22.
ルドルフの巧みな会話術にて、余は使用人たちがおびえる気配を拭い去ることが出来た。
そして帰宅後、紅茶を供したサラに余は問うた。
「……ぬしと領主の間には何やら因縁でもあったのか?」
余の言葉に、サラは紅茶を差し出しつつ答えた。
「……村へ視察にいらした際に、わざわざうちまで来られて声を掛けられたことならあります」
「ほう、なんと?」
「『屋敷で働かないか』と。でも、父が『まだ何も知らない幼い子どもです。粗相があってはいけませんから』と断りました」
「その誘いは、一度きりであったか?」
「……数回ほど」
「……」
「それが、何か?」
怯えがさっとその頬を陰らせたのを見て、余は敢えて笑った。
「いやなに、ぬしの気に掛けるほどのことではない」
「ですが……」
サラの表情は一向に冴えぬ。余は紅茶に口を付け、「いい香りだ」と一口味わったのち、「心配するでない」と鷹揚に声を掛けた。
「言っておくが、『もしや自分のせいで迷惑を』などとゆめゆめ考えるでないぞ」
「……え、」
「過去に起きたあらゆることに着目し、起きてもいない未来の出来事についてあれこれ想像するのは余の習い性である。先ほどの余の言動は、その『起きてもいない』ことに対する行き過ぎた心配であるにすぎぬ。それと、先の騒動については、いち早く駆け付けられなんだ余に責がある。ぬしは一方的に害を被った側ではないか」
「……」
「胸を張れ。ぬしに何一つとして落ち度はない。そして案ずるな。この館のものは、全員余が守る。たとえこの身に変えようともな」
「……はい」
ようやく、小さき野花がほころぶ如く、サラが笑顔を見せた。
数週間後、領主の紹介状を手に新たな商人が我が屋敷へ品々を運んできた。なるほど、持参した物品は領主が請け負った通り質の高いものばかりで、しかも値段は前商人とさほど変わらぬ。余に対してある程度の怯えを抱く様子は見られたものの、『よい品を揃えている』という自負からか終始堂々としており、こちらが不快になるようなおもねりもない。いつもは厳しい家令でさえ「これは、かえって良い取引先になるかもしれませんね」と称賛するほどであった。
そしてさらに後日、詫びのつもりかこの辺りでは手に入らない南国の果実や魚が領主よりどっさり届けられた故、傷まぬうちに皆で食した。
――先日の余の動きが、いくばくかの牽制になるとよいのだが。
その懸念は、果実の小さな種の如くに余の心の中へ忍び入り、しばらく消えぬままであった。
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「何故だ、何故だ何故だ!!」
男は激昂し、その感情のままテーブルの上のものを乱暴に手で払った。広げてあった書類がバサバサと音を立てて落ちる。そのうちの一枚を拾い上げ真っ二つに引き裂き、かんしゃく持ちの子どものように何度も靴で踏みにじった。それでも高ぶった感情はまだおさまりがつかない。
端正かつ読みやすい字体で書かれたそれは、忌々しいあの吸血鬼の家令の手による品目一覧――手に入らなかった物品の――だった。
サラを奪い去ろうと男が描いていた目論見は、散々な結末を迎えた。拉致を請け負ったあの商人には大金を弾んだというのに裏切られた挙句、奴は人として無用の状態にされ、見せしめのように男に託された。あくまで知らぬ存ぜぬで通したが、吸血鬼相手に果たしてどこまで通用したものか。
初めて顔を合わせた吸血鬼は、存外当たりが柔らかい、話の通じそうな印象をこちらに抱かせたが、それと同時に人ならざるものとしての恐ろしさも強烈に植え付けていった。サラのことがなければ、吸血鬼のものに手を出そうとなどとは思いつきもしなかっただろう。
元商人は、質の高い品々を見つけてくる目の良さと、生き馬の目を抜くほどのしたたかさを有していたが、術を掛けられた今、かつて漲っていた商才や生気は、もはやどこにも見当たらなかった。あれは次に失敗したときのおのれの姿だと、男は身震いした。
それでも渇望は、怖れに駆逐されずにしぶとく生き残っている。
――サラ。
まだ幼い姿を一目見た時から男には分かった。この娘は、美しくなる。
ならば、自分の傍に置いておこう。近い将来『領主のお手付き』になると域内の領民たちに知らしめ、決してほかの者の手に落ちぬよう、早々に囲ってしまおう。
それは、とても良い思いつきのように思えた。
しかしサラの親は、幾度男が『我が邸宅のメイドに』と持ち掛け大金を目の前に積もうとも、頑として娘を手放そうとはしなかった。
そこへきてあの数年前のはやり病。
遠い都で始まった病の流行は、あっというまにこの山間の地まで伝播した。
男は歓喜した。病は恐ろしいが、こちらには吸血鬼の水薬がある。
これをちらつかせれば、いかな強情なサラの両親でさえ、膝を折り男の要求を呑むだろうと踏んだ。もちろん、直裁に脅したりはしない。男はただ水薬へ目をやりつつ、村長にそっと耳打ちすれば良いのだ。『そちらの村にいるサラという娘、あれを我が屋敷のメイドにと望んでいるのだが、なかなか両親が首を縦に振らなくてね』と。そうすればこちらの意図を汲んで村長はサラの両親にこう言うだろう。
『この薬が欲しければ、サラを領主様に差出すように』と。
しかし、サラの両親は娘をその手中に守ったまま病に斃れた。そして最後まで男の要求を拒んだまま逝った。
村長からその報告を受けて、男はほくそ笑んだ。少々難航したもののやっと邪魔者はいなくなったと、晴れ晴れした心持ちで。
次に、村八分の憂き目にあい困窮したサラを、男はぎりぎりまで追いつめてから救いの手を差し伸べようと画策した。いくら抵抗したくとも、極度の貧困の前では拒みきれぬだろう。――今度こそ、これでようやくあの娘は私のものだ。
男は逸る気持ちを抑え、その時を待った。そして三日続いた吹雪がおさまった晩、サラの家に馬車を向かわせたが、そこは既にもぬけの殻だった。使いの者達があたりを捜索したもののその姿は見つからない。村の外に向かってひとつよろよろと続いていた小さな足跡をやっと見つけた時には、サラは黒装束に身を包んだ吸血鬼の腕に抱かれ、空を飛んでいたという。――報告を受けた時のあの悔しさを、男はまだ忘れられてはいない。
あの吸血鬼は男のものになる筈のサラを勝手に見つけ、男の手の届くことが叶わない邸宅で保護してしまった。脅迫や根回しといった男の得意なやり方がまるで通じず、掠め取ることさえ失敗した今、それでも男の頭にあったのは断念ではなく強い憤りだ。
こんなことがあってよいのか。自分は領主だ。この地でおのれが望んだものはすべて手に入るのが当たり前だ。なのに。
「何故、手に入らぬ……!」
幼い時ですら既に美貌の片鱗を見せていたあの娘は、十七になった今、どれほど美しくなったことだろう。その姿を想像するたびに、男は腹の奥がカッと熱くなるほどの劣情を抱いた。本当であればとっくにあの娘の純潔を散らし、男好みに仕込んでいた筈なのに。
何故、と男は幾度となく繰り返す。
何故私を拒む、サラ。
正妻とすることは叶わないが、領主の寵愛を受ける女になれば村では望めないほどの贅沢を味わえたというのに。
何度訪ねて厚遇を約束しても、自分のメイドになることに首を縦には振らなかったあの娘とその親――やせ我慢のあげく、病死した――を思い出し、男は憎々しげな顔になる。
男に、手に入らないものを諦めるという考えはない。それらは、すべて男の手に入るべき定めだからだ。
サラが吸血鬼の館にいようが、悪魔と契約していようが、はたまた神の子であろうが、男の渇望には何ら作用しない。
手に入らなければ入らない分だけ、サラへの思慕はぶくぶくと醜く膨れ続ける。




