過できぬ事柄があまりに多過ぎた。
母上はそれを咎めはしたが、父の時のように命で贖わせることはなく、つまりそれは母上の中では許容範囲のことなのであった。であれば余が殊更咎めることは憚られ、結果その残虐性はすくすくとのびやかに育つこととなった。――吸血鬼としては、余よりもよほど正しき生き方をしているのであろう。余が、それを受け入れられぬとしても。
そりは合わぬもののハーミアはこの兄を慕っており、余もまた兄として妹への愛着を覚えている。その証拠に、成人の後、生家を離れ独立した今も妹は時折余の屋敷へと足を運ぶ。二〇年に一度程度であるからたびたび訪れていると言って過言でない。ただ、屋敷に働くものにとっては一昔も二昔も前のことであるが故、家令のルドルフも前回の訪問時にはまだ勤めはじめてはおらず「前家令に話を聞いて参ります」と言いつつ、歴代の家令たちがつけていた過去の日誌などを読み、備えるつもりのようである。しかし。
「離れが整えられ、不便なく使える状態であれば、それでよい」
「……しかしながら、旦那様の妹君に対して、そのような簡素な待遇でよろしいのでしょうか。何か宴の準備など……」
完璧に仕事をこなす鉄面皮が常になく戸惑う顔になるのは小気味よかったが、余はそれを顔には出さず「うむ」と重々しく答えた。
「よい。ぬしの気持ちはありがたいが、あれは余が知る中でもひどい人間嫌いである。さすがに、到着時に茶の一杯も出さぬという訳にはいかないだろうが、それ以上の歓待は必要ない」
「ですが」
「妹は『木偶』と呼び慣らす、術を掛けられ使い勝手の良い操り人形と化した人間を幾人も連れてくる。食料や物品もだ。なにかあちらから頼られた際には助けてやるがよいであろうが、おそらく短い滞在ではそれもなかろう」
「……かしこまりました」
家令が音を立てずに部屋を出て行ってからも、余はずっと思いにふけっていた。
先ほど『人間嫌い』などと称したが、実際はそれでは足りぬ。ルドルフも日誌を読めばすぐに理解するであろう。
あれは、決して人間を対等になぞ扱わぬ。そして『家畜』『エサ』『下等動物』と称してはばからぬ。リタでさえ、『妹君はお母様よりも命の危険を感じるお方です』と真顔で言っていたものだ。
余には心よりの笑顔を見せながら木偶にはひどい仕打ちをする、その妹の二面性を正すことも受け入れることも出来ぬ自分が、なんとも歯がゆく腹立たしい。
お変わりないわね、お兄様。
ハーミアは、いつもそう口にして笑う。
このようなへんぴなところに引きこもっていらっしゃるから、刺激がないのでしょう。あたくしの住む都にお兄様も参りませんこと? 人間の女もよりどりみどりでしてよ。こちらと違って、血を求めるのに手間などありませんわ。
なるほど、それは興味深いな。だが余はこのささやかな屋敷と、その周りで万事事足りている。
まったく、欲のないお兄様。
そう言って、笑いあって、――そりが合わぬ同士、それでも今まではうまくやっていた。
余は、ハーミアのやり方に口出しせず、またハーミアも余のやり方に文句は言えども本気で横やりを入れようなどとはせず。
今までは。
余は、玻璃に手をつき、夜の庭を眺めた。
月はか細く、ふっと息を吹きかけようものなら瞬く間にかき消えてしまわんばかりの風情である。
痩せ細った月は放つ光さえ弱々しく、ひとたび雲の薄布に覆われてしまえば、その幽かな光明さえもこちらへは届かない。
ハーミアは、変わらぬ筈の余が変わったことに気付くであろう。
余が、人間を、サラを想っていることに。
そのとき、いったいどのようなことが起きようか、余には想像も付かぬ――いや、余は想像したくないだけなのだ。我ら兄妹の決裂の時を。
気配に鋭い一族同士、妹は余の変化を覚り、激しき嫌悪感を抱こう。そしてそれを余も感じ取ろう。余が、サラへの思慕を一切失くしてしまえばそれでよいのだが、これはなかなか難しい。
「……かように歳を重ねていても、妹と決定的に溝が出来てしまうというのはいささか辛かろうな」
余は感傷的に呟く。されど。
溝が出来、交流が断たれたとしても、サラが余の思いに微塵も気付くことなく、いつか慕っている男と結ばれたとしても、余が歩む道は、サラを想うこと以外にない。
静かにしんしんと雪が積もる夜。
嵐は、まもなくやって来る。




